はるかへ
今日は、友達とすでに約束してあって、友達と、冒険に広場にいって、泥んこになって遊ぶとのこと。
一昨日くらいからうれしそうに話していましたね。
暑いらしいので、水筒と帽子を忘れないように。
パパはお仕事なので車に気をつけて、帰ってきたら、シャワーをあびてくださいませ。
最近、ここらでは外で泥んこになって遊ぶなんてなかなかないので、大いに歓迎しています。
友達との約束は、汚れてもいいかっこうで集合!
なかなかいい感じの約束です。
(人は人と摩擦して生きていく⑥)
そんな摩擦を引き起こすためのつかさんの必死の作業、稽古を見て、3時間ほど経ったころです。
「今日はここまでにしよう」
緊張が解けた瞬間、みんながほっとした、満足そうな顔で、笑みを浮かべました。
パパもその笑顔につられて、心があったまっていたのですが、
「明日からこいつが演出するから」
というつかさんの一言で、冷水を浴びせられた思いがしました。
……こうしてパパの演出家としての生活が始まったのです。
夕食を食べにいくタクシーの中で、
「しかしよお、素人立ち上げて、半年で公演なんて無理があるよなあ。でも仕方ねえんだよ。大分市がやれっていうんだからよお」
「は、はあ……」
「しかし、一番悲惨なのはおまえだな。半年間も大分にいることになったもんな」
あのころのつかさんとパパとのつきあいには、ノーはありませんでした。パパはただただ、言われたことを受け入れるしかありませんでした。
夕食を食べ、さっきのマンションに戻ると、毛布一枚渡されて、「寝ろ」といわれました。
床の上に、ゴロンと寝っころがり、毛布をかぶって、無理やり目を閉じました。
明日からどうしようなどと考えている余裕もないままに……。
こうやって大分第一日目の夜がふけていきました。
身体は疲れているのに、頭はギンギンにさえていました。そして今日一日あったことを振り返っていました。
笑い話に思えるほど唐突な展開。振り回されるだけ振り回されて……。しかしこれだけ振り回されるという経験は、これまでもこの先もそうそうあるものではないでしょう。
自分ひとりでは臆病になったり、なにかと理由をつけて、踏み込むことができないことは本当によくあることです。
小さい頃から優等生でなければいけないという強迫観念があって、できる限り大人に気に入れられるようなことを言おうと励んだり、人の目を気にしたり、大人に気に入られるように勉強だけは必死になったり、石橋をたたきながら生きてきたパパにとって、ここまで振り回してくれる人に出会ったことはありませんでした。
つかさんは、そんなパパを見抜き、だからこそ振り回して、どうなるかを、試してみようと思ったのかもしれません。
確かにパパはこの一日目から半年間の大分での生活を通して、物の見方、人との接し方がかわりました。人とちゃんとぶつかりあって、腹を見せ合って、話し合って、許しあって、憎みあって、だからこそわかりあってということを繰り返していきました。まさに摩擦していきました。人生においてこれほどまでに、人を信じ、人間の可能性を信じてきた日々はありません。
思いっきり笑いながら、「ひどいことしているんだぜ、オレは」と言い、人を振り回し続けるやり方は、つかさん流の人の育て方であり、もっとも深いやさしさであったのだと、いま、思うのです。
他人の人生の全てを振り回して、責任を持ってくれる「やさしさ」を、示してくれる『先生』は。
パパはつかさんという『先生』に出会い、ぶつかりあい、摩擦しあったことを、大切な宝だといま思っています。
遥花、おまえもそんな『先生』にめぐりあうため、多くの人と、摩擦しあってください。