退院後も、私の気持ちは常に不安定でした。
何かに夢中になっている時は、忘れられるんですけれど、夜布団に入ると、頭の中を恐怖と不安が駆け巡って眠れない・・・。 それで、睡眠薬に頼る・・・。 こんなことの繰り返しでした・・・。
このままではいけない、睡眠薬に頼る生活から、抜け出さなければいけないと思っていました。
そんな不安定さが嫌で、心のよりどころを求めて、いろいろな人のがん闘病記を読んだり、
ホスピスの情報を集めたり、死についての本を読んだりしていました。
でも、煩悩の塊の私には、なかなか心の平穏は、得られませんでした。
一方で、もし、私が死んでも子どもたちが困らないようにしなければならないと思う冷静な私もいました。
私が死んだら寂しいのはしかたがない。でも少しでも困ることのないようにしなければならないと思いました。 つまり、家事をしっかり覚えさせ、精神的に強い子にしなければいけないと思ったのです。
少しでも早く、自分の事は自分でできる子どもにしなければならないと思いました。
そこで、10歳と7歳の子どもたちに、家事(料理・洗濯・掃除・アイロンかけなど)を教え始めました。
娘は、 10歳の頃には、1人でハンバーグを作り、ピザを生地から作り、チーズケーキを作ったりしていました。 とてもおいしかったです。
リンゴの皮もまるごと剥けるようになり、小学校5年生のときの、家庭科のリンゴの皮むきの授業でほめられたと、のちに言っていました。
「他の子はできなかったんだよ~」と嬉しそうに言っていたのを思い出します。
今の娘よりも、あの頃の娘のほうが料理がうまかったような気がします。 一生懸命、私を手伝ってくれていました。
息子にも同じように、料理を作らせていましたが、あまりやる気もなく、あまりうまくなりませんでした。
それでも、小学生の時は、彼なりに手伝ってはくれていましたが、思春期に入ると親はどうでもよくなった(?)みたいで、あまり手伝ってくれなくなりました。
私がぶつぶつ文句を言ったり、怒鳴ったりすると、しかたなくやっていました。
私は、子どもの為に必死だったのに、思春期の子どもの態度は正直頭にきましたが、成長の過程だからと自分で自分を納得させました。 2人とも大きくなるにつれて、手伝ってくれなくなってきました。
私が案外長生きしているのに安心したのと、自分の勉強や、仕事や、つきあいが忙しくなってきたからなのでしょう。
「親の心子知らず」ということですね。
更に、更に、 私は、私が死んだあと、子どもたちが困るかもしれないことを、いろいろ想像し、こういうときはこうしたらいいのではないかとか、こういうことで悩んだ時は、誰々に相談しなさいとか、 いろいろなアドバイスを書いたノ-トを2人の子それぞれあてに作りました。
2人の子どもの思い出とか、病歴とかも、ノートを作って書きためました。
私が死んだら、子どもたちの赤ちゃんの頃の思い出や、子どもの頃どんな病気をしたかを話してくれる人がいなくなるから・・・と思ったからです。
今思うと、考えすぎ、やりすぎだったかなと思いますが、退院した頃の私は必死でした。
何かに打ち込んでいないと、おかしくなってしまいそうでした。
結果的に、これらのノートはどちらも活用せずに済みました。
幸いなことに、アドバイスも、思い出も、病歴も、私の口から、子どもたちに直接伝えることができました。