岩田幸雄研究 -3ページ目

岩田幸雄研究

広島の岩田幸雄について調べた記録(ログ)です

 

広島県モーターボート競走会の15年史の冊子に興味深い文章がありました。

 

転載しましょう。

 

「軍に協力し、蒋介石の宿敵となった汪精衛を守って重慶から離脱させる手伝いをした岩田会長は、当然に戦犯の指名をうけ、ユザン島で逮捕された。

 

死刑は免れなかった。

しかし、岩田氏の逮捕をユザン島の島民が黙ってみてはいなかった。

島民と対岸福建省の華僑が一致団結し、涙のこもる釈放嘆願が繰り返され、さすがの蒋介石も岩田会長の無罪釈放を認めざるをえなかったのである」

 

 

 

しかし・・・・

 

戦犯に指名とあるけど、ホンマかいな。

 

戦犯だった情報は持ってないなぁ。。。

 

 

 

このブログ記事を書いているのは、実は2017年6月。

 

ずいぶん先の記事まで書いてたもんだ。

(岩田幸雄について別ブログからの転載で成り立ってましたから)

 

さて、岩田幸雄氏が人生で忘れえぬ場所(ユザン島)だった所に行く計画は、2017年6月になくなってしまいましたが、このブログがアップされる頃には解決できてるといいな。。。

 

オサライとして、ユザン島について書いておこう。

 

書籍 「消えぬ夢」 には、足掛け3年、正味1年と9ヶ月過ごしたことが書かれている。

 

また、三つの島が巴形にならんでいて、その中で一番大きいのが大ユザン島で、

 

島には、媽祖港と蘆竹港という港がある。

 

島の中央に海抜二千尺の山があり、山頂は盆地になっている。

 

山の中腹には華厳の滝ほどの滝がある。

 

当時の長老(阿銅伯)は、林高峯。

 

 

 

 

※ 媽祖(まそ)は、航海漁業守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教女神。尊号としては、則天武后と同じ天后が付せられ、もっとも地位の高い神ともされる。その他には天妃、天上聖母、娘媽がある。台湾福建省潮州で特に強い信仰を集め、日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ広まった。親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある。

 

 

笹川家のことについて書かれた 「宿命の子」 という本

 

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この中に岩田幸雄氏について触れられている。(P348、P404)

 

P348は、「日本の地下人脈」という本の中の文章を引用で、広島の国泰寺にあった事務所での出来事が書かれてあり、事務所に飾ってある写真についても書かれています。

その写真はコレです。↓

(濃い写真だね・・・詳しくは日本の地下人脈を参照下さい)

 

 

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「宿命の子」のP404には、戦争中に北京にあった塚田機関の塚田信雄の語ったエピソードがあります。

「児玉から金をもらって広島で殺人事件を引き起こしたといわれる岩田が広島の競走会会長に就任したのは地元の反対勢力を抑え込むためであって笹川良一はゴロツキやヤクザや右翼を各競走会に配置した。S31年10月の群馬県桐生市の競艇開催では、地元の暴力団が自分たちにことわりなく開催決定したものだから、良一の命を狙おうとした。それで岩田幸雄は了平に頼まれて広島から配下の者たちを桐生に送り込んだという。これは岩田幸雄自身も認める話であるが、塚田の証言は生々しい。」

とあります。
この桐生に送り込んだ話は聞いたことがあります。

しかし、児玉から金をもらって殺人事件を起こした・・・のくだりは怪しい感じです。
確かに広島の共政会を取りまとめたとも言われていますし、現に昔、存在していた宮島競艇株式会社の初代社長は山村辰雄でした・・・
だから、配下の者(ヤクザ??)を送り込んだ話は本当ですが、金をもらって殺人事件を起こした・・・は、違う気がします。
それにこの宿命の子のP349にも書かれていますが、「児玉は岩田からみれば下っ端、藤も同様であろう」 とあります。

ま、想像ですが、本人が手を下すこともないでしょうし、この話でいうと、戦後の復興、雇用の創出を目的とした社会貢献事業である競艇開催のための必要悪を活用したってことでしょうね。。。(少しは柔らかい言い方になったかな)
そして、前述の児玉は下っ端・・・も、元は岩田幸雄のインタビューからですし、この宿命の子も含めて歴史は書かれたものが事実になりますので、どこまでが本当なのか分かりません。

と、いうことで、今日はココまで。


引き続き、岩田幸雄氏について調べていきたいと思う。



 

紅幇(ほんぱん) ・ 青幇(ちんぱん)と読みます。

 

さて、白洲正子さんの「心に残る人々」という書籍がありますが、ここに 「岩田幸雄」 について数ページ書かれています。

 

色んな書籍に岩田幸雄について書かれていますが、その人柄や想いのような部分に触れている本はこの本しかない!?と思っています。

 

そんな白洲正子さんの書かれた文章には、”一年半しかいなかったが最も幸福だった時代”( 嵛山島にいた時期)という書き方であったり、

 

”武器を持っておれば人を襲いたくなる。武器というものは人を殺すよりも、自分を殺すことに役立つ場合の方が多い・・・国の場合も個人の場合も同じことです” のような岩田幸雄氏の言葉が書かれています。

 

”右翼の一方の旗頭で、戦時中は上海で紅幇に属し、児玉期間を創立したり、軍部の用もつとめたりして、飛ぶ鳥も落とす勢いだった。。。。” 岩田幸雄氏。

 

なかなか全貌は見ることも出来ませんし、もう証人もいないでしょうけれど、少しは当時のことが分かるものが出てくればいいなぁ。

 

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しかし、、、中国の秘密結社である 紅幇(ほんぱん) にも所属していたとは、、、、

 

謎めいていて面白く興味深い人生だ。

 

 

 

 

別冊太陽の「青山二郎の眼」の某ページに岩田幸雄のことが書かれていました。

 

まず 「岩田が割烹旅館を始めるというので萩まで食器を買いに行ったことがあった・・・・」 とあります。

これは、長門市にある窯元 「陶兵衛」 のことだと思われます。

ちょっと事情があって、陶兵衛の器があったことは知っていましたので。。。

 

そして、その文章のあとに 「青山が広島に来るもう一つの楽しみは岩田の所有する瀬戸内海の小さな島でヨットに乗ったり、一人遊泳することだった」 とあります。

また、河上徹太郎を誘って風光明媚な瀬戸内の海を、ヨットで走行し楽しんだこともあった。。。と書かれています。

 

確かに今も河上徹太郎杯ヨットレースという宮島を一周するレースがありますから、やはり宮島界隈に島を持っていたのかもしれませんね。。。。

 

ま、岩田幸雄氏は、宮島の対岸に別荘 「せいぎょそう」 いう別荘を持っていましたし、その横に 「海楽園ヨットハーバー」 も所有していましたので、みなでヨットで楽しんでいたことは事実でしょう。