今年はじめたこととテヒョンさんへの愛 | cavaさんのこと

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推しがいる生活。あれこれを綴った雑記帳

 

今年になってやめたこと。

おみくじを引くこと。

とにかく大好きで新年とか関係なく機会があれば引いていた。

今年の初詣のとき、急に今年はいいかなと思ってやめた。

なんとなく、そういう時期(どういう時期?!)なのかなということで。

 


今年になってはじめたこと。

ボランティア。

お金を払って通う習い事。

 

友人が去年から美術館のボランティアをはじめた。

具体的には「対話による美術鑑賞」という取り組みを勉強して、小学校の授業の中で子どもたちに教えていくというファシリテーターの役割。

 

この「対話による美術鑑賞」というのは

作品を見る人が感じたことを言葉にし、他の人の意見も聞きながら考えを深め、作品の本質に迫ろうとする鑑賞方法のこと。1980年代にニューヨーク近代美術館(MoMA)で研究・開発され、今では世界各国に広まり、美術館での作品鑑賞や学校の美術の授業などに取り入れられいる

—サイトからの説明より。

 

研修は1年間もあって、内容もボランティアと思えないほど深いもの。この美術館では子供向けではあるけれど、大人でも十分発見がある。大切なのは、自分の意見を押し付けないこと。意見がない生徒、意見を持っている生徒両方を尊重する。ひとりひとりが思う「これってなんだろう?」を伸ばすために正解を伝えないこと。そもそも芸術に正解なんてない。

 

題材となる目の前の絵(作品)を通して、いかに発想を広げていき、その場にいる第三者(この場合生徒たち)と意見を交わしていくか。その対話の過程で、個人の偏った生活環境からくる発想・思考なども浮き彫りになるから、自分の癖を発見できるし、成長過程の子供たちにとっては、ことば(表現)を学ぶきっかけとなる。

 

この話を聞いて、なにそれーーー!!興味ある心理学要素もあるしわたしもすっごくやりたい!と思ったときは時すでに遅し。

今期ボランティア募集期間が終わっていた。

 

突如芽生えた、仕事ではなく社会と関わる願望を頭の片隅に抱えながら、年末にネットサーフィンをしていたら、今回のボランティアが目についた。友人の「対話型学習」ではないけれど、アート系のボランティアだった。

美術館よりももっと住民に近い、市民ギャラリーで開催される展覧会での鑑賞サポーター。

内容としては、展示される作品の中から自分が気になる作品を選び、その説明文を250字程度で書くことと、展覧会当日、来館されたお客さまと一緒に、自由に会話しながら作品を楽しんだり、作品紹介をすること。

 

今年は応募者が多かったらしく、わたしは運良くスタッフとして選ばれた。

 

今年からはじまった全4回の研修、ちょうど昨日は3回目。説明文は先週に完成した。わたしは文章を書くことが大好きなので、事実と自分の意見を明確にしながら、誰が読んでもわかりやすく書き上げることはとても勉強になった。もっと書きたい!という思いが溢れ出す。研修で発表する前に、親友にも客観的な意見をもらいながら、最初に試行錯誤したかいあって、一番乗りで校了した。

 

ボランティアスタッフの年齢は様々。どちらかというと年齢層は高め。去年も経験したまあまあ高齢に見えるおばさまやおじさまもいる。このおばさま、おじさまは積極的にハキハキ発言してはつらつとしてる。


いつもいる環境ではないひとの発言を聞くことは勉強になる。

仕事のように金銭が絡んでいないから変な遠慮もなく、「どうであればお客さまが作品を通して展覧会を楽しめるか」と、目標もただひとつだけ。

自分の文章や考えにもっとこうしたらどうか?とアドバイスがきたとき、素直に認められるかどうかは大きい。

誰かさんもやったらいいのにね。

 

今月末が展覧会初日。どうなるかまったくわからないことも、また楽しみのひとつ。

 

 

 

次は、アートスクールのこと。

親友の美大出での彼に「◯◯ちゃんは発想力があるから基礎を学んだらもっとよくなると思う」と言われたのが昨年末。そのときは、下手に基礎を習ってしまうと、技術が足枷となって自由な発想がしぼみそう、と思っていた。

だけど、たしかに対象物を見たまま描くことが苦手ではあって、それがコンプレックスでもあった。

基礎を知ったうえで自己流に崩すことはよくあることだし、これは苦手を克服するにはいい機会かもしれないと考えを一変。

まずは体験に行ってみようと、自宅から通いやすいアートスクールを探していたら、アドバイスをくれた親友の彼が「ここはどう?」と見つけてきてくれた。仕事柄アートスクールや美大の先生と会話することが多い彼は、商売優先で生徒たちの将来を考えてきちんと教えない現実に怒っている。たいして教えもせず勝手に描いてねと放置の学校も多いからと探してくれたらしい。

