Ferrari 275F1 1950年 | パパネコのスポーツカーは楽し!

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車歴は26歳からの45年間で20台目。オートバイは引退。
自転車は1993年購入のビアンキ。乗馬もたまに。パラグライダーも経験。
乗物は全てがスポーツだ!
sportの語源「disport(気晴らし) = dis(離す)+ port(運ぶ)」
気持ちを別の所に運び去る、気持ちを解放する。

飼猫のブンちゃんを犬猫病院に連れて行った。


夜まで点滴とのことで預ける。





帰りに書店に寄ると、赤いミニカー付きの本が目に付いた。


『hachette collection Ferrari F1 vol.37公式フェラーリF1コレクション』


買った。1990円也。








パパネコ先生のスポーツカーは楽し!-275F1left

1/43のモデルカーが付いている。




1950年、初のF1世界選手権が開催された年、フェラーリは275F1、そして375F1を投入する。





その275F1がなかなか気になるのだ。1950年という年が。


自分の生まれが1950年3月だから・・・


戦後まだ5年しか経っていない。





あの第二次大戦は、


1940年(昭和15年)に日独伊三国同盟


1945年(昭和20年)硫黄島の戦い。東京大空襲。広島への原爆投下。ソ連対日参戦。長崎への原爆投下。ポツダム宣言。玉音放送。降伏文書調印。





・・・で、終結したが、それから五年後には、日本はまだまだ復興途上だったのに、


同じ三国同盟のイタリア人はフェラーリでF1に参戦しているのだ。





そのマシンである。Ferrari 275F1


ドライバーはアルベルト・アスカリ (大活躍を続けるものの、1955年モンツァのサーキットでマシンテスト中にコースアウトによる事故で逝去。)





エンジン


フロント縦置き、60度V型12気筒 3322.34cc


221kw(300ps)/7300rpm


SOHC、各気筒2バルブ、ウェーバー42DCFキャブレターx3


重量 850kg(冷却水、オイル含む)


最高速度 280km/h







この1950年という年は、朝鮮戦争が勃発しており、本田宗一郎はまだ98cc2サイクル単気筒のドリーム号D型を作っていただけである。スーパーカブを作るのが1958年。





この彼我の差は、何だろう。日独伊三国は同じ敗戦国なのだが、イタリアではこのマシンが熱く人々に支えられており、F1レースに熱狂していた。一方、日本では焼け跡闇市で必死になっていたのだ。


 日本にも鈴鹿サーキットができるまでには後12年も待たねばならなかった。





自分はそこから現在までの歩みをスポーツカーを軸に考えてみるために、このミニカーを即買ったのかもしれない。





こういう衝動買いは、後悔しない。





今、日本と、世界と、文化と、経済・政治あらゆる「現在」を考えるきっかけのアイテムに、


このミニカーがなっているから。





では、週末の一杯をワイン・・・と思ったら、





忘れてた!





猫のブンちゃんを犬猫病院まで引き取りに行かなくちゃ!!!








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(写真撮影は全て筆者。カメラLUMIX GH1 レンズG VARIO 1:4-5.8/14-140 径62mm、室内自然光。)