太宰治「水仙」のタイトルはは静子が書き残した1枚の絵のモチーフに由来するがそれはなぜ「水仙」だったのでしょうか。また、作者はそれをなぜタイトルにしたのでしょうか。
解答よろしくお願いします。

 

【それはなぜ「水仙」だったのでしょうか】
このご質問は、いったい何をお尋ねなのでしょうか
a・静子夫人が描く対象物として水仙を選んだ理由でしょうか
b・老画伯の娘が静子夫人の水仙の絵を秘蔵していた理由でしょうか
c・作者(太宰治)が作品のタイトルを「水仙」とした理由でしょうか
「それ」の指すものが定かではありません(特定できません)
abは読者には届かない(わかるはずのない)ところにある問いです
読者に答えられるとしたら、cしかありません
【作者はそれをなぜタイトルにしたのでしょうか】
これは上のcに相当する問いです
これも本質的には読者には届かない(わかるはずのない)ところにある問いですが、推測はできますし、それらしい説明は可能です
【水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。(中略)水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。(中略)なんだか天才の絵のようだ。(中略)二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。】
主人公=語り手の「僕」が、静子夫人の水仙の絵について、作品の末尾で上の様に語っています
作品の末尾において、主人公=語り手の「僕」の関心が集中している対象が、静子夫人の水仙の絵です
このことを問いの「理由」として、cの答えとする事は可能です
但し、真実性の保証(論理性を備えた確かな根拠)のない説明です
説明に様々な説明がある様に、疑問にも様々な疑問があります
私には、あなたのお示しになった二つの疑問の内、最初の疑問は、その内容がそもそも定かでない疑問であり、あとの方の疑問は、説明は可能でも、根拠のある説明は不可能である疑問です
要するに二つとも、無効(ab)、無意味(c)に近い疑問です
あなたのご質問は、教師から与えられた学習課題でしょうか
それともあなたご自身が抱いた疑問でしょうか
それをあなたにお教えいただきたく存じます
後者であれば、やむをえないことですが、前者であれば、この国の国語教育の質の悪さの現状を改めて残念に思います