古典も現代文も本当は面白いはずなのに

古典も現代文も本当は面白いはずなのに

Yahoo!知恵袋でのベストアンサー・自選回答集積ブログ(でしたが、最近は21世紀前半の日本の世相の記録とも考えています。個人情報保護のため一部改変あり。)

Q

短冊に書かれた文字です。判読できません。ご教授をよろしくお願いいたします。

 

 

A

源兵衛は浮世の名なり法師蝉

崩しの強い字で、読みにくい。

 

質問者からのお礼コメント
お世話になっております。ご教授いただきまして、大変に嬉しく思います。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

Q

魯迅の故郷について。
「私の覚えている故郷はまるでこんな風ではなかった...もともと故郷はこんなふうなのだ。」
の部分の「私」の心境の変化について教えてください

 

A

久しぶりに見た故郷に対する違和感(現在の自分のもつ過去のイメージが主)

が。徐々に

久しぶりに見た故郷そのままの受容(現在の目前の故郷の実情が主)

へと変わる心理的変化。その過程をそのまま語っている。

 

質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。

Q

以下は伊東静雄の詩である。


八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。
運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。

①息絶えるのがなぜ8月なのか?
②幸多き蝶とは何か?
③白き外部世界とは何か?
④われのための深く美しきわずかな木陰とは何を意味するか?
⑤どうして飢えて死んだ狼の目をしばし夢みんと思うのか?
⑥伊東静雄はどういう心持ちでこの詩を作ったと思われるか?

 

A

①息絶えるのがなぜ8月なのか?
疑問の意味が分からない。蝶が死ぬ季節はたいてい夏の終わり、8月頃になろう。それとも象徴的意味を問うているのか。
②幸多き蝶とは何か?
無事に成虫になって存分に生きたことを「幸多き」と言うのだろう。
③白き外部世界とは何か?
「夏の陽光のなか」だから、そういうのだろう。逆に「黒き」なら夜だろう。
④われのための深く美しきわずかな木陰とは何を意味するか?
木陰は涼しく、炎天下よりは「われのため」になる。
⑤どうして飢えて死んだ狼の目をしばし夢みんと思うのか?
木陰は涼しく、けれども夏の日盛りで暑いから、「雪原」を「しばし夢みん」だろう。「飢えて死んだ狼」は、蝶との対比だろう。
⑥伊東静雄はどういう心持ちでこの詩を作ったと思われるか?
「過酷な自然を生きて死ぬ生物個体として自分も生きている。その意味では蝶や狼と大差ない」という思い。

Q

自治会の回覧板で回ってきた神社の忠魂碑慰霊祭の告知ですけど、どう思いますか。問題ありませんか。

 

 

A

これだけでは私にはなんとも言えません
仏教のお寺 キリスト教の教会などの行事も 同じように紹介していれば 問題ないと思います

 

返信Q

回答ありがとうございます。
回覧板で廻されるのは、この神社の告知だけです。自治会の下部組織のなんちゃら協議会が、この神社を地域の歴史文化の中核に位置付け、神社とはずぶずぶです。
 

返信A

お気持ちは察します
まあ 同じ土俵にのってしまえば 目くそ鼻くそになってしまうので 温かい目で見守るしか ないでしょうね

 

返信Q

ありがとうございます。一つ、お尋ねしたいことがあります。
最初の回答者の人の最初の回答、「質問に対し、腹を立てて回答した。」と読みますか?読みませんか?

 

返信A

腹を立てていると読みます
憶測ですが 自治会の活動を 一生懸命やっている方ではないかと

 

返信Q

そうですよね。立てていますよね。ありがとうございます。
でも、何で腹を立てたのかわかりますか。質問の、何に腹立たしいのでしょうか。想像はおできになりますか。自治会活動の妨害、邪魔だというのでしょうか。
 

返信A

憶測に憶測を重ねます
自分のやっていることと同様 あるいは近似したことについて 疑問を呈されたことで あたかも 自分のやっていることに 疑問を呈されたように感じ さらに 自分が責められたように 感じたのだと思います
一生懸命やっているからこその 感情だと推測されます
推測というより憶測ですね


