娘の誕生日 | がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

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「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

ブログをお休みしている間に、娘の誕生日がありました。

今年のお誕生日は家族で祝いました。 

娘の誕生日は、私にとって、もちろん喜ばしいものではありますが、別の意味でも、私にとっては感慨深い日であります。



娘の誕生日は、私が39歳の時に、ガンの手術を受けた日でもあるのです。 娘の誕生日であるが故に39歳のあの日は私にとって余計印象深い日になりました。




39歳のあの日、私は前日から不安と恐怖で、全く眠れませんでした。いつもの量の睡眠導入剤では全く眠れず、少し多めに薬を出してもらい、やっと眠りに着きました。 そのおかげで、何も考えることなくぐっすりと眠ることができましたが、朝起きたら現実が待っていました。


朝いつも通りの時間に起こされ、手術の準備が始まりました。 主人と弟が来てくれました。

手術の時間を待つまでの時間はとても長く感じました。 手術の時間が近づき、手術着に着替えました。

ストレッチャーに乗せられ手術室に運ばれました。 私の心は恐怖と不安でいっぱいでした。



手術室に入ると、ストレッチャーから手術台に移されました。 テレビドラマで見るような手術室の大きなライトが見えました。 周りにはいろいろな機械がありました。 手術室で忙しく準備をしている看護師さんたちが見えました。 いよいよ手術が始まるのだと思いました。 

 


どうしてこんなことになってしまったのだろうと涙が出ました。 手術の結果が悪かったらどうなるんだろうと心配しました。 どうして私がこんな目に?  こんな目に会うほど、何か私が悪いことをしたのだろうか? 私が死んだら、子どもたちはどうなるのだろうか? 今日は娘の誕生日なのに・・・と色々な思いが頭の中に浮かびました。 

もう「まな板の上の鯉」なのだから、運命に身をゆだねるしかないと頭の中ではわかっていましたが、緊張と不安と恐怖でいっぱいでした。



そんなことを色々考えているうちに、麻酔科の先生が来て、私に全身麻酔をしました。 だんだん意識が遠くなっていきました。 意識が戻ったときには、手術はすべて終わっていました。 私はICUに入れられました。 

気付いた時には、口には、酸素マスクが付けられ、体にはいろいろな管が付いていました。 痛み止めが使われていたせいか、痛みはそれほど感じませんでした。 手足は動かせましたが、起き上がったりはできませんでした。 麻酔がまだ残っていたのか、強い痛み止めのせいか、ウトウトして、寝たり起きたりしていました。



主人が、ICUに入って来て、私の意識が戻ったがわかると、少し会話をし、そのあと、娘の誕生日を祝うために家に帰って行きました。 



私が39歳の時の娘の誕生日は、こんな一日でした。 娘の7歳の誕生日でした。




今も、あの時の自分を思い出すと、悲しくなります。

毎年、娘の誕生日を迎える度に、「あーまた1年生きられた。」と思います。

「これで術後何年だ」と、毎年手術をしてからの年数を数えます。



自分が思っていたより、長く生きてこられました。 何が良かったのかは、まったくわかりません。

娘の誕生日は、娘の誕生を祝う日であるとともに、私にとっては、与えられた時間に感謝し、これからも大事に生きていかなければと、改めて、思う日でもあるのです。