1/17・ヴィダル・サスーンの辞書 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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1月17日は、ヘアードレッサー、ヴィダル・サスーンの誕生日。
ヴィダル・サスーンの名をはじめて聞いたのは、テレビの、たぶんシャンプーのコマーシャルだった。
アメリカのどこかの、広い美容院のなか、モデルか女優の髪にくしをいれるサスーンが画面に映し出され、
「ハリウッドの女優たちが争って頼みたがる、トップ・ヘアドレッサー、ヴィダル・サスーン。あなたの髪にも、ヴィダル・サスーンの輝きを」
というような宣伝文句が流れていた気がする。
ふうん、そういう人がいるんだ、と思った。

自分はヴィダル・サスーンのヘア・ケア製品は、いちど、くせ毛用のシャンプーを使ったことがあるくらいで、ほとんど使ったことがない。
高校生のとき、テニス部の仲間で、美容院をやっている家の息子がいて、あるときその男に、
「この髪の毛、もうすこしまっすぐにならないかなあ」
と訊いてみた。
すると、そいつは、ちょっとこちらの頭をながめてから、こういった。
「無理だね」
それ以来、自分は、自分のヘアスタイルについて、あまり関心をもたなくなった。

ヴィダル・サスーンは、1928年1月17日、英国のロンドンに生まれている。両親ともにユダヤ系で、彼の父親は、サスーンが3歳のとき、彼ら母子を捨ててでていった。
それで母親は、サスーンと彼の弟をユダヤの孤児院へ預けた。母親は月に一度面会に来られるだけで、親といっしょに外出することも許されない孤児院だったらしいが、そこに彼ら兄弟は7年間いた。
母親は再婚すると、彼らを引き取った。
第二次大戦時、サスーンは年齢が17歳と、若すぎて軍隊に入れなかったため、ユダヤ人の退役軍人で編成された非正規軍に参加した。
戦争が終わり、ユダヤ人の国、イスラエルが建国されると、サスーンは、イスラエル国防軍の前身であるハガナの組織に、20歳で入隊した。彼は第一次中東戦争に従軍したらしい。
その後、サスーンは英国ロンドンにもどり、レイモンド・ベッソンの美容室で修行した。
「彼がわたしに、どうやって髪を切るかを教えてくれたんだ。彼がいなかったら、わたしはなにも成し得なかっただろう」
後年、サスーンはそうふり返っている。
26歳のとき、ロンドンに最初の自分の店をオープン。余分なものをそぎ落とし、基本的な恰好にカットしていく、というのが彼のポリシーだった。
35歳のとき、女性のための短い、角張ったヘアスタイルを創造。
37歳のとき、ニューヨークへ進出。以後、世界的なヘアドレッサーとなり、世界各地に美容室をチェーン展開し、あわせて美容製品のブランドを立ち上げ、実業家としても成功を収める。
1980年代のヴィダル・サスーンの広告のキャッチコピーはこんなものだった。
「あなたがきれいに見えなければ、わたしたちもきれいに見えない」
後年、事業を売却したサスーンは、反ユダヤ主義の研究に尽力するとともに、慈善事業にも力を入れた。
2005年、米国南部に、ハリケーン・カトリーナによって大きな被害がでたときも、彼はヴィダル・サスーン基金を通して、積極的に被災者支援に動いたという。
彼は生涯に4度結婚し、2012年5月、米国ロサンゼルスで84歳で没している。

きびしい環境から出発したハンディをものともせず、女性の髪の毛だけを見つめて仕事をしつづけ、大事業家になり、得た富みをまた社会に還元しようとした、まことに立派な人生だった。
よく「ユダヤ人は商売がうまい」といわれるが、その前に彼らは、勤勉である。
まったく、よく働く。えらいと思う。
自分の好きな、サスーンのことばにこういうのがある。
「成功が労働の前にやってくる、ただひとつの場所は、辞書のなかである」
(The only place where success comes before work is in a dictionary.)
さすが、ヘアドレッサー、いうこともおしゃれだ。
(2013年1月17日)


著書
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』

『コミュニティー 世界の共同生活体』

『ポエジー劇場 子犬のころ』


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