返信Q

ありがとうございました。本当に感謝しています。いずれBAとさせていただきます。
別カテ(宗教)でも質問しています。よければどうぞご覧ください。

 

返信A

一銭五厘で召集され 異郷の地で 銃弾に倒れ 爆弾に吹き飛ばされ 飢えと病に苛まれ 家族や友を思いながら この世を去った方々のことを思うと 胸が苦しくなります
国や 靖国を頂点とする神社は 彼らに最大限の賛辞を送ることで 無謀な戦争を進めて 多くの兵の命を奪ったという 自らの罪を なかったことにしようとしています 嘆かわしいことに その不誠実さに 気づいてもいません
悲しい限りです
彼らの慰霊をすることに 何の異論もありませんが それは 英霊などという お仕着せの冠を外した 一人の人としての場合です
もしもこの返信を誰かが読んで 攻撃的な姿勢の回答が ついてしまうようなら この返信は 削除する場合があります

 

返信Q

ありがとうございます。共感します。
回覧文本文に「この碑は、西南戦争以来の戦争で亡くなられた○○出身の百四十四柱のご英霊を慰霊するための碑です。」と書いています。「戦争で亡くなられた」としていますが、「戦争で亡くなられた」空襲被害者などの一般人は含まれません。あくまで軍人兵士のみです。民間人は戦争のせいで死んでも「英霊」ではありません。この慰霊は差別的です。
「我が国の未来を守ろうと散華された」「自らの命を賭して」も、つまりは嘘です。軍人はともかく、徴兵されて死んだ兵士は、自分の意思で主体的に「自らの命を賭して」「未来を守ろうと散華」したのではありません。国家権力により死地に投げ込まれ殺されたのです。WW2の日本の戦没者の約6割は餓死です。
私は、政治的宗教的であるだけでなく、内容が虚偽である宮司のヨタを流す自治会を憎んでいます。
あなたの返信を読み、質問して本当に良かったと思っています。

私は今年、3回目の広島行きをします。孫を連れて平和公園での仲間の活動に参加してきます。この質問は、私の戦いの一つです。

ちなみにですが、他のカテでも質問はしていて、「攻撃的な姿勢の回答」を実は歓迎しています。
「攻撃的な姿勢の回答」こそが、この回覧板の問題点を証明してくれるからです。
ただ、返信を重ねて問題を明らかにしていくと、たいていは黙ってしまい、返してくれなくなりますが。
4月にXが主要言語同時通訳機能を備えて、日本の「ふつう」が世界の顰蹙を買い始めました。彼らの仲間は日本にまだ少なくありませんが、世界的には少数者です。私の仲間は世界中に大勢います。短期的にはいばらの道でも、長期的には正しい道だと思っています。

Q

くずし字、変体仮名についての質問です。画像の歌について自分の読みを添削していただきたいです。
自分で読んだものは以下の通りです。また、読み方が正しいか分からないのですが、「覚の水(おぼえのみず?)」の部分はどういう意味なのでしょうか?
閑居水
可久禮住 (宿の覚能?) 水奈可む 寿恵盤 浮世に 猶流れ都ゝ
かくれ住 (宿の覚の?) 水ながむ すゑは浮世に 猶流れつつ
七十五翁 元貞

 

 

A

かくれ住宿の筧の水なからすゑは浮世に猶流れつゝ 七十五翁 元貞
かくれ住む宿の筧の水ながら末は浮世に猶流れつつ

私が隠れ住むこの宿には筧があり、水が流れている。その水そのままに、こうして閑居する我が身も、結局は生きて浮世の中を流れていくことだ。

人生を水の流れに喩え、閑居も結局は浮世を生きる一形態にすぎないと諦観する境地を詠んでいます。

長谷川元貞(1796~1858)ですか。

 

質問者からのお礼コメント

ありがとうございます!筧と良(ら)が読めていませんでした。歌の意味もよく分かりました。ただ、七十五翁と書いてあるので、長谷川元貞(1796〜1858)だと年齢が合わずおそらく別の人かと思われます。歌の読み、意味ともに解決しました。ありがとうございました。ベストアンサーに選ばせていただきます。

Q

古文で、「ご覧ぜらる」 のらるを受け身として取る時、この尊敬が付く主体は見る側ですか?それとも見られる側ですか?日本語訳は、「お目にかける」とありましたが、どうしてそうなるのかよく分かりません。

 

A

「ご覧ぜらる」の「らる」が受身である例はまずない。あったらレアケースだ。
「お目にかける」は、ふつうは「ご覧ぜさす」だ。
あなたが実例を見ているなら、文を示してもらえませんか。

 

返信Q

この、赤で囲った部分です!

