自分は若いころから幻想小説というジャンルが好きで、泉鏡花はもちろん、渋沢龍彦とか、ハウプトマンとか、あるいは、このホフマンなどを読んでいた。
ホフマンだと、『黄金の壺』『砂男』『スキュデリー嬢』『くるみ割り人形とねずみの王様』『ブランビラ姫』『牡猫ムルの人生観』などを読んだと思う。でも、昔のことで、いまとなっては内容はほとんど忘れてしまっている。
『黄金の壺』がとてもおもしろく、胸をドキドキさせて読んだことと、『スキュデリー嬢』は若い、深窓の令嬢が登場するのだろうと期待して読み進んでいったら、肩すかしをくらったのをよく覚えている。
ホフマン作品は、まず構想が奇想天外で、その文章に、読者にページをめくらせる腕力のようなものがあると思う。
知力とともに、体力を感じさせる作家である。
奇妙な味わいの『砂男』や、夏目漱石の『吾輩は猫である』の先駆『牡猫ムルの人生観』もいいけれど、自分としてはやはり『黄金の壺』をおすすめしたい。
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンは、1776年1月24日、プロイセン王国のケーニヒスベルクに生まれた。出身地は、いわゆる当時のドイツで、現在はロシア領となっている土地である。
法律家の家系に生まれたホフマンは、司法試験に合格し、裁判所の判事となった。転勤していった各地の法廷で、判事の仕事をこなしながら、絵画を描き、オペラを作曲してもいた。
30歳のとき、彼は妻子とともにワルシャワにいたが、そこへフランスのナポレオン軍が進駐してきた。
これによって、プロイセン行政府の役人はみな失職し、ホフマンもとうぜん失業した。
ホフマンは、妻子を縁者のもとに残し、単身ベルリンへでたが、そこもまたナポレオンの支配下にあり、ホフマンの生活は困窮した。
一文なしの彼は、友人に借金を重ね、それでもしばしば飢え死にしそうになった。そして、妻のもとにいた娘が亡くなったという報せを受けたのもこのころだった。どん底の時期である。
32歳のとき、彼は妻をともなってバンベルクへ引っ越し、そこで劇場の音楽指揮者の職についた。
33歳のとき、小説『騎士グルック』を発表し、これによってようやく運が開けてくる。
ホフマンは劇場の音楽の仕事のかたわら、文筆活動も活発におこなうようになる。
この時期にホフマンは彼のオペラの代表作「ウンディーネ」を作曲し、『黄金の壺』を書いている。
その後、音楽の仕事をやめたホフマンは、38歳のとき、ふたたび判事として働きはじめた。
そうして、法律関係の官僚として働きながら著述もつづけ、1882年6月、ベルリンで没している。46歳だった。
こうしてみると、ホフマンの人生は、彼の書いた小説のように幻想的で起伏に富んでいる。
13歳のとき起こったフランス革命のあおりで、社会状況が激変をつづけるなか、 しょっちゅう失業し、無一文の絶望的な状況に追い込まれたこともあった。
それでも、法律、音楽、また法律と業種を変えて働きながら、並行して旺盛な筆力でたくさんの作品を書き残した。
多才で、けっしてくじけない、前へ進む強い意志の人である。
たいした不屈の才人で、まったく、人間こうありたいものである。見習いたいと思います。
ちなみに、ホフマンの名前にある「アマデウス」は、天才音楽家アマデウス・モーツァルトへのオマージュとして、ホフマン自身が自分で付け加えたものだという。
(2013年1月24日)
著書
『出版の日本語幻想』
『ポエジー劇場 子犬のころ』
『ポエジー劇場 大きな雨』
黄金の壺 (岩波文庫)/岩波書店

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