私は昔、高校生だった時、歴史好きの祖父とご先祖さまの事を調べた事がありました。


色々辿って調べた結果、先祖は大陸、朝鮮半島から渡って来た「渡来人」という事がわかり、以来ずっと自分はDNAからすると日本人ではなく、朝鮮人なのかな~と思っていました。(ちょっとガッカリ汗)


でも、ある時、katori1373さんのブログを読んで千葉県の芝山古墳からユダヤ人とそっくりな人物埴輪が数多く出土しているという事実を知って、とても驚いて…↓



↑ブログ内より写真をお借りしましたお願いあせる


それに関連した本を探していたら、この本に出会う事ができました。


 

とても面白い本でした!ひらめき気づき


まず、驚いたのは、古事記、日本書紀などの日本の歴史が記録された古代の書物に「東日本」に関する記述が全くない、という点でした。


明峰富士山富士山でさえ書かれていない、という驚きあせる


そんなバカなっ!


まるで、日本における記述すべき文化的水準が高い地域は、西日本にしかありませんでしたよ、と言わんばかりの感じ…


東側は、未開の野蛮人が住んでいるというような扱い…!?


でも、この本によると実際、文化的にも経済的にも発展していたのは東日本、関東の方だったといいます。


その証拠の1つが、芝山古墳から数多く出土された「人物埴輪」だそうで…。


「人物埴輪」は、圧倒的に関西よりも関東に多く出土していると言います。


すごく偏りがある。


古墳そのものも関東は関西の3倍以上も存在しているびっくり


それだけでも、西日本よりも東日本の方が発展していた、という証拠になるのかも。


では、なぜ西日本に比べて東日本の方が発展していたのでしょうか?


世界中の人々は、なぜか東方を目指し、理想郷を求めて東へ東へと移動しているそうで…


それは「太陽」が1つの指標となっていたのだとか…


みんな、太陽が昇る方向を目指して移動していった。(太陽信仰とかポカポカ暖かい方へ行きたいという気持ち。)


その終着点が九十九里浜あたりを指しているようなのです。


ここは、日本列島の中でも、何処よりも早く海から太陽が上るところ…


朝日を礼拝するのにとてもふさわしい場所。


なので、世界中の人々が集まり、自然と文化的にも経済的にも豊かでレベルの高い地域になっていったようなのです。


その中心を担ったのが、人物埴輪にも多く表現されている「ユダヤ人」


彼らによって、様々な技術がもたらされ、日本は益々豊かで平和な国となっていったようなのです。


でも…


私たちには、なぜか日本にやって来た「渡来人」は、中国や朝鮮からやって来た人々…という固定観念があります。


そして、中国や朝鮮からの叡智で日本が発展していった…と、思わされている…驚き


不思議。


それが、古事記、日本書紀に日本の中心が実は東国だったということが書かれていないという事実に繋がっていくというのです。


東国で活躍したユダヤ人たちの存在を抹殺するため?

 

ユダヤ人たちの功績を中国や朝鮮のものにするための悪意のある作為的な計画が古事記、日本書紀が作られる時に、なされていたのかもしれません。


私が、ご先祖さまのことをずっと朝鮮系だと思っていたのも、その計画にまんまとハマっていたからなのかもしれない…驚きあせる


私のご先祖さまは渡来人で、娘を崇神天皇の息子豊城入彦命と結婚させて、娘婿である豊城入彦命と一緒に関東へ渡ったらしいです。


今までは、ずっと朝鮮系の渡来人かとばかり思っていましたが、上記の本を読むとどうやらそれは間違いで、ユダヤ系の渡来人として関東で活躍したらしいのです。(この辺の細かい話は省きますが、とても面白いのでいつか書けたらいいな~と、思います。)


そして、このユダヤ系の渡来人たちが私たち日本人の印象にとても薄いのは、古事記、日本書紀で書かれなかったから…という理由だけではなく、すぐに同化したから…ということもあるようです。


ユダヤ系の渡来人は、日本の文化や生活、生き方にとても共感し共鳴して、これを壊すことなく共生していったようなのです。


その証拠が、ユダヤお得意の「高利貸し」を日本ではなぜかやらなかったということにある、と作者の田中英道先生は書いておられます。


普通、ユダヤ人たちは世界中の離散先で定住する際に、「高利貸し」を生業として生計を立てていたようでした。


日本でもそれをやろうとして、「和同開珎」などを作り出して貨幣文化を持ち込もうと思いましたが、どうもそれが上手くいかなかった。


お金に何かの価値を見出だすということに日本人たちはピンと来なかったらしい。


でも、そこでユダヤ人たちは暴力などで支配的に「貨幣を使え!」と強制することなく(そういう事ができる立場にあったにも関わらず)、日本の文化を尊重して、米とか絹などの物々交換で税のやり取りもしてくれた…。


それは多分、田中先生によると、そういう日本人の生き方をいいな~照れラブラブと思ってくれたからなのでは?ということみたいです。


日本人の暮らし方、生き方に"素晴らしい理想郷の世界"を見たからなのでは…と、書いておられました。


だから、世界でも唯一日本でだけ「高利貸しシステム」を持ち込むことはしなかったらしい…。


そして、大好きな日本に、あっという間に同化していった…ということみたいです。


古代の日本の東国は、ユダヤ人が感動するほど(恐らく他の国々の人々も)、平和で豊かな国で素晴らしい理想郷だったのかもしれないな~と、思いました。


ご先祖さまも、そこではどんな風に暮らしていたのかな、と考えると色々妄想が膨らんできて、ワクワクしてきますニコニコ音譜ラブラブ