父と娘  -47ページ目

ナーバス父と美人インターン 

選挙に行き、夕方から病院。

明日がまた大腸の検査なので、ナーバスになっていた父。

相も変わらずトークが弾まない。


今日の情報。最近、若い女性のインターンが来たらしく、父の担当医についているらしい。

父いわく美人のインターンのようで、嬉しそうにしていた。

先生が、インターンの先生にカルテに書いてないようなことを質問したりしていじめてんねん。と笑いながら言っていた。


大腸癌で、余命いくばくも無い父が、どうか、その若いインターンの先生の勉強の役にたちますように。そして、その経験が彼女の将来の患者さんに生かされますようにと願った。

土曜日

今日行くと、エントランスで新聞を読んでいた。

妙に小さく見えた。


次の月曜日が再検査。

また、お尻の穴にファイバースコープをつっこむらしい。


早く先生から連絡が欲しい。


患者も家族も先生のことを信用するしかないんだなと、改めて思った。

13歳頃の私と父

今日も変わりなし。病院からも連絡なし。
週末は何もないだろうから来週には何らかの動きがあるだろう。


昔の日記を読み返していた。
小学校六年生から記している。毎日ではないが、気が向いたらちょこちょこと。
毎日続けなかったのがよかったのか、今までずっと続いている。


絶対に他人には見せられないくだらないことやあの年齢独特のイラストに混じって、父への憎しみをそのままぶつけた文章がある。

”はよ死ね”はかなり出現頻度が高い。

あと、”絶対家出をする”といった、家出にまつわることも多い。


下記、ちょうど14年前の今頃の日記そのまんま。
当時なので恥ずかしながら漢字が使えていないが。


【1991年 9月13日】

<おとうさんとは、もう、何もしない 話もほとんど・・
あの人は、私のかみをひっぱって、はり手3ぱつ
鬼としか言いようが
本当に死にたい気分
おねがい 死んでーーーーーーーーーーーーーーーー
うるさい! うたうな おんち
ばか 永  しね!>


【同年 クリスマス】
<変なおっさん(父)が、「いや」ってゆーたらなぐった!
使いたいんは、てめーだけじゃねーぞ
しね しね しね しね
どっか行っていにくされ
アル中 くさいんじゃ
来るナ! >(激しく殴り書き、解読困難な箇所もあった)


【同年 12月26日】
<栗のむき方で、私のむき方でむいたら怒られた・・
ばかナ親! 死ね しね しね しね いね しね Bay しねしねしねしねしねしね
45才のアル中 がんこじじぃ
くりのむき方ごときでこーして怒られないかんの?
くりに正しいただしくないあるんか!?えーっ!?
どーでもAことを意地はっとんじゃなくて、
正しい意見を述べただけ!
うるさいじじぃ くそ・はよ・ねろ
しねしね >


本気で死んで欲しいと願っていた。

本当に本気で。

親子

今日も変わらず元気そうだった。
顔を出したはいいが、やはり簡単には話は弾まず、帰ろうとしたら看護士の女性が「大丈夫?なんともないん?」と患者さんの見回り(?)に来た。

すると、お腹を抱えて「お腹が痛い~」とサムイ小芝居をする父。結構長々とやっていた。(看護士さんは笑ってくれていたが)
失笑しながらも、私が看護士さんに「大丈夫です。まったく悪くありません。(笑)」と脇役として小芝居をやめさせた。それから、看護士さんと昨日のカテーテルが痛かったとか色々と談笑していた。


日中、誰もお見舞いに来ない中、父は看護士さんと親しくなっていて、話し相手になってもらうことで気持ちが紛れたり、慰められてるんじゃないかなと思った。
まあ、あの病院には再三入院していて、勝手もわかっていて、顔見知りの看護士さんも多いからというのも多分にあると思うが・・


看護士さんが病室を出て、父方の祖母の話になった。
先日、電話で病状を伝えたときの祖母の反応を聞いてみた。特に動揺することもなく、心配しすぎることもなかったらしい。