 

 

返信A

受身でも確かに説明できるが、ふつうに尊敬として、「御覧ぜられ」で、宮に対する最高敬語と私なら説明するし、そちらがむしろ自然だと思う。
というのは次の文に、「御ありさまのゆかしき」とあり、流罪に処せられまた会う保証のない今は、最後に一目「宮のご様子を見ておきたい(が、叶わず無念だ)」という意味だ。つまり書き手の思いは「最後に一目、宮に逢いたい」ということなのだから、「宮に自分を見られたい」という受身の意味で解釈しなければならない理由はない。「宮の元に参上し、宮が自分をご覧になるということもなくて、自分はこのまま死んでしまうのだろうかと思うと、たいへん苦しい」と解釈・説明する方が、手紙の書きぶりとしても、敬語の上からも、宮への配慮がなされていて、自然だろう。
ここの「られ」を受身と説明・解釈するのは、レベルが低い(子供だまし的な説明・解釈である)と私は思う。

 

返信Q

私もそう解釈してもありなんじゃないかと思ってるんですが、ここの解釈の選択肢の問題で「ご覧になる」が誤答になってたんですよね、、わざわざ返信ありがとうございました!

Q

芥川龍之介のについて、
「そこにはまだ何かあるらしい」とあるが、僧俗たちの態度の底にあるものについて、次の問いに答えよ。
①具体的に説明している箇所を二百字程度で抜き出し、最初と最後の五文字で答えよ。(句読点は一字として数える。)
②簡潔に述べている箇所を本文中から八字で抜き出せ。
だれかわかる人お願いします

 

A

①【人間の心に】は互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような【事になる。】
②傍観者の利己主義

Q

伊勢物語第六十段で最後に女が尼になる理由はなんでだと思いますか?
私自身は男に執着していたからそれを忘れようとした。それか、逃した魚は大きかったことに後悔したかの、どちらかだと考えています。意見を頂けたら幸いです。

 

A

理由を考えますかね。
そうではなく、気持ちを想像したらどうですか。
当時の女性には、自己決定権がろくに与えられていなかった。
この女も、自死するか出家するか、この二つしか現状変更する道がなかった。
そのことの不幸を思えば、「尼になる理由」など、私には考えたくもない。
あなたの挙げた二つとも、私はその思考・想像・問題設定を憎く思う。
女は不意に、望まずに男と再会し、男に酌を求められ、歌を詠みかけられ、心を乱された。そして女は、思い余り、現状の生活を続けられなくなり、自分にできる精一杯の現状変更・自己決定をしたのだ。その心情を思うと、人に自己決定権を与えない社会・状況を憎いと思う。
女の「理由」がどうだというのか。問うべきは個人でなく社会だろう。私はそう思う。
質問の主旨からそれた点は謝る。

 

返信A

下の回答は、当時の女に結婚について、自分の意思を反映させることができた、自己決定権があったことを前提としている。
そんなわけがあるかと思う。漱石の作品でも、ヒロインの多くは、結婚に関して自己決定権は持っていなかった。「三四郎」の美祢子、「行人」の直などがそうだ。20世紀初頭の中流階級の女性が持っていなかったものを、約千年前の貴族女性が与えられていただろうか。あくまで全体として。
個人(ミクロ)レベルでだけ考え、社会(マクロ)レベルの視点を持たないから、そういう解釈になるのだ。

