世界を変えた砂糖の歴史② 奴隷解放から自立の道を勝ち取ったラテンの血 | 蝦夷之風/EZO no KAZE

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武蔵の国から移り住んで以来、日増しに高まる「北海道」への思いを、かつて「蝦夷」といわれたこの地の道筋をたどりながら、つれづれに書き留めてみます。

「砂糖のあるところに奴隷あり」

これは黒人の歴史家にしてトリニダード・トバコの初代首相となったエリック・ウィリアムズ(1911-81年)の言葉です。彼は被支配者の視点からカリブ海域の歴史を見直す中で、砂糖産業が奴隷制度なしには成立できなかったこと、また英国の資本主義の発展にいかに奴隷制度が「貢献」したのかを、その著『資本主義と奴隷制』で明らかにしました。

 

英国が世界で最初に産業革命(1760年代から始まり、1830年代まで続く)に成功し、その後、世界のリーダーに君臨したことは周知のことですが、なぜ英国が最初だったかについては長く議論の対象でした。「権威ある」歴史家の多くは、「イギリス人のピューリタン的な勤勉さと禁欲、合理主義の精神がそれを可能にした」と主張しましたが、ウィリアムズはこれに敢然と異を唱えたのです。「奴隷制度によって得た莫大な収益によって英国は産業革命を果たせたのだ」と。

 

1944年に出版されたこの問題の書は、白人の歴史家にはまったく相手にされず、無視されます。ようやく正当な評価を受けたのは、各地で植民地の独立が相次いだ1960年代になってから。トリニダード・トバコも1962年に英国から独立を果たしますが、同国の首相に就任したウィリアムズは、こう国民に語りかけます。

 

「人民が自身の歴史、自身の過去に関する適切な知識を持たずに正しい自立の途を歩むことはできない。インドやアフリカなどと地域を問わず、植民地における民族運動は、宗主国の歴史家の供給する歴史を書き改めること。宗主国が無視し、看過したまさにその地点において、歴史を書くことを喫緊のものとした」。

 

ウィリアムズは、英国(フランスも同様)が築いた収益システムは、大西洋を挟んで、ヨーロッパとアフリカ、カリブ海を結んだ「三角貿易」であったことを明らかにします。「三角貿易は英国の産業にとって一石三鳥の働きをした。黒人は英国で生産された製品と交換に買い取られ、プランテーションに輸送されて砂糖、綿花、インディゴ、糖蜜などの熱帯産物を生産し、(これらを英国に輸送することで)英国にこうした熱帯産物の加工処理のための新しい産業が創出された」と。これは後に中国とインドを相手に行ったアヘン貿易と同じ構図です。

 

「黒人奴隷貿易はほぼ1年半で元が取れる」(『甘さと権力』より)おいしい商売であり、英国がバルバドスで、フランスがマルティニークで成功したことにより、カリブ海は黒人奴隷であふれることになります。奴隷貿易の研究者である米国のフィリップ・カーティンによると、16~19世紀の間に、アフリカからアメリカ大陸に移送された黒人奴隷の総数は約940万人を数え、うちカリブ海へはその半数の460万人、英仏両国はそれぞれ160万人とほぼ同数に達します。またブラジルへは約365万人ともっとも多く移送されました(図1参照)。

 

図① アフリカからアメリカへ連行された黒人奴隷(『物語 ラテン・アメリカの歴史』(著・増田義郎)より引用

 

独立ラッシュを主導した2人の英雄

 

事態が変わるきっかけとなったのはフランス革命(1789年)です。スペインと手を組んでフランスに干渉しようとした英国は、砂糖の大産地であるカリブ海のフランス領サン=ドマングを乗っ取ろうと侵攻。ところが、西アフリカのダホメ王国の首長を祖父に持ち、革命政府の将軍だったトゥーサン・ルーヴェルチュールに撃退されてしまいます。勢いに乗るルーヴェルチュールは、フランス政府に対して奴隷解放を掲げて独立運動を展開。さらに跡を継いだジャン=ジャック・デサリーヌが、1804年に世界で初めての黒人による独立国家・ハイチ建国を宣言します。

 

すでにスペインの国力は目に見えて衰え、ナポレオンのスペイン侵攻などもあって、中南米でのスペインの威勢低下は明らかでした。本国から派遣されてきたスペイン人に代わり、中南米で生まれたスペイン系の人々=「クリオーヨ」が事業家や大地主として台頭してきます。19世紀初めのメキシコで見ても、人口の約2割、およそ100万人がクリオーヨといわれ、ハイチ独立は各地のクリオーヨの独立心に火をつけていきます。

 

中でも、スペイン人士官を父に持つアルゼンチン生まれのホセ・デ・サン・マルティンとカラカスの大地主の息子であったシモン・ボリバルの2人は、「南米独立の英雄」として今でも称えられています。彼らの主導によって、1820年前後に南米各地で相次いで独立国家が誕生することになります(図②参照)。

 

