そのお賽銭 生(活)き金、死に金、迷惑金属、・、・、・。? | 神社だいすき

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神様、神社が大好きなパパくんのブログ

     美し心を  掛ける時  箱にこそ  廻り還らん

自ら賽銭箱に入れてこそ、活用され正常に廻り戻る。

しかし、参拝にお賽銭は必須とは言えない、実際私は、通り掛りに挨拶、心のみ留める参拝も行っております。

参拝時よく見かけるのは、放置されたままの金属。他の方の力借りなければお賽銭とはならない。

何か理由があり、そこに置いたと思うが、よく考えて下さい、その後どうなるか。

一旦置いたとしても、自ら賽銭箱に入れるのが、最善であることを。

置いた方の願い叶いますようにと、よき感情で接し処理される方に廻り会えても、

他の方に手間を掛けています。

そのような行為,寺社内で行って

しまってます。

場所によっては、付着していた汚物、錆他物質を放出します。そのまま埋もれる事もある。

自ら賽銭箱に入れない限り、死に金、迷惑金、・、・、・を置いて、参拝終えてしまう。

私は、ご神体は感情を記憶する2対の磁気左右回転体と考えていますので、参拝時の感情に気をつけております。それでも、生き金以外見つけた時、咄嗟に湧く感情が未だに制御出来なく、感情を修正しております。

お札等賽銭箱に詰まった生き金になりかけを見つけた時、どうするか?後押し(完結)させて頂きます。

コイン落としの要領で、五円玉お札落ちるまでゆっくりと乗せる

これも喜捨の1つか  と考え、五円玉多く車に乗せ持ち歩いてます。

私は、賽銭箱拭き掃除行っております。そうすればゴリヤクあります。(そう言われればウキウキしますね。)

とは一切言うつもりはない。賽銭入れれば、汚れます。(参拝行為で、知らず、知らずの内に汚したり、乱した箇所があるのです)汚れ取るのが主ではなく、汚した責任取ってます。神職様常駐されておらず、氏子が掃除、管理されている神社であるが故、可能な箇所がある思いますが。

寺社で福銭拾いました

お花畑系(推し系)?の記事目に止まりました。拾い勝手に交換して持ち帰る、初めに言い出した方に問います。神仏本当に人間社会において、犯罪に近いことお伝えしますか?熟考してみて下さい。色々あるが、その賽銭持ち帰ることにより、他の方の願いや思い断ち切ったかも知れない事を。(特に高齢者が、賽銭箱向かう階段上がれず、投げ入れようとして、失敗した硬貨)

 

 

 

上記記事に私はコメントさせて頂てますが、このような対応が正常です。

刑法第254条 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料に処する。 占有離脱物横領罪のことを「遺失物横領罪」ともいう。違法かつ有責とまではいかない行為だが(価値を自己に帰属させる気はないが、人の占有を離れた物を自分の物にする気持ちはある)、当てはまっていますね。たとえ聖地でも裁かれる事ないからと、行ってもいいのか・・・と言う世界。太古から、人の物勝手に持ち去ってはならないという戒律ありますね。そう、両替感覚で、軽く考えても、相手方の同意得ていない行為ですし、考えようによれば、罪を犯したので、賠償している。(他の方の占有離れた迷惑金属に成り下がった物を持ち帰っているかも)。

上記のような、社会通念で、解決可能な事象を態々、御祭神の名持ち出し、祝詞と同じような口調ではないのに会話したとし、批判を正当化する記事もある。神様の声と確信しているなら、立証責任果たした後、公開すべき。私の場合、体感で得た情報の一部を、その神社の宮司様しか、知り得ない事柄の場合、直接お聞きし、照合、裏付け行い、立証試みる。これは、記事書き続ける前提である。

貴方が信じている事が覆る恐怖に打ち勝って真実に向かい勇気出し、試みてください

 

人が作った戒律を破る事を取材(自己の利益生み出す為、御祭神に対しインタビュー感覚)と称し、全国津々浦々の寺社一見参拝(チャラ参拝)し、寺社内で行う事推奨する。果たして会話の相手は?

神仏と会話の練習など、家で狐狗狸さんするより遥に危険。安易に叶えたい欲望につけこまれる。僧侶、神職様そんな事考えますか?学んだり、修行他を通じ、自然と理解されるもの。霊感より、霊格(智)。智とは、神仏が示された事象の隙間に存在する。話せるなど拘りはないでしょう。無闇に霊感等、上げる必要がどこにあるのか?上げたい理由を考えて下さい。同じ理由を持つ存在の世界に誘い込まれる危険性を。弱肉強食。弱ければあらゆる意味で食われるかも。または、自分で裏付けとり、確認する事怠り、勝手に神の声と言い張って正当化する自分の姿。参拝行いかつ、ある意味集中している時に(境内散策して得ようとするのは、程遠いです)、私の場合は、目を瞑った状態で、正中(横正中)を正確に捉え、1ミリ違えば違和感生じるまでの、30分以内(解り易い表現では、立禅時喝を入れず、再び空寄りにしない時)に現れ欲望を叶えるようとする存在とは?

 

 

 

 

 

それを知る手掛かりは上記プログ内に親切、丁寧、爽快に書かれています。影響受け続ているなら、私のコメントも含め、予防接種する感覚でもいいですから、触れてみては・・・。

参拝の締め括りに私が唱えている言葉

 

  生の営み  在るが故  その心のみぞ  留め置き

留め置くのは、美しものでありたいですね。