祖母も高齢で、自分自身心臓が悪く、長年の通院、治療、祖父をガンで亡くしていることもあり医療や病気に対する知識が多いからではないかと父は言っていた。


父:「おばあちゃんも身体悪いのに、倒れたらどうするんや。誰が面倒みるんや。」
以前も同じようなことを聞かれ、その時は”自分たちは自分の親のことを考えている。弟は父と母の為に貯金までしている。お父さんらの親のことは兄弟で話し合うべき。”という返答をしていた。
それもあってか、
父:「わしが通院できるくらい回復したら、おばあちゃんになんかあった時病院に行ってあげたりできるやん。そうしたいと思ってるんや。今んとこ、兄貴のとこが看てくれることにはなってるらしいけどな。」
父は、回復して、祖母に何かあったらしばらく向こう(県外なので)に滞在してでも役に立ちたいと思っていた。

家に帰ってその心理を考察してみると、案外今までの自分の行いに対する贖罪の意味もあるような気がするし、純粋に祖母の助けになりたいと願っているところもあると思った。
打算だけではないなというのは感じた。
私は”それにはまず自分の病気を治さなくては、手術までに体力と気力を貯めておけ”と陽気にアドバイス。父もうつむきながらうなずいた。
そして最後に、
私:「お父さんにとったらおばあちゃんが親や。でも私らにとったらお父さんが親や。だから、私らはお父さんのことを考える。それが順番や。お父さんがおばあちゃんの為にできることがあって、したいなら好きにしたらええやん。」
と言った。

サポーター

今日も病院からは連絡がない。
昨日、早々と帰ってしまったので、父の状態が気になり、足早に病院へ向かった。やはり昨日は検査後でしんどかった様で、今日はいつもの父だった。
検査結果について聞くと、まだ治療方針は確定していなくて、大腸の腫瘍を取り除くために内科から外科へ引越しをする可能性が高いということだった。
しばらく、外科手術の話しをした。
半身麻酔は怖いねとか、怖くても医者を信用するしかないとか、「殺してくれ!って先生に身ぃあずけなしゃーないやん」と父が言ってみたり。
「怖いと思うけど、まあ、あんまりびびらず頑張って」と私なりの励ましをした。
出来るだけ明るい気持ちでいて欲しいと思ったので、ちょっと茶化すくらいに激励した。
そして、「ひとつひとつ治していくしかないね。時間かかるけど。頑張って」と言った。
最後に妹の帰省日を伝え、
私:(妹に)「お父さんがびびってるから、お父さんのこと励ますようにゆうとくわ。」
父:「○○が来てくれたら、そら励みになるわ」とポツリと言った。
父は、妹が一番かわいかったように思う。その分、子供の中では一番暴力をふるわれたが・・・


夜は、母方の叔母から電話があった。
叔母は今までも、我が家の相談にもいつも冷静に相談にのってくれ、明るく励ましてくれる頼もしい存在。
早く叔母に相談したかったので、母から叔母へ伝えてくれるよう頼んでいた。
それを受けての連絡だった。
詳細を伝えた。
”本当に大変だと思うけど、なんかあったらおばちゃんたち協力するから頑張って。今はお葬式の心配なんてしなくていいんだからね。”
と言ってくれた。
叔母に相談して、そういう風に言ってくれたというだけで、随分気持ちが楽になった。


母と叔母の間では、母がこちらへ戻ってきて、父や私の手助けをしてもいいという話も出ているようだった。私にとってはとてもありがたいし、父も内心喜ぶかもしれない。が、喜ばないかもしれない。
嘘がつけない母は、父の前で上手に振舞えずボロが出る可能性も大きい。最後の最後まで些細な事で口論となるかもしれないし。
ありがたい申し出の反面とてもリスキーな提案でもある。

まだその時ではない。  父の状態をみながら検討しよう。
また、父への告知の話も出た、アルコール依存症になるくらいメンタル面が脆い人なので、告知はしない方が良いのではないかということだった。確かに。そういう側面からみても告知はしない方がいいなと思った。