金曜は、いろいろあって、行く気満々だったニューヨークフィルのコンサートに行けなくなってしまった。チャイコフスキーの6番、悲愴交響曲と、ブラームスのピアノコンチェルト2番という魅力的プログラムだったのに。ぐっすん。それでお家で友人フランクから送られて来た詩を印刷して読んでいた。
アメリカ人の友人の一人、フランクは詩人だ。それだけで食べてる訳ではないけど。
最近、年明けに、近いうち現代アメリカ人詩人の詩に音楽をつけたいので作品を提供してくれと言ったら、さっそくラブポエムっぽい詩を三つと、Eメールでソネットを送って来てくれた。(ソネット:14行からなる定型詩)長い。
14行のソネットがなんと12あって、一続きの物語になっている。叙事詩と言う事になるんだろうか。ギリシャ古典のオデュッセイアをもとにして、一人称で、オデュッセウス王が自分の冒険や悲劇を朗々と語って行くのだ。
これを歌曲にするにはかなりのリサーチと準備が必要になりそう。ヘビーなバックグラウンドのある題材よ。とんちんかんな音楽をつけるわけにはいかないだろう。ホメーロスさまに失礼よ。いわゆる欧米では、大人だったらだれでもある程度なじみのあるはずの題材なんだろうけど、わたしは欧米出身ではない。
なのになんでわざわざこんな作品を送って来たのかしらん。わたしは日本人だと知ってるはずなのに。
ねんのため、どっちに音楽をつけてほしいかと聞いたら、ソネットだという。ますます謎だ。よっぽど思い入れがあるんだろうか。
もう一つのラブポエムっぽい三作品は、なかなかひねりが利いていて、ユーモアもあって、現代男性の視点からのある女性への気持ちを描いた詩。べつべつの年に書かれたみたいだけど、蓮作のようにしてソングサイクルに出来そう。頭の中に響いているいるのはバリトンの声。
日本語の詩でもバリトンのための曲を書こうと計画中。詩はもう選んであるの。まだまだアイデアの段階だけど。
先日カフェでフランクと”打ち合わせ”中に、
”バリトンのために書きたいのよね。バリトンて、低すぎもせず、高すぎもせず、一番男性的な声のような感じがする。”と言うと、フランクは、
”テナーでもいいじゃないか、”という。
でも、私の中にすでにあるのはオペラなどでも王子様的なキャラや、少年ぽい役柄にもよく使われるテナーじゃなくて、大人の、落ち着いた男性の声。となるとバリトン。これは外せそうにない。
リサーチ中に遭遇したビデオ。
バリトンのための歌曲と言ったら、外せませんな、この一曲。
シューベルト、”魔王”
バリトンはディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ様
なんとメゾソプラノバージョンもあり。メゾソプラノ歌手の間で、女神のように崇拝されている、アンネ・ゾフィー・フォン・オター様による熱演。かっこいい。