オニュ(ONEW)クジラの中で見る僕らの夢 | ariさんは遊んでばっか

ariさんは遊んでばっか

面倒くさいと思いつつ、好奇心は旺盛。
好きなこといっぱい、楽しいこと大好き。

実は、前回のブログを書いてから

ariはなんだか少し落ち着かない気持ちになっていた。

 

ミニアルバム「DICE」の6曲目、ariが大好きな「In the whale」という曲

についてのことだ。

 

そもそも、なぜに、クジラの腹の中なんだ?

 

ariは自分で

「深い海の中を彷徨いながらゆっくりと漂い、沈みながら浮かんでいるような

不安定で癒やされる柔らかな世界感。」

 

などと勝手に感覚的な妄想を書いていたのだが、書いているそばから

ん?不安定で癒やされるって、・・・なに?と、心のどこかで引っかかっていた。

 

 

大好きなブロガーさんが、この曲を作詞したのはオニュ自身だと教えて下さったことで

ますます気になってしまった。

 

文筆家でもない限り、何かを書こうとする場合そこにはなにか

その時の自分の心情に引き寄せたものが

多少なりとも現れるのではないかと思えたからだ。

 

自分で書いた言葉に自分が引っかかっている時点から

すでにariの個人的妄想は始まっている。

作詞をされたオニュとソ・ジウムさんがこの歌詞について

これまでなにか語っておられたかどうについては、ariは全く知らない。

なので、以下の話はすべてari一人の空想と妄想です。

お気楽に読んで下さい。

 

本当は自力で和訳した歌詞で語るべきなのだけど、

動画を作って下さったmugi.さんの訳をお借りしてしまうことになるので、

なかなか言葉をここに書き出してしまうのは・・・・。

なので、そこのところを気をつけながら

ari流に読み解いた、この歌に込められた想いについて勝手に書かせて頂きたいと思います。

 

(ああ、我ながら懲りもせずに前置きが長いね あせる

 

whaleという単語は

辞書を引くとスラングとして素晴らしいもの、大きいものという意味もあるようだが

上に貼らせて頂いたO-NEW-NOTEの中の演出では

海の中の画像や鯨の鳴き声が表現されているので、

ここは素直に「鯨の体内の広い空間」ととらえて良さそうにも思う。

クジラの体内である。当然濡れているだろうから、そりゃ滑りやすい。

気をつけなくては!

 

いや、違うよね・・・????

(ari、すでに妄想開始)

 

 

足下が悪い。気をつけて歩かないとすぐさま足下をすくわれる。

油断をしたら転んでしまうかもしれない。そんな世界に彼はいる。

 

彼を飲み込んでいる一頭の巨大なホエール(whale)は、実はHollを暗示する。

今まで多くの場所、多くの国で、数々の公演を行ってきたコンサートホール。

これがこの妄想の大前提。どうもクジラの体内では詩に違和感があったのだ。

 

(すり鉢状になっているコンサートホール。

舞台から見上げるアングルの映像を見ると、

実際に天井部分には本当にクジラの骨組みにも似た鉄骨が巡らされている。)

 

無数に散らばる赤いライトはクジラの腹の中で揺らめく柔突起のよう。

この場所にいると昨日と今日の境目もどこにあったのかわからない。

彼は多くの時間、ずっとそこにいて

自分が今、一人の人間として生きているという現実が、

誰かが見ている長い夢のように思えている。

 

誰かどこかに行ってしまいそうな僕をしっかりと掴まえていて。

 

大きな歓声に包まれながらも、心の中の音がふと鳴り止む。静寂が広がる。

僕らとは、5人のこと。

クジラに乗って海を渡り、その旅はいつも探検のように予測がつかない

 

不安な気持ちに襲われたとき、自分が危ういことを彼は知っている。

顔のない正体もわからないたくさんの人達から向けられる様々な気持ち。

どんな気持ちも容赦なく、全部彼の元に波のように押し寄せて

それが辛くても重くても自分をかばう方法はなく

流されまいとただ足を踏みしめてやりすごす危うさ。

 

でも、自分の気持ちはきっと誰かに届いていることを彼は信じている。

終わったとしても、そこからまた何かがはじまっていく。

 

この世に永遠など一つもない。

いずれは僕らのことも過去形で語られ、やがて古い記録の一部となることを知っている

でも、あなたは

懸命に生きていた僕らのことを永遠に心の中にとどめていて。

 

僕らの音楽はいつまでもあなたのそばにある

 

僕らはこれからも見知らぬもっと遠くまで探検を続ける

 

うお座

 

はい。すみません。ariの妄想劇場でした。

いわゆる「信じるか信じないかは、あなた次第です!」ってやつです。

 

歌われている歌詞が本当に当時の彼の心情をシンクロさせた歌詞だったのかや

クジラの体内がコンサートホールになぞらえた言葉だったのか。

そもそもariの妄想に欠片でも当たっている部分があったのかどうかは

書いたご本人達に聞いてみないと、なにひとつわからない。

でも聞けるはずがないので、勝手に想像してみた。

 

オニュの消え入りそうなほど押さえた歌声と、

始まりから終わりに至るまでのどこかグレーな曲調。

ariはこの曲に一目惚れならぬ一耳惚れしていた。

なのでどんな気持ちを歌った曲だったのか、ariなりに理解したかった。

 

いろいろな方の和訳も見せて頂いていて、最初は「僕ら」の「ら」と

「あなた」は同じ人なんだろうと思っていたのだが

アイドルが使いがちな「あなたのそばにいるよ」というフレーズだけが

どうも浮いている感じがして、なんだかしっくりこないでいた。

 

ariが書いた「癒やされる・・・世界感」という言葉は、

こうしてみると当たりではなかった気がする。

 

ただ感じるのは、

 

この中にいる「僕」の視線の先が

とても遠くにあるのだな、ということ。

 

一頭のクジラが今、日本に泳ぎ着いている。

 

 

 

歌から受け取る世界感は無限。

 

これを読んで下さった方は、この歌をどう感じられましたでしょうか。