パパがディープ・パープルを聴いていたあの頃。 | Je suis le père de Chip.

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Chip Chihuahua,le chien de ma famille.
Nous l'aimons beaucoup.
Nous voulons vivre avec lui pour toujours.

寝苦しい夜、一旦はベッドで横になってはいたものの寝付くことができない。
パソコンを開けていろいろな人のブログを読み進むうちに、
成田玲さんというミュージシャンのブログで寂しい記事を発見した。

元ディープ・パープルのジョン・ロードが亡くなったとのこと。享年71歳。

ディープ・パープルとの出会いはパパが中学生の頃。
もう40年近くも前のことだ。
とにかく洋楽ばかりをむさぼるように聴いていた。

子供の頃から、メカやオーディオに興味を持っていたパパは、
中学では放送委員会に属していた。
委員会の先輩たちの多くは進学校に進むべく、
ほどほどの活動に終始していたようだ。
従って立派な番組制作をするような積極的な委員会ではなかった。

それをいいことに、新し物好きなパパは、あることを独断で決意、決行した。
いかにも中学生に相応しい音楽を流しているだけの平和な昼食休み。
それをブチ壊そうと、その頃ラジオで流行っていたDJ番組の真似をした。

ディープ・パープルの「Highway Star」が各教室のスピーカーから流れる。
パパのDJなんて、カンニングのメモをチラチラと見ながら読む程度のもの。
DJというには、かなりおこがましいものだったが、
あの手の曲を流したインパクトはそれなりに大きかったようだ。
しっかりと、リクエスト用紙とリクエスト箱も用意した。
学校のみんなは、いろいろなメッセージを書いてリクエストしてくれた。
顧問の先生からは、それなりにひとくさりあったが、
特段の締めつけもなく、あの番組はしばらく続いた。

それと、その筋にツテがあって、
発売前のシングル・レコードを貸してもらって聴くこともあった。
いわゆる視聴盤というヤツだ。
残念なことに洋楽はなかった。

ある日、聞いたこともないグループの視聴盤を番組で流した。
校内の反応はいまひとつ。
だが、それは後に大ヒットする。フィンガー5の「個人授業」だ。
ヒットしてからもう一度流したら、結構な反響があった。
まぁ、そんなものなのだ。

どんな曲かということも大きな要素だが、
どの経路・どのメディアを通したかの方が人気商売には重要だ。
おぼろげながらも、そんなことに気づき始めたパパであった。

それに飽きたらず、、その後パパは別のことを始めることになる。
怖いもの知らずでやりたい放題のパパ、13歳の頃のことだ。