Q

至急お願いします。
伊勢物語「渚の院」について質問です。
惟喬の親王はなぜ、やまと歌にかかっていたのですか?
教えてほしいです。

 

A

またもや「なぜか」の問いですか
それは学習課題として教師から「考えてこい」と課された問いですか
ひどいですね
以上は感想で、以下、解説します
「山崎のあなたに、水無瀬といふ所に宮ありけり。年ごとのさくらの花ざかりには、その宮へなむおはしましける。」
京に住む親王が郊外の離宮に行くのは遊山、今でいうレジャーです
当時の貴族のレジャーは、狩猟(鷹狩など)、酒宴が主です
「狩はねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。」
親王は首領は適当に済ませ、酒宴をし、そこで和歌を詠んで遊んだとあります
酒宴の際の遊興は、ふつうは和歌か音楽です
どちらも、主人の趣味により選ばれます
親王はこの時、和歌を選んだということです
問いは「なぜ、やまと歌にかかっていたのか?」です
その答えが作品のどこかに書いてありますか
どこにも書いてありません
どこにも書いていないことをなぜ学習者に問うのでしょうか
冒頭に「またですか。ひどい問いです」と書いたのは、これが理由です
酒宴の際に和歌を詠んで遊ぶのはごくふつうのことです
親王は狩でなく、音楽でもなく、和歌を選んだ、それだけのことです
不思議でも何でもありません
「その時、右の馬の頭なりける人を、常に率ておはしましけり。」
「右の馬の頭」とは在原業平、六歌仙の一人、和歌の名手です
それは「伊勢物語」を読む人にとっては常識です
彼を常に連れて行くという事と、和歌を詠んで遊んだということは、符合しています
業平を連れて行ったのに、和歌以外の遊び、狩や音楽に「かかっていた」のなら、理由を考えることに意味があります
業平を連れて行って和歌を詠む遊びに「かかっていた」ことの理由を何で考えさせ(る必要や意味があり)ますか
以下、回答します
「親王は桜の名所であった水無瀬の離宮で桜の花盛りに和歌を詠んで遊びたいために和歌の名手であった在原業平を連れて行ったから」
以下補足です
問いの形が不適切なために、長い回答になりました
さぞ迷惑だったでしょう
細かい解説(水無瀬の離宮についてなどの)は全て省略し、回答は乱暴で粗雑になっています
本来あるべき問いの形は以下のようであるべきです
【「やまと歌にかかれりけり」について、この時の親王の水無瀬行の意図(したかったこと)を説明しなさい】
質の悪い学習課題が学習を阻害する今の中高国語教育を象徴するご質問でした
以上です