監督との対話 | ぞうの みみこのブログ

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今回、音楽を担当させていただいている、映画の監督と電話でしばらくお話しできた。

映像のコンセプトとか、今後の計画など。映画祭に出品される予定ですすめているとの事。

いままでシネマトグラファーとして働いたり、ミュージックビデオを製作して来て、映像作品の経験を積んだので、これからは自分が監督してどんどん作品を出して行きたいそうです。

でも、これまでのそういった経験だけではファンドレイジングなどでも不利なので、自分が監督として手がけた作品を一つでも持っている事が必要。

今回の作品はそのための第一歩と言う事でした。

英語脚本も自分で手がけていらっしゃる。もちろん、細かいニュアンスが伝わらなかったり、間違いがあってはいけないから、ネイティブのチェックはお願いしていると言う事だけど。

私のアメリカ人の友人の例にもあったように、

(わたしの友人だが、大学で映画専攻後、しばらくシネマトグラファーしたり、脚本を手がけて地道に映画製作を夢見て来たけど、現実の厳しさに進路変更して、今秋ロースクールに入学した。)

映画製作と言うのはお金も時間も膨大にかかる上、最初夢を見ていても途中であきらめて行く人も多いそうだ。監督もそういう人たちを何人も見て来たと言う。

進路変更はひとそれぞれの理由があるだろうから何とも言えない。それが結果的に、人生において素晴らしい事になる場合もあるだろう。

でも監督はずっとこれから自分の作品を手がけて行きたいそうだ。静かで、とても謙虚なお人柄だが、そのたゆまぬ情熱にエールを送りたい。

今後は日本での映画製作も考えているとか。ただ現状の日本でのフィルム製作には少し疑問も感じているらしい。

せっかく良い作品を作っても,マーケティング方にしても、最初から日本で公開のみを考えて、世界的マーケットを意識してないので、海外で上映したとしても、

”日本的”なものに興味を持つ限定的な外国人視聴者にしか見られない映画になってしまったりとか、なかなか広がりがないそうだ。それでも、(ハリウッドとくらべたら小さいとはいえ)

他の国と比べると、日本の映画産業もまあまあ大きいのであまりそのへんに疑問も抱いてない映画関係者も多いらしい。

彼のように(今や否応無く世界の共通言語となった)英語で脚本を書き、非日本人のスタッフや俳優ともコミニュケーションが出来て、

それらを軽いフットワークで、どしどし映画を作って行く日本人映像作家がどんどん増えて行けば、その流れは変わるのではないか。

わたしの大学の先輩であるアン・リー監督のように、(彼は台湾で生まれ,こっちで映画製作を学んだ。先輩といっても、学部はもちろん違いますが。)

自分のお国の文化を濃厚に反映した映画を作ったかと思えば、時には”Sense and sensibility"のようなどヨーロッパ的映画を、国際的キャストやスタッフを配して制作して行くような、そんなアジア系の監督がもっと出て来てほしい。

そういういみでは、わたしはアン・リー監督は黒澤監督の上を行っているのでは,と友人と語った事がある。(作品のクオリティーとか言う意味ではなく,作品のテーマの多彩さとか、国際的文化的バックグラウンドでの仕事の仕方とか。)

かれの映像をより美しくみせる音楽を作らなくては。