その彼が探してくれたアートスクールに先月末に体験に行き、1時間ほどデッサンをしてみて、その場で入会を決めた。雰囲気も学校の体制もよさそうで、まずは月2回からやってみることにして。

 

自分がすきなときに行っていい自由さも、わたしには合っている。

月内で1回3時間の授業を、わたしの場合は2回消化していく。課題も学校から与えられるのではなく個人の自由。なにを描いてもいい。

 

仕事がワサワサせわしなくなっている今、ぽかっと時間が空く日があって、前日「よし!明日午前中から教室に行こう!」と翌日計画通りに実行。教室にいる先生は曜日ごとに異なっていて、体験のときに教えてもらった物腰が柔らかい男性先生ではない、声が高い女性の先生だった。

 

わたしの目的ははっきりしていて、人物デッサンを学びたいこと。それは大好きなテヒョンさんを描きたいから。

一応、テヒョンさんのポスターを持参して先生にモチーフの相談をしてみる。

個人の好き好きだから、初回からテヒョンさんをモチーフにしてもよいけれど、基礎が身につくまでは、平面ではなく立体になっているデッサン用の石膏像がよいかもしれないとアドバイスをもらった。

確かにそうかもと、素直に納得して石膏像に決めた。

 

まずはじめに、スケッチブックの中にどうやってモチーフをおさめていくか、余白も作品のいち要素として考えていく。

そして、大枠の輪郭を消しやすい柔らかめのえんぴつで描いていき、それが出来たら、光の角度をよく観察しながら面をとらえて、明るい場所と暗い場所がどこかを見極め、暗い場所に影を描いていく。

この影もみんな同じ暗さではなくて濃淡がある。その時の先生は、ある程度大枠の影を描いたら、一番暗い影を早い段階で描き込んでから、徐々に濃淡(徐々に薄くなる影)をつけていくのがいい、とアドバイスをもらった。

 

物が立体に見えるのは、自分が思っているよりも明るい場所より影の存在があるから。

影が明るい場所を引き立てているようで、まるで縁の下の力持ち。

 


デッサン中、自分の目線が少しずれただけで見え方は変わってしまう。

正確に物(対象物)をとらえることは、ものすごく難しいし集中力がいる。集中するから疲労感もすごい。

 

デッサンをしてみて、これって人生みたいだなと思った。

明るいことも暗いこともあるからこそ人生であり人間はそういうもの。

そんなようなこと、テヒョンさんも過去のインタビューで話していたよね。

まさにその通りかもしれないと、デッサンを通して気づく。

 

途中、立ったり、少し離れたりして、自分が描いているデッサンが狂っていないかを確かめる。

この行為も、他人とのコミュニケーションに似ている。

ずっと同じ視点で見るのではなく、多面的にながめてみる。

 


わたしがスクールに行った日は、わたしとは違う石膏像をモチーフにしてデッサンしている生徒さんが2人、立体物をモチーフにしてデッサンしている生徒さんが1人いた。

3人ともとても慎重に線を重ねていて、特に石膏像をモチーフにしている生徒さんは、先生から「いま全体的に柔らかい印象なので、もっと濃い影を描き入れたほうがはっきりする」とアドバイスされていた。わたしは先生に、濃い影を最初に入れたほうがいいと言われた瞬間から、なんの躊躇もなくガンガン入れていて、先程の生徒さんは再度先生から同じアドバイスを受けたときに「もっと濃い色を入れるんですか??」と驚いていた。彼はたぶん美術関係の学生かな?初心者ではないと思う。

 

絵を描く行為は、性格がでるのかもしれない。

わたしは早く慣れるためにも数をガンガンこなしたいから、とにかくあまり深く考え込まずガシガシやっている。

アドバイスに従って実践あるのみ。初心者だから、言われたことをそのまま素直にやって基礎を知るしかない。

だって、その先にはテヒョンさんを描く目標があるからね。

楽しみがあるのは強い。

 

久しぶりにお金を払ってなにかを学び、いままでやったことがないことを学ぶ。

やっぱり投資するって大きい。本気になる。

もちろん、根底に”楽しい”がないと、投資だろうが無料だろうが、結局は続かないけどね。

 


デッサンを続けていると、物の見方も変化してくる気がしているから、その辺りも楽しみ。

 

 


今日は久しぶりに絵が描ける時間ができてご機嫌な日曜日。

2020年グラミーの全身ブラックコーデのテヒョンさん。わたしが大好きな黒髪巻毛のテヒョンさんを添えて。