図② [ラテンアメリカの独立地図(19~20世紀) (C)世界の歴史まっぷ]を転載

 

キューバとプエルトリコを除き、この地域の元スペイン領のほとんどが独立したこともあって、英国は1833年に植民地における奴隷解放を実施、フランスも1848年には奴隷を解放しました。しかし、取り残されたキューバでは、ハイチから逃げ出したフランス人農園主によりプランテーションが広がり、1886年まで奴隷制度が残りました。そしてこの時を最後に、カリブ海域では労働の「自由」がほぼ達成される「形」になりました・・・。

 

バブル景気で肥え太った独裁者たち

1850年代から60年間にわたり、ラテン・アメリカは空前の好景気に沸いた

 

ところで、この独立ラッシュの背後には、実は英国の存在がありました。軍隊の派遣など、直接、手を貸すことはなかったものの、武器の提供などの後方支援のほか、独立後は巨額の投資や貸付、商業活動などによって経済的な支配を強めていきます。そして、彼ら英国人のカウンターパートとして政治・経済を牛耳ることになるのが「カウディーヨ」です。

 

「”カウディーヨ”とは、私的な軍事力を持つ政治ボスであり、子分たちと個人的関係を結び、家父長的な権威をもって政治を支配した独裁者で、腕っぷしが強く、頭が切れ、同時にカリスマ的な力を備えた人物でないとなれない存在」で、中南米各国の政治・社会を理解するには不可欠であると、ラテン・アメリカ研究家の増田義郎は指摘します(『物語 ラテン・アメリカの歴史』より)。その多くは前述したクリオーヨか、彼らの利害を守るメスティソ(ヨーロッパ人と原住民の混血)です。ラテン・アメリカが舞台の映画に出てくる親分は、みなこのタイプです。

 

1850年以降、「産業革命」が世界中で巻き起こり、都市化と人口増加の影響で食糧(砂糖、コーヒー、小麦など)や各種原料(銀や銅などの金属)の需要が急増し、中南米地域はその供給基地としてにわかに経済開発が進むことになります。突如訪れた好景気はすさまじく、1852年からの60年間で、中南米全体の年間輸出総額は1億5500万ドルから15億8000万ドルと10倍以上に跳ね上がります。そのうまみを一手に握ることになるのが「カウディーヨ」でした。

 

中南米経済は活況を呈し始めたものの、奴隷制を廃止した後とあって労働力が不足していました。それを埋めたのが「近代移民」と言われるイタリアやスペインからの貧農層とアジア勢の中国人や日本人たちです。そのため各地で人口が急増し、メキシコ市は100万都市となり、ブエノス・アイレスは「南米のパリ」と言われる繫栄を見ることになります。

 

しかし、都市部と違い、農村では国際市場に輸出するための換金作物、砂糖、コーヒー、タバコなどを作る大農園が続々と生まれ、土地を奪われた小作人は負債を負った生活を強いられます。貧富の差が激しくなり、「20世紀初めのメキシコでは大土地所有者などの富裕層は人口の1%、中間層は8%、残り91%が下層の農民になった」(増田氏)のです。

 

そして、第一次世界大戦で国力を失った英国に代わり、北の巨人・米国が登場するのですが、彼らは経済面だけでなく、政治への介入も辞さず、中南米を制御下に置こうとします。中でも1868年から10年に渡ったスペインとの第一次独立戦争で荒廃したキューバに介入し、キューバの製糖産業に資本投下して砂糖産業を支配すると、有名な「軍艦メイン号事件」を仕掛けてスペインに戦線布告し、キューバを事実上の属国にしてしまいます。

 

その後、第二次世界大戦後の1959年の「キューバ革命」でキューバは社会主義化してアメリカと対立しますが、経済封鎖にあったキューバは砂糖を特恵的な値段で社会主義諸国に輸出してソ連からの経済援助を得て自立の途を歩むことになります。

 

前述したウィリアムズが書いたカリブ海域史『コロンブスからカストロまで』の最後で、「カストロはカリブ海は砂糖偏重の傾向が強く、しかもその砂糖生産を完全に外国資本に握られていて、見まごう余地もないモノカルチャー的傾向を打破することが眼目だったので、工業化を促進して、経済の多角化を目指すべきとした。(中略)しかし、ゲバラはサトウキビ栽培ほど高利潤の得られる農業活動は他に見当たらないのに、その厳然たる事実に歯向かい、『サトウキビに宣戦布告したことは、カストロの失策のひとつだ』と指摘した」といいます。後にソ連を訪れたカストロは、「国際分業は不可避であり、キューバは自然条件からしてもっとも適した農業に特化すべきであるという思いを抱いて帰国した」ことを紹介。まさにこれは理想主義者のカストロと現実主義者のゲバラの違いを端的に表すエピソードと言えるでしょう。

 

『たかが砂糖、されど砂糖』

カリブ海で育った砂糖というお宝は、今も世界中で消費量を増やし続けています。