自分は1960年代米国コミュニティー史が専門で、大学時代の担当教官は、米国1950年代の黒人史が専門の上杉忍先生(2013年現在は北海学園大学)だったので、キング牧師は学生のころから、わりあい近しい歴史上の人物だった。
大学時代、西洋史のゼミで、同級のある学生が、公民権運動について研究の途中報告をし、そのなかでキング牧師の経歴を平坦な感じで紹介したら、それを聞き終えた上杉先生が、
「キング牧師というのは、もっと人間的に大きな人なんじゃないかなあ」
とおっしゃったのをよく覚えている。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1929年1月15日に、米国ジョージア州アトランタで生まれている。父親はプロテスタント、バプテスト派の牧師で、父子がまったく同じ名前なので、息子のほうは「ジュニア」をつけて呼ばれるわけである。
息子のほうのマーティンは、上にお姉さん、下に弟がいる3人きょうだいのまん中だった。
子どものころから教会の聖歌隊で歌っていたマーティンは声がよかった。これが後年の名スピーチに生きてくる。
マーティンは学業優秀で、ふたつ飛び級をして、15歳で大学に入った。
大学、神学校をでた後、マサチューセッツ州のボストン大学で神学の博士課程をとっている。
ボストトン大学にいたころ、キャンパス内にあるマーシュ礼拝堂に、キング牧師はしばしば、ハワード・サーマン牧師を訪ねていた。サーマン牧師は、以前、伝道師としてインドへ渡り、マハトマ・ガンジーと会ったことのある人物で、ここでガンジーの影響がキング牧師に伝わったわけである。
26歳のとき、キング牧師は博士号をとってボストンを後にし、アラバマ州モンゴメリーの教会で牧師となった。
が、ちょうどそのころ、モンゴメリーの街で、ひとりの女性が、歴史を大きく揺り動かす大事件を引き起こす。
1955年12月、モンゴメリーに住む当時42歳のローザ・パークスという黒人女性が、デパート勤めの仕事を終え、帰宅しようとバスに乗った。
彼女はバスのまん中あたりの座席にすわっていたが、しだいに白人が乗りこんできて、車内がこみだし、立っている白人もでてきた。
白人の運転手が、彼女に立って席を白人に譲るよう告げた。バスは黒人用の席、白人用の席と分けられているが、黒人用のほうへ行け、というのである。ローザは、答えた。
「立ちません」
「それなら、警察を呼んで、逮捕してもらうぞ」
運転手はそうおどした。
「どうぞ、そうしてください」
ローザはそう答え、実際に逮捕されてしまった。
これが、ローザ・パークス逮捕事件で、ここから公民権運動の火が一気に燃え上がった。
キング牧師は、この報せを聞くと、地域の黒人に、バスに乗車しないようバス・ボイコット運動を呼びかけた。
黒人たちは敏感に反応し、乗客の大半を黒人頼みにしていた地域のバスは大打撃を受けた。
この事件は、連邦裁判所のあつかうところとなって、キング牧師たちは、バスの車内での人種分離を容認する法律は憲法違反である、という判決を勝ち取った。
そこからさらに、キング牧師は全米各地で公民権運動を指揮していく。
彼が黒人たちに呼びかけた戦術は、非暴力、不服従という、ガンジーがインド独立運動でとった戦術と同じだった。
1963年8月、34歳のとき、キング牧師は、首都ワシントンDCでおこなわれたワシントン大行進に参加し、リンカーン記念堂の前で演説をおこなった。それが有名な「わたしには夢がある(I have a dream.)」の演説で、内容はこんな感じである。
「わたしには夢がある、それはいつの日か、わたしたち奴隷だった黒人の子孫と、使用者だった白人の子孫が、仲良く語り合う日がくる、そういう夢が」
キング牧師の語る高い理想は、聖歌隊できたえた美声とあいまって、全米、全世界に広く感動を呼んだ。
翌1965年、35歳のとき、キング牧師にノーベル平和賞が授与された。
1968年4月、テネシー州メンフィス市内のモーテルのバルコニーで、キング牧師は銃で撃たれ死亡。39歳だった。
その死は、その2カ月後のロバート・ケネディ暗殺と並んで、世界に大きな衝撃を与えた。
キング牧師の死後、シンガー・ソング・ライターのスティービー・ワンダーが「ハッピー・バースデイ」という歌を歌って、キング牧師の誕生日を祝日にしようという運動を起こし、現在、その日に近い1月の第3月曜日はキング牧師の名を冠した祝日になっている。
ドキュメント映画の巨匠、マイケル・ムーア監督が、自作の映画のなかで語っていたところによると、1954年生まれの彼は、キング牧師が暗殺されたときのことを覚えているそうだ。
彼が14歳のころのある日、教会からでてくると、通りにいた誰かが、
「キング牧師が殺されたってよ」
とニュースを叫んだそうだ。すると、あたりにいた白人たちからいっせいに歓声があがり、喜びだしたというのだった。
ムーア監督は、子ども心に、人が殺されたのを喜ぶのが信じられなかった、という。
キング牧師が暗殺された日は、調べてみると木曜日で、ムーア監督の話は、細かなところについては記憶ちがいもあるのかもしれないけれど、さもありなん、という感じはする。
米国の一部白人の差別意識というのは強烈で、根深いものがあるからだ。とくに南部は想像を絶する。
米国の人種差別について、多くを教えてくれる資料として、つぎのふたつをおすすめしたい。
映画「ミシシッピー・バーニング」(アラン・パーカー監督)
書籍『アメリカ南部黒人地帯への旅』上杉忍(新日本出版社)
日本人にも、生まれた場所や民族によって差別する人は多い。
しかもそういう日本人の多くは、自分が差別主義者だと意識すらしていなかったりする。
一般論をいうならば、合衆国の白人たちのほうが、長い歴史のなかで、差別問題についてきびしく決断を迫られる機会を多くもってきていて、日本人より、差別に関してずっと意識的で、目覚めている、という気がする。
合衆国の黒人一般についていえば、差別問題に関して、熱くなるな、というほうが無理である。
そういうことを考えあわせると、キング牧師というのは、度胸もすわっていたけれど、文字通りクールな頭脳のもち主だったのだなあ、と、あらためて感心させられる。
わが学生時代の教官の「人間的に大きな」ということばも、そういうことを指しているのかな、と思う。
(2013年1月15日)
著書
『コミュニティー 世界の共同生活体』
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』
訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
私には夢がある/新教出版社

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