米山隆一前知事は政策綱領の冒頭において、「福島原発事故およびその影響と課題に関する3つの検証(事故原因検証、事故の健康と生活への影響の検証、安全な避難方法の検証)がなされない限り原発再稼働の議論は始められない。」と言っていた。
「あのような事故が起きないように」「もし起きたとしたらどんな影響があるのか」そして「どのようにして住民を安全に避難させるか」を明確にして実行可能なレベルまで調えておくことは原発設置県として当然の義務ではある。
一見、原発立地県としての基本的な考え方としてもっともらしいとも思われるのだが、果たして福島第一原発事故の検証なるものが新潟県にできるものなのだろうか。
第一の検証である「事故原因検証」。
福島第一原発事故に関する事故調査報告書は、国会事故調、政府事故調、東京電力報告書、IAEA閣僚会議報告書のほか、福島原発事故独立検証委員会等民間レベルでも報告書は出されている。こうした事故調は、それぞれのレベルや立場を反映したものなので、それぞれを鵜呑みにすることはできないとも思うが、相応の知見をもって報告されたものであることに相違はない。
ここで明らかなことといえば、新潟県自らが福島県で起こった原発事故の事故原因を直接調査するなど不可能だということだ。
ましてや新潟県が上記に掲げた事故調に勝る知見を以って検証などできる訳がないとも思うがどうだろう。
だとすれば、現実的には各種記録や書面を整理統合したつまみ食いとも言える評価作業が検証の中心となるのではないか。
いずれにせよ、早急にこれら事故調の評価を完了すべきなのであるが、時の知事の重要施策でありながら、いつまで経っても県民には「検証がなされない限り原発再稼働の議論は始められない」のお題目しか聞こえてこないことには大いに不満としか言いようがない。念仏を唱えて無の境地ならまだしも、もっともらしい屁理屈をこねて思考停止に陥っているだけなのではないか。
検証には数年かかるとのこと。
新潟県庁には数々の前科ともいうべき失態がある。
安定ヨウ素剤配布にからむ決裁文書偽造事件をはじめとして枚挙にいとまがない。県職員の案件放置や漫然とした取組みぶりが日常茶飯事に起こってきたのである。挙句の果てのつじつま合わせのための隠蔽と保身といったまさに木っ端役人気質が透けて見える。
能力とヤル気。いずれをとっても新潟県に原発事故の検証などできるのかといった疑念さえ湧いてくる。
となれば、米山隆一は実現できっこないことを公約に掲げて県知事に立候補し当選したことになる。
これは結果論だとしても、そんなものを信じ切って投票した新潟県民はあまりに無垢な存在としか思えない。