6w2dでの別れ | エマ44歳→45歳★超高齢不妊治療からの初めての育児日記★

エマ44歳→45歳★超高齢不妊治療からの初めての育児日記★

約3年前から高度不妊治療を開始し、初回の採卵で妊娠するも6wで流産。そこから2年間音沙汰なしの日々が続き、昨年4月の採卵、5月の移植にて妊娠、今年2月に待望の第一子が誕生しました。
現在は老体にムチ打って育児に奮闘中!

本日、長いですショボーン


翌朝、夫とともに改めてクリニックを訪れました。
hCGが20,000近くになってて、一安心して会社に行くつもりで。



でも現実は甘くなかった。

hCG:145


ダメかもしれないという気持ちと、きっと大丈夫だという思いと。
やっぱりダメだった、やっぱり・・・


泣き崩れました。

クリニックにいるのがくるしくて、
すぐに(診察券も放置で)帰りました。


帰宅後、夫はクリニックへ。
1人になった私は、その時間に耐え切れず母に電話。
…出ない(前日も出ず折り返しもなかった。あとから聞いたらサイレントにしたまま忘れてたと)。


仕事中と思いながらも妹に電話。
…やっぱり出ない。
と思っていたら折り返し来たので、
実は…と今までのことを簡単に話しました。

初めて話したので当然ビックリ。
と同時に何て言っていいかわからない様子でした。
そりゃそうですよね。姉の妊娠と流産を同時に聞かされて。


その後母とも話しました。
不妊治療してることはもちろん、妊活をしてるなんて話すらしてなかったのですが、
体外受精して妊娠反応出て、でもダメになったゃったと話したら、

「エマ、辛いなぁ……」と。


堰を切ったように今までのこと、思い、一気に話しました。
話していたら少しずつ落ち着いてきました。


「お金の心配はしないで、もう一度やってみたら」

最後はそう言ってくれました。

実際には援助してもらうことはしないと思いますが、
その言葉でなんだかとても救われました。


その後夫と色々話し、それから改めてクリニックに話に行きました。

クリニックの話では、hCGがガクッと下がっているので、今回の出血が終わったら採卵周期に入れるかもしれない。
それを判断するために、週末ホルモン値見ましょうということでした。

思ったより早く次に進めるかもしれないということがわかり、少し前を向けました。


私も大分落ち着いてきたので、久しぶりに飲みに行きました。
本来酒飲みの私ですが、この日はさすがに酒が進まず、ビール一杯だけ生ビール

ちなみに、移植してからはノンアルビールを飲んでましたが、随分クオリティ高くなりましたね~


脱線しました。


まだ次どうするかは決めてませんが、いっぱい話して、少しずつでも確実に前に進んでいきたいと思います。