Q

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の自己犠牲について。
昔もそうでしょうけど現代の日本でも、病のある方を救おうと活動したら最初はボランティアとか、病院で音楽を演奏するとか、病気の人達と少しふれ合う位なら、面白いようなこともあるかもしれないけど、やっていく内に段々その活動にも人を励ます限界は感じて、真面目にやればやるほど自分の人生が成り立たなくなります。励ます為には時間も労力も使って無償でやるから自己犠牲ってことになります。
この自己犠牲をすれば問題は解決するか?って考えると、人の幸せを目的にすれば、問題自体は犠牲者がいるのだから幸せを目的においたなら、それは解決にはならない。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜って、時代を超えると言うよりは、そもそもの人間とは何か?の心の奥にある様な感情を追及している、宮沢賢治の人間とは何かを察する洞察力が、読んでる人は自分の心のことを考える様な気持ちにもしてきて、これは終わりのない問題ですか?
カムパネルラ、ぼくたちどこまでもいっしょに行こう。
補足
宮沢賢治って、人間だから悪い部分もあるかもしれないけど、結構荒れてることも書いてある感じもしますが、文章を通じて心の洞察力とか、根元な所に触れるって意味では天才ですか?
銀河鉄道の夜は童話だからもあるけど、古いって感じもしないし。

 

A

あれは古い。価値観が古い。
山口泉『宮沢賢治伝説』を読むと良い。
「銀河鉄道の夜」の自己犠牲とは、何を指すのか。
カンパネルラの死は自己犠牲ではない。結果として死んだということで、彼は自分を犠牲にしたわけではない。
ジョバンニの言葉、「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」は、軽薄極まりない観念的な自己犠牲だ。
韓国民主化闘争の光州事件の時、鎮圧部隊の最後警告を拒否して火炎放射器で女子学生は焼かれ死んだ。人間は、いっぺんしか焼き殺されることはない。百遍焼かれた人はいない。一遍だからこそ、その死は尊い。
百遍云々は、仏教の輪廻観に根差す。前近代的で古い言葉だ。
以上のように山口泉は批判した。あなたも読むといい。宮沢賢治は古くて薄っぺらで前近代的だ。
完璧な自己犠牲は「グスコーブドリの伝記」で描いている。
あれも、生きるべき命と死ぬべき命の差別を前提としている。それは優生思想、即ち差別思想だ。彼の信じた仏教は差別を内包している。彼の文学にもそれがある。それが彼の文学の古さ、前近代性だ。

Q

バイト退職するのですが、制服をクリーニングして返却してねと言われたのですが、自宅洗濯してアイロンかければ大丈夫でしょうか?
ポロシャツ×2,ズボン×2,エプロン×2
これら全てクリーニングに出すと意外と高くて2000円以上かかってしまいます。
雇用契約にはクリーニングの事は書いてませんでした。

 

A

家で洗濯して返却。
「費用も渡さずド厚かましくも何をぬかすか。」というメモを忘れずに入れるように。
雇用契約書とか関係ないって。そんなのが書いてあったとしても、強いられた約束だから(雇われた早々、辞める時の取り決めを交渉など現実できない)。

 

返信A

>クリーニング代として最後の給料から引かれるおそれ

それはそれで明細を要求すればよい。
文書で証拠は残せない。出してきたらネットに晒す。公開処刑。

しっかしどの先行回答も、雇用側の回し者かよ、という回答ばっかだな。
日本人総バ畜計画でもあるのか。
質問者の言うのが尤もだ。
「1日の給料の半分以上の自腹を切ってまでクリーニング出す意味がない」。
当たり前だ。
最初に渡されるのがどういう形だろうと、それは職場の勝手だ。バイトの側に関係はない。建設現場で渡される長靴はどうだ。クリーニングした物を渡されるか。普段のお仕着せが自宅洗濯なら、返却時もそれでいい。
渡されてそれが嫌な人間は、自分でクリーニングすればいい話だ。
知恵袋はどのカテも、業界の人間が必ずいて、業界寄りの回答をする。
利用者は注意すべきだ。回答を真に受けるな。

 

質問者からのお礼コメント
他の回答者皆、普通は自腹でクリーニング出すという回答しかなかったので高いけど自腹切って出そうかと思ってましたが、やっぱりおかしいですよね。お金稼ぎに来てるのにこちら側の出費があるなら契約時に記載しておくべきですし、最初に制服購入させたらいいのにと思います。こちらの回答を見て勇気が出たのでそれを伝えたところ特別に洗濯で大丈夫との事でしたのでなるだけ綺麗にして返却しようと思います。ありがとうございます