嗚呼!!全寮制高校 その8『九州からやってきた横道モン』 | パパの男メシ!

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寮生活では基本的に一部屋に1年生が二人同居することになる。

 


とりあえず1学期間は共に寝起きする相棒になるわけだから、相方がどんな奴なのかで寮生活が楽しくなるのか、つまらないものになるのか、非常に重要な要素になるわけだ。
  

で、私の相棒は?というと........

 


見た目的には、

 



濱田岳







尾美としのり

 

 



足して2で割って、更にヤンチャにした感じS田くん(笑)。



北九州市出身でバリバリの小倉弁

初めて耳にするコテコテの小倉弁は何言ってるのか全然分からなくて難儀しました(笑)。

S田くんの方も私の関西弁に最初は馴染めなかったようで。


24年前の私の結婚式でそのS田くんが友人代表スピーチをしてくれたんですが、当時入寮して初めて会った時のことをこう語ってくれて.......


最初に寮の部屋に入った時、Aくん(私のこと)が大部屋で腕立て伏せしてて、いきなりコテコテの関西弁で「オレ、A言うねん!自分(関西弁で相手のことを指す)の同部屋や。これからよろしゅう頼むわ!」って鋭い眼光で挨拶されてメチャクチャ戸惑いました(笑)。


と。そんなこと言うたかなぁ~とそこらへんの記憶は確かではないんですが、関西弁と北九弁はどっちにしてもかなりインパクトの強い方言同士でお互いに言葉が通じなかったのを何となく覚えてます(笑)。


そしてもう一つ面白かったのが、私がクラシックギター(中3の時に半年ぐらいマンドリンオーケストラの著名な先生に教授してもらってたので)、S田くんがエレキ(ストラトキャスター)を持参してきてて、私がビートルズ派、S田くんがローリング・ストーンズやパンク派でお互いに対照的な好みではあるがロックが大好きという共通項で何だかんだと話に花が咲き、すぐに打ち解けて友だちになり。まあでも。この時はお互いに生涯の親友になるとは思ってなかったものの、コイツとなら楽しい寮生活が送れそうだと期待が少し膨らんだように覚えてます。
  
  
そしてそこから翌日の入学式までのことはほとんど覚えてないのだが、覚えてないということは多分スムーズに何事も事が運んだということなんだろう。上級生もひたすら親切に食堂での食事や大浴場での入浴のことやら案内してくれたような。その翌日の夜の出来事が強烈すぎて、その前のことは記憶から抹消されてるのかも(笑)。
  
  
そして入学式も無事終わり、両親ともここでお別れ。母親が若干泣いていたように記憶している。この学校は卒業生OBやら、道徳科学(モラロジー)団体の関係者のの子弟が大半で、ウチのような全然関係性のない家庭は少数で、親としてはやっぱりどういうことになるのか得体知れない部分もあったんだと思う。
  

当の本人は既にツレ(関西で親友という表現)となったS田くん

 

 

「さあ、ウルサイ親とも離れたし、これからいっぱいオモロイことして楽しもか~!」

 

 

と脳天気なことを言ってて(笑)。


しかしその夜に地獄の扉が開けられようとしてたとは全く想像すらしておらず........

 

 

 

*次回に続く.........