1月3日は、『指輪物語』の作者、J・R・R・トールキンの誕生日である。
J・R・R・トールキン。John Ronald Reuel Tolkien (1892~1973)。
南アフリカで生まれたジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの父親は、銀行の支店長だった。
3歳のとき、彼は母に連れられて英国へ里帰りした。
父親も後を追って英国へくる予定だったのが、リウマチ熱のために南アフリカで急死してしまった。
それで、母子は南アフリカへもどれなくなり、英国にいる母親の両親のもとにとどまることになった、と、そういういきさつらしい。
母親は、家でトールキンに植物学について教え、トールキンも植物のスケッチをするのが好きだったという。でも、彼がいちばん興味があったのは語学で、5歳か6歳のころには、ラテン語がすらすら書けたという。
この辺に『指輪物語』の世界を構築する下地があったわけである。
母親は、トールキンが12歳のとき、急性の糖尿病で亡くなり、彼はカトリックの牧師に預けられている。
トールキンは、16歳のとき、エディスという19歳の娘と出会って恋に落ちた。
2人はひんぱんにカフェで会った。恋人たちが好んだのは、2階のバルコニーの席で、歩道が見下ろせるその席に陣取ると、彼らはシュガーポットから角砂糖をとり上げて、道行く人々の帽子の上にそれを落とすという遊びに夢中になったという。そうしてポットの角砂糖が空になると、べつの席へ移って、また角砂糖を落としはじめるのである。
若い恋人たちのあいだに、邪魔が入った。
当時、トールキンの保護者役だったカトリックの牧師で、その牧師は、この恋がトールキンの学業のさわりになると考え、21歳まで、いっさいの交際を禁止する、やめなければ、学業の支援を途中で打ち切る、とおどした。
それで、トールキンはエディスに会うことはもちろん、手紙を書くことさえ、ぱったりやめてしまった。
21歳の誕生日を迎えたトールキンは、その夕方さっそくエディスに、愛を告白し、結婚してほしい旨の手紙を書いた。
つまり、それは、1913年1月3日の夕べのことだった。
エディスには、そのときすでに結婚を約束したフィアンセがいて、というのも、トールキンはもはや自分には興味はないのだと彼女が考えたからだったが、事情を聞いたエディスは思案し、結局そちらの婚約を解消し、トールキンを選んだという。
ここから時代はさっと飛んで、20代後半に移る。
英語の最大の辞典といえば、いわゆるOED、オクスフォード英語辞典だが、トールキンはこの大辞典の編集にかかわっている。とくに「W」の項の単語を担当したという。
トールキンは大学教授としてオクスフォードで英語英文学を教えながら、ファンタジー小説『ホビットの冒険』を書きつづけ、ようやく出版にこぎつけた。彼が45歳のときだった。
トールキンは、この物語で、自分の研究していた学問的能力のすべてを駆使して、架空の歴史、架空の言語をもった架空の国の話を、ゼロから作り上げて創造して見せようとしたらしい。
そうやって作り上げた人工世界の話、つまり「ファンタジー小説」は、子ども向きの読み物として書いたところが、大人の層にも多数の読者を獲得して、ぜひ続編をとの要請がくるほどになり、そうして書き上げたのがつぎの作品『指輪物語』である。
ヨーロッパはもちろん、アメリカにも熱狂的な読者が生まれ、彼を学者としてでなく、ファンタジー小説作家として支持する人が多いのに、彼自身当惑した部分もあったらしい。
今日、彼の作品は、20世紀でもっとも人気の高い小説のひとつとされている。
トールキンは、1973年9月に81歳で亡くなっている。
妻のエディスは、その2年ほど前、1971年に82歳で亡くなっている。
夫妻は、オクスフォードの同じ墓に葬られ、眠っている。
子どものころから植物学、言語学に親しんできた教養、2階から角砂糖を落とす遊び心、ひたむきな恋心、と、そうしたものを集めてみると、なるほど、楽しい物語が生まれそうな気がしてくる。
それにしても、完全に独立した歴史、言語体系をもつ人工世界を構築しようと考える、その希望は理解できるとしても、それを実行しようとするのは正気の沙汰ではない。
トールキンという人は、ものすごい知力と、ものすごい体力をもった人だったのだろう。
(2013年1月3日)
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