三等三角点部原と部原の廃古道 | 道にあるちょっと古いもの

道にあるちょっと古いもの

トンネルや橋など、ちょっと古めの道路構造物を訪ねた記録

【点名】部原(ぶはら)
【基準点コード】TR35240620701
【等級種別】三等三角点
【所在地】勝浦市大字部原字古道2204番
【選点】1900(M33)年5月2日
【設置】1900(M33)年6月8日
【緯度】北緯35度10分22.1320秒
【経度】東経140度20分27.0441秒
【標高】63.64m 

【訪問日】2019年4月14日

 

 

勝浦市部原(へばら)の部原パーキング。現在地はココ(←クリック)。ある方から伺ったのだが、「クソ下側の駐車場」とも呼ばれているらしい。名前の由来はこの近くのとある施設だとか。。。(^-^;

 

 

本日のターゲットとなる三角点はパーキングから見て御宿方面にある山の上。海抜60メートルちょっとなのでササッと登れるはずではあるのだが、不安要素もある。

 

地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/)から作成しました

 

不安要素というのは行き方だ。国土地理院の地形図を見ると、衛生処理場の西の道から山頂に向かう道が描かれている。だが、こんなところに道があったという記憶が全くないのだ。とはいえ、行ってみるしかない。

 

 

国道脇を歩いて山に近づく。矢印の脇道に入る。

 

 

この先20メートルほどの右側に道があることになっているのだが、、、

 

 

(゚Д゚)ハァ? やっぱり記憶の通り道と言えるような道はない。。。

 

 

とはいえ、一応沢状の地形なので、行けなくもない?というか、ここしか山に入り込めそうなところはない(^-^;

 

 

2本のポールは道の入口を示しているのか??(^-^;

 

 

意を決して突入。正面はいきなりの笹薮だ(^-^;

 

 

ただ、押せば倒れる軟弱な笹だったので、当初思ったよりは楽に進むことができた。とはいえ、笹をかき分けるのが忙しくて、途中で写真を撮る余裕はなし。もっとも、撮っても何が何だか解らない写真しか撮れていなかっただろう。一応、頭に被ったヘルメットに取り付けたアクションカメラで撮影はしたので、興味のある方は下に貼り付けた動画をご覧いただければ幸い。

 

とりあえず笹薮地帯を突破して振り返ったところ。

 

 

周囲をキョロキョロ見回すと、穴を発見( ゚д゚)ハッ!

 

 

要石のようなものが見えるが、これは偶然そうなっただけだろう。二五穴(水路隧道)だろうか?まさか必要になるとは思っていなかったので、ライトは持ってこなかった。房総の山に向かうときは、どんな山でもライトは装備すべし、か(^-^;

 

 

稜線が見えてきた。作業道なのか獣道なのか解らないが幅員30センチ程の道らしきものがあったので、それを進む。

 

 

稜線の少し下にあった穴。タコツボ陣地跡か?しかし、これひとつしか見当たらなかったので、ただの木が抜けた跡なのかもしれない(^-^;

 

 

稜線に到達。場所はたぶんこの辺り(←クリック)。地図モードで見ると、全然大変そうに見えないが運動不足のおっさんはすでに息が上がっている(^-^; 三角点まではあと数十メートルのはずだ。

 

 

そろそろかなと思ったところで稜線を分断する切り通しが現れた。

 

 

地形図にも載っている点線道だろうか?

 

 

とりあえず、道は続いているように見える。もと来た道を戻るのは気が進まないし、そもそも同じ道だと面白くないので、三角点を見た後はここの道を進んでみることにしよう。

 

 

切り通しから数メートルよじ登ると見えてきた。

 

 

三等三角点・部原(ぶはら)。

 

 

とりあえず、タッチ。

 

 

明治に設置されたので、「点」の字が旧漢字だ。

 

 

ここの地名は「へばら」だが、点名の読みは「ぶばら」らしい(^-^;

 

 

ちなみに、ここの小字は「古道」というらしい。ワクワクする名前ではないか(笑)

 

 

十字は薄くなっている。

 

     ※     ※     ※

 

 

さて、三角点を後にして先程の切り通しから北に向かっている道を進んでみることに。

 

 

しばらく進むとまた切り通しが見えてきた。

 

 

この切り通しの道だが、実は事前に見当はついていた。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

今昔マップからの引用。左は現在の地形図、右は明治初期に作成された迅速測図だ。矢印の先がほぼ現在付近だと思われる。

 

現在、勝浦と御宿の間は4本の隧道のある国道128号で結ばれている。そして、それらの隧道ができる以前、昭和30年代までは、内陸よりの旧道が利用されていた。この旧道だが、恐ろしいことに、現在のネットの地図やカーナビの地図などにも、あたかも現役の道のように描かれている。しかし実際は、中間部にある素掘隧道(通称・浜隧道)の前後はフェンスで塞がれ、そこまでの道もかなり荒れている。

 

さて、そして迅速測図なのだが、これには、浜隧道ができる以前の更に古い道が描かれている。つまり旧々道ということになる。随分以前から気にはなっていたのだが、ようやく現地調査をすることができた。

 

 

切り通しから北に向かって、浜隧道の上を通る道も確認したいところだが、そのまま西に向かう下山ルートを進むことにした。実はこの後、勝浦の旅館・松の家さんに一泊二食付きで予約を入れていたからだ(^-^; こういう時は目一杯探索などせず、宿で風呂に入ってビールでも飲むのが吉。100年間残っていた古道、いまさら少々のことでなくなる心配はない。

 

この擁壁も古道らしいいい雰囲気だ。

 

 

迅速測図に載っていたということは、ひょっとしたら、江戸時代から使われていた道かもしれない。日本三大朝市のひとつである勝浦の朝市。安土桃山時代から続いているそうだが、この道も朝市で売るための商品を背負った人達が歩いたのだろう。

 

 

次々と現れる切り通し。

 

 

炭焼き窯の跡だろうか?

 

 

もっとも規模の大きかった切り通し。

 

 

振り返り。

 

 

写真では解りにくいが、道らしきものが見えてきた。

 

 

程なくして旧道に脱出。廃道となっている旧道だが、この辺りはまだ奥に農地があるため現役の道だ。

 

矢印のところから這い出てきたのだが、これではこちら側から入口を見つけることはちょっと無理だっただろう(^-^;

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。今回はナレーションを入れてみた。アクションカメラで撮影したのだが、木や草の枝がぶつかって、バキッと大きな音がするときがあるので、音量に注意のこと(^-^;

 

 

 

 

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