はるかへ
今日もまだ布団の中で、ゴロゴロしながら、アニメをみています。
月曜から金曜まで走り続けてきたから疲れるのでしょうね。
パパの子供のころは土曜日も学校があったので、いま考えたらよく、勉強してたなあと思います。
子供の頃、経つ時間がとっても長く感じたのですが、それもうなずけるかなあと。
昨日は、ノコギリを作ったり、クギをうったりしながら、秘密基地作りで盛り上がったようで。
そういう場があって(公設で、指導員が見守ってくれています)、そこでどろんこになりながら、秘密基地を作って。なかなかいい感じに遊んできてくれてるなあとうれしく思っています。
【立ちつづける勇気を持ちなさい】
つかさんに突然大分にこい、そのまま、半年暮らせと言われ、「ノー」をいえない状況の中でパパの演出家生活がスタートしました。
いつもの朝のように、「会社にいってくる」といったまま家を出て、そのまま半年帰ることができなくなった息子のことを両親は心配していました。
しかしつかさんのそばにいる間は、やれ、あの原稿を書き換えたい、ご飯食べにいこうか、稽古にいくぞと、一時も休む暇がなく、夜はつかさんも寝泊りしている事務所なので、電話をかけることもはばかられ、親にようやく連絡がとれたのは、パパが家を出て3日目のこと、つかさんが、「じゃあ、頼んだな」と言い残して東京へ戻った日の夜のことでした。
なんの連絡もなく3日間、息子が帰ってこない。
呼ばれたのが土曜日だから、休日扱いで事務所に電話しても誰も出ない。
旅行カバンも持っていないし、必要な洋服ひとつ持たずに出ていっている。
親は、なんかの事件や事故に巻き込まれたんじゃないかと、心配で心配でならなかったとことでしょう。
「もしもし、オレだけど」
「あんたなにやってんの!」
開口一番怒鳴られました。しかし怒りながらも心配をうかがわせる母親の声。
「わかったからがんばりなさい。で、なにが必要なの」
と、必要な服や下着などを次々と送ってくれました。
ホームシシックなどかかったことはなかったのですが、届いた荷物を見たとき、家族があること、親のありがたみをしみじみと感じたものでした。
大分で過ごした半年間、パパは温泉ひとついくことなくお芝居の稽古を続けてきました。
「つかこうへい」という著名な演出家の任をうけて、助手として、一本の作品を作り上げなくてはならない。地元では新聞やテレビでも大きく報道されている「大分市つかこうへい劇団」。つかさんのいない間に、ほとんど芝居などしたこともない役者たちに、基礎的なことを叩き込んで、つかさんが演出をしにきたときに、創造する力を奮い起こさせる役者にしなければいかない、その重圧に押しつぶされそうになりながら、ただひたすら稽古を続けていました。
思えば大分が温泉で有名だということを知ったのは、来て3ヶ月くらい経った後のことでした。それほどまでに、自分のことを考える余裕のなかった日々だったのだと思います。
稽古場と事務所であるマンションまでは歩いて、10分ほどでつきます。その往復だけを続けた日々だったのです。
つかさんは月の半分、東京で仕事をし、半分を大分で過ごしました。
その半月の間で役者を成長させなくてはならない、それがパパの仕事だったのです。
つかさんが、この素人の劇団を立ち上げるのに使った題材は、つかさんの代表作「熱海殺人事件」でした。
1973年に文学座ではじめて上演された作品。
しがない大衆浜辺・熱海で、しがない田舎ものの工員が、同郷の幼馴染みの女工を、腰紐で首をしめて殺した。そんな三面記事にもならないような事件を、誰にも恥ずることのない一級の事件にしあげるために、部長刑事、担当刑事たちが、汗水流すなかで、事件の真相、そして人間の孤独を見つめていく物語です。
つかさんは、この作品は、地方で起きたある放火事件から発想したと言っていました。
あるところで。連続放火事件が起こっていた。そんな中、必ず、どの現場にも一番に駆けつけて消火活動にいそしむ消防団の男がいた。実はこの男が放火をし続けていたのですが、その動機は、せっかく消防団に入ったのに、いつまでたっても火事が起きず活躍する場がないことに苛立ち、火事がないなら自分で起こせばいいんじゃないかということだったのです。
そこから発想して、チンケな事件であれば、大きな事件に仕立て上げればいいんだという刑事たちの格闘の物語を作り上げたのです。
時代ごとに改作を続けてきたこの作品。
つかさんは、大分市つかこうへい劇団でこの作品の中に女性の自立の戦いをテーマに盛り込んでいきました。
バブル時代などには、男女雇用機会均等法をかさにきて、雑誌などのメディアがこぞって、女性の社会進出を掲げてきたのに、経済が悪化したとき、真っ先に記事を引っ込めてしまった。その時期にまつりあげられていたが、引っ込められてしまった瞬間に、注目をあびなくなってきた、進出してしまった女性たちは、男性が中心に動いている仕事場などでいかに差別をうけてきたことか。
男性社会の中で、上に出ようとすれば束になってかかってきてつぶしにかかられる。女性にとって生きにくい社会となりました。
そうした時代を背景に、つかさんは、義理人情を貫き通すのは女性だと訴える作品を作りあげたのです。
遥花、おまえもこれから、多くの偏見にあっていくでしょう。いまだに女性は男性よりも仕事で差別されることは、この日本では続いています。
また、おまえは片親に育てられています。しかも父親です。それで偏見にさらされることもあるでしょう。
しかしそんな中でも凛と立ち続ける勇気を持って欲しいと願うのです。
大分の劇団で作ってきた、女性が義理人情を生きる作品は多くの女性たちの胸を爽快にさせ、明日もがんばって生きていこうと希望を持たせてくれました。
おまえが大きくなったら、あのとき、パパとつかさんと大分の役者たちが一生懸命に作った作品を見て、立ち続ける勇気を持ってもらいたいと思います。
偏見などはねのけて、最後まで自分の信念を貫き通す勇気を。