1月19日は、明治の文豪、森鴎外の誕生日である(旧暦による。新暦だと異なる)。
自分は森鴎外の本は、すこし読んでいる。
筑摩の現代日本文学体系の『森鴎外集(一)』『森鴎外集(二)』をもっていて、たまに開く。いま二冊の目次を見ながら、好きな作品を挙げると、こんな感じである。
『舞姫』
『ヰタ・セクスアリス』
『渋江抽斎』
『興津弥五右衛門の遺書』
『堺事件』
『高瀬舟』
森鴎外作というだけで、すでに名作なので、もうこの辺になると、名作中の名作というわけである。まだ読んでいない方には、おすすめです。
森鴎外について書かれた本もすこしもっている。
1956年にでた「文芸 臨時増刊 森鴎外読本」(河出書房)という雑誌が手元にあって、それには当時の文学者90人ほどにアンケート調査をした結果が載っている。
アンケートの質問は、
一、あなたは森鴎外の文学をどう思われますか?
二、森鴎外の作品で何が一番好きですか?
三、森鴎外からあなたが学んだものは?
の三つ。
いろいろな作家が、いろいろな回答を寄せていておもしろい。
三島由紀夫は、つぎのように答えている。
「一、絶対崇拝。
二、『渋江抽斎』
三、感受性を侮蔑すること」
谷崎潤一郎の英訳で知られるサンデンステッカーは、つぎのように回答している。
「一、とりたてて好きとも嫌いとも申せません。現在評価されている程優れているとも思いません。寧ろ興味を持っていないと言うべきでしょうか。少くとも、文豪だとは決して思っていません。
二、強いてといわれるなら『雁』」
人によって評価はまちまちで、おもしろい。
三島由紀夫は、サイデンステッカーと自分の文学観は夏と冬ほどちがっているといっていたが、ここではそれがそのままでている感じである。
日本人一般の常識としては、森鴎外は「文豪」ということになっている。というか日本語では、「森鴎外」はほとんど「文豪」の代名詞だろう。
かつて、三島由紀夫が、政治家の有田八郎をモデルにして『宴のあと』という小説を書いたら、プライバシーの侵害で訴えられて、裁判になったことがある。その法廷で、原告の有田はこういったそうだ。
「人をモデルにすると言っても、鴎外・漱石ほどの作家ならともかく、そこらの三文文士が……」(三島由紀夫「森鴎外」『作家論』)
森鴎外(本名は森林太郎)は、文久2年1月19日石見国(島根県)に生まれた。
5歳で論語を学び、8歳でオランダ語を学び、10歳で東京にでてきてドイツ語を学んだ。
12歳で東京医学校(在学中に東大医学部となる)の予科に入学。若すぎたため、年を実際の年齢より二つ上にし、ごまかして入学したという。
19歳で大学を卒業。陸軍の軍医に。
22歳のとき、命令によりドイツ留学。
留学中はさまざまなドイツ人と交友し、ドイツ人と論争もした。
26歳で留学を終え、帰国。その4日後、鴎外の後を追って、ドイツ人女性が来日。これが、ドイツ留学中に恋愛関係にあった、小説『舞姫』のヒロインのモデルとなった女性、エリーゼ(エリス)である。
エリーゼは、ひと月ほど日本にいた後、あきらめてドイツへ帰っている。
以後、鴎外は陸軍の医学校や師団の軍医として勤務し、日清戦争、日露戦争を経験。
軍務と並行して、小説、翻訳、評論を書き文芸分野でも活躍した。
54歳のとき、願いでて、陸軍を退官。最後の肩書は、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長だった。
56歳ごろから病気でふせがちだったが、文筆活動をつづけ、帝国美術院長、臨時国語調査会長などの公職も歴任した。
1922年、腎炎と肺結核が進み、病床に天皇皇后からぶどう酒が届けられた。7月、従二位に叙せられた翌日に没。60歳だった。
口述した遺言には、
「ただ、石見人森林太郎として死にたい。宮内省や陸軍からの栄典はぜったいにとりやめるように」
という旨のことわりが書かれていた。
自分は、夏目漱石より、森鴎外のほうが好きである。
それは、こういうと漱石ファンは怒るかもしれないけれど、漱石の小説に登場する女性が生きている感じに乏しいのに対して、鴎外作品に登場する女性は血が通っている肉体をちゃんともっているという感じがするからである。
漱石は英国ロンドンに留学しているが、下宿に閉じこもりがちだったらしいのに比べて、ドイツ時代の鴎外は現地の人々とさかんに交際し、恋愛事件まで起こしている。そういう、資質と、人生経験のちがいが、作品にでるわけで、自分はどちらかというと、鴎外のほうが体質に合っているのである。
そういう生き生きした女性の登場人物にひかれるのと矛盾するようだけれど、一方で、まったくちがった味わいをもつ、『興津弥五右衛門の遺書』や『堺事件』などの、まことにきびしい、あの無情な感じも、なんともいえない鴎外作品の魅力である。
代表作といわれる『渋江抽斎』は、自分が読んだ本のなかで、もっとも漢字が多い本のひとつだと思う。
読んだのは、もう20年近く前のことになる。自分は無学なので、読み進むのが大変だった。でも、おもしろかった。『渋江抽斎』というよりは、『渋江抽斎の妻』と呼ぶべきだという気もしたけれど。やはり、この作品でも、女性が生きているのである。
『渋江抽斎』は、自分が死ぬ前にこれだけは読んでおきたいと思っていた本だった。そのとき、ちょうどアメリカへ旅にでることになっていて、旅の途中で死んで帰ってこられない事態もあり得るから、でかける前に読み終えようと、懸命に読むのだが、むずかしい漢字が多くて、なかなか進まない。そうして、あと数ページというところで、出発の日の朝となり、自分は終わりの何ページかをコピーしてバッグに入れて成田空港へ向かった。最後の部分は、空港の待合室や飛行機の機内で読んだ。
日付変更線をすぎるころには、読み終えていたと思う。読み終わって、爽快な読後感を味わいながら、
「ああ、これで、いつ飛行機が落ちてもいいぞ」
と思ったものだった。
(2013年1月19日)
著書
『出版の日本語幻想』
『ポエジー劇場 子犬のころ』
『ポエジー劇場 大きな雨』