老人ホームで見たこと | がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

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「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

私の母は、今老人ホームで生活しています。

半身不随で、認知症もあり、着替えも、お風呂も、トイレも一人ではできません。

右手は使えるので、なんとか、食べることはできますが、マヒのせいか嚥下もうまくできません。

認知症は、年々進み、ぼーっとしたり、混乱することが多くなってきました。



母に会いに老人ホームへ行くたびに、いろいろなお年寄りを目にします。

皆さん一人で生活をするのが難しい方ばかりです。

ボーっとしている人、ずっと叫んでいる人、他の人の部屋に勝手に入ってしまう人、何かが気に入らずずっと怒っている人、 人形を赤ちゃんだと思いこみずっとあやしている人など、今までに色々な人をみてきました。

家族が誰も面会に来ない人、脱走しようとする人、暴力をふるう人、寝たきりの人など本当に色々な人がいます。

認知が進み、若いころに戻ってしまう人、監禁されているから警察を呼んでほしいと叫ぶ人、こんなところにいたら殺されると騒ぐ人、昼夜が逆転する人、混乱した頭で混乱したことを話す人・・・数え上げたらきりがありません。



老人ホームは24時間看護師が常駐し、健康管理はしっかりなされていて、ちょっとでも具合が悪くなるとすぐ医者が呼ばれ、薬をだされます。 私たちよりも手厚い医療体制です。

これでは、国の医療費もかさむなと納得してしまいます。



母も老人ホームで暮らしている他の方々も、こんな老後は望んでいなかったでしょう。

私の母も、クモ膜下出血で倒れ、意識を取り戻し、半身が動かないということに気付いた時、何で命を助けたのかと、怒っていました。 母は「自分が倒れていたら、救急車を呼ばず、そのままほっておいてほしい、 自分のことが自分でできなくなって生きるのは嫌だから」とずっと言っていました。 

でも、家で倒れている母を父が見つけた時、一瞬父の頭にも、母が常日頃言っていた「救急車を呼ばないで」という言葉がよぎったそうですが、放っておくわけにもいかず、救急車を呼んだのだと後で言っていました。

治療すれば、治るかもという期待もあったとも言っていました。 

でも、結果は母が望んでいない、最悪の形になりました。

命は助かりましたが、半身不随と認知症が残りました。



介護は本当に大変で、最初は父が一人で面倒を見ていました。 よく頑張っていたと思います。

私も手伝えることは手伝っていました。

やがて、父の具合が悪くなり、娘の私もがんになり、母の面倒を家でみることがだんだん難しくなりました。 母には、老人ホームに入ってもらうしかなくなりました。

母が倒れてからもうすぐ20年、老人ホームに入ってからももうすぐ10年になります。

母の老後は、本当に苦しいものになりました。



私は、母のようには絶対なりたくありません。

老人ホームに入居されている方を見ると、幸せそうには思えません。

少なくとも私の母は「幸せではない」と母自身が自分で言っています。

本当は、母を家に引き取り、家族で面倒をみられれば、母ももうちょっと幸せになれるのかもしれませんが

いつまで続くかわからない母の介護を家でする勇気が私にはありません。

介護の辛さは、いつまで続くかわからないということだと思うのです。

いつまでと期間が決まっていたら、1年とか2年とか期間がきまっていたら、まだがんばれると思うのですが・・・。



 

一生懸命生きてきたお年寄りたちの最後がこれでは悲しい気がします。

老人ホームは、ほとんどの人が死ぬまで出ることができません。

老人ホームに行くと、いくら長生きしてもこれでは・・・といつも思ってしまいます。



私はがんで、若くして死ぬかもしれないとずっと思ってきました。

若くして死ぬのは本当につらいです。 誰も、絶対若くして死んでほしくはありません。



でも、老人ホームに入居している方々を見るたび、こんなことろで、長く生きるのもつらいなと思うのです。必要以上に長生きするのも、苦しく、つらいことです。

私の母は、62歳でクモ膜下出血で倒れました。 それからもう、20年も半身不随の生活です。 認知もあり混沌とした世界に生きています。 私はそれをそばでずっと見てきました。

母はがんではありませんが、 母の運命も過酷だなと思います。

自分のことが、自分で出来るうちに、認知症になる前に、老人ホームに入らないですむうちに、人生の幕引きができたらいいなと、母がクモ膜下出血で倒れた年齢に近くなってきた私は最近思うのです。