最近読んだ漫画の中では断とつトップで面白かったかもしれない。


最初はむちゃくちゃな変態漫画やな!
と思って読んでたけど、中盤から後半にわたって、この作品にはものすごい文学性が含まれているんだと思った。


漫画を読んでいながら、純文学を読んでいるかのような興奮をおぼえた作品でいえば、間違いなく僕の中でこの作品がトップだと思う。


この作品の中盤から、肌が痛くなるかのような「冬」などの季節感が感じられ、顔を覆いたくなるような恋愛風景もある。家族や親せきの関係性の崩壊や、再構築もリアルだ。と、まずつべこべ言う前に単純に面白い!



この漫画の文学性は
分かる人にしか分からないかもしれない。
こういう言い方はきっと卑怯なんだろう。
でもそれが真実だと思う。


「この音楽、いい音楽やなあ」と思ったものが、必ずしもみんな良いと思うわけではない。


芸術的興奮とはそんなものだ。

数値で換算されるような類ではない。(逆に換算できる世の中になってしまえばどうなるんだろう?)


一種の芸術的興奮は、人が「分かりあう」という意味では、救いようがない部分もあるが、そのかわり、分かる人にしか分からない興奮や特別性、一体感、アイデンティティーを生み出す上での救い主にもなりうる。


すべての人が分かりあうことなんかできっこない。
僕があなたの気持ちを分からないように、あなたも僕の気持ちが分からない。
この漫画のラストのように。
誰が誰の苦しみを分かってあげられるだろうか?


でも主人公の春日のように、分からないけど分かりたいって気持ちも、みんなもってる。


何かのひょうしに、あなただって、ほら










 
 以前よりずっと懸念していた、介護実習期間はすべて終わりました。

 
 半年くらいブログを留守にしていましたが、その間6月、10月と実習期間があり、なんとか実習を乗り越えました。評価はまだですが、おそらく大丈夫だろうとは思います。就職も内定しました。



 6月の実習につきましては、前回の実習での発作に打ち勝つための 「犬ゲロ療法」が功を奏したのか、実習で起きる発作に対して、そんなに恐れがなく、犬ゲロ療法を使うまでもなく、1ヶ月間を乗り切りました。



 しかし、先月の実習では、途中まではほとんどなんともなかったのに、半月ほどすぎてからパニック発作が再発しました。自分の中でも原因はよく分かりません。睡眠不足が原因か、ストレスが原因かよく分かりません。とにかく、自律神経が乱れてしまったのか、毎日のように発作が起きました。今回の実習は電車で通わなくてはいけないために、電車に乗れなくなってしまったらどうしようという不安がすごくありました。




 そこで「犬ゲロ療法」発動!




 私の前のブログを見ていただけると分かるのですが、パニック発作というのは、起こさないように注意しても、なかなかコントロールできないところに弱みがあります。むしろ注意すればするほど気にしてしまって、パニック障害の術中にはまってしまい、恐怖の中でもがき苦しむことになります。



 しかし、昨年の実習において、犬ゲロ療法という、ある程度発作をコントロールできる方法を編み出しました。どういう療法かというと、簡単にいってしまえば、大事な場面で発作が起きてしまう前に、自ら意図的に起こしきる!という技です。




 かなりの荒技ですが、その効果は色々試してきた療法から群を抜いており、効果があります。
犬ゲロ療法を使うと、結局発作を起こしてしまうわけなんですが、大事な場面を無事に乗り越えることができます。ただし、この方法には弱点もあり、当分の間、発作が癖づいてしまいます。なぜなら実習が休みの日でも、実習が終わった今でも、まだ発作が続いているからです(笑)

 これについては、ゆっくりと時間を使って自律神経を整えていくしかないでしょう。このように、毎日ゲロ吐くことを覚悟せねばなりません。多い時は一度に10回以上吐きます。朝何も食べてないうちに吐きますから、胃液以外のなにも出ず、胃がキリキリと収縮し、痛むかのようでした。もう何も出てこない!ていうまで吐きます。中途半端に発作を起こし終えてしまうと、効果が薄まるどころか、逆にずっと予期不安や発作のしんどさに耐えなければならないハメになるので、発作は出るだけ起こしきります。僕の発作の場合は「吐く」ことです。僕は過呼吸型ではありませんので。




 朝のうちにゲロをはくだけ吐いてしまうと、その後一日はほとんどなんとも発作や予期不安の症状はありません。ただし、一度寝てしまうとなぜかリセットされてしまいます。脳がリセットされてしまうのでしょうか?したがって次の日も吐かなければなりません。このメカニズムについては、自分でもよく分かりません。




 今回は昨年とは違い、実家からの通いだったので、実家で犬は飼ってなく、想像力で発作を誘発させなければなりませんでした。犬ゲロ療法の応用編です(笑)



 その日の実習から帰って、必ず書かなければならない実習日誌は睡眠不足を招き、体調不良の原因になります。しかも、うちの学校は手書き指定であったため、余計にすすみが遅く、大変でした。僕は前もって、学校側に手書き指定による弊害(睡眠不足を招くことにより、利用者様介助のリスクが高まる点)を説くことによって、パソコン書きをOKにしてもらいました。ただし、実習先に了承してもらえばOKとのこと。僕は実習先にも上記の弊害を説くことによって、なんとかパソコン書きOKしてもらえました。それくらい、睡眠不足とは僕にとっては深刻な問題なんです。
 今回の実習で、同級生の7割はパソコン使用できたみたいです。よかったよかったです




 後は、アウェイでの実習はなく、すべてホームで行えるのでなんとかなることだと思います。
発表やケーススタディ、共通試験など、まだまだやることは山積ですが、なんとかがんばっていきたいと思います!








 ついでに、今年の夏、琵琶湖にてジェットスキーから全員振り落とされ、水を飲みまくって溺れた恐怖のあまり、そのときも発作おこしちゃいました(笑)まさか、琵琶湖の真ん中で取り残され、発作を起こすハメになるとは思いませんでした(笑)
 10分後くらいに、もう一艇に救出され、ことなきをえました。もう船関係はイヤだ














最近、よく聴いてます。
最初、この楽曲の良さがあまり分らなかった。なんでなんだろう。
そういうことって、ありませんか?

曲!そして歌詞!両方いい!!


夏の終わりをにおわせる楽曲ですね。

夏の終わりとか、祭りのあととか、そういった空気、寂しいだけに抱きしめたくなります。


思春期の頃の夏休みを思い出します。


あの頃は、地元が俺の世界のすべてだったなあ

今となっては、元地元に行くことも少なくなっちゃったけど

あそこが俺の世界のすべてだった

大人になってから、久しぶりに帰ったら、道路とかが狭く見えるんですよね

「あれ?こんなに狭い幅の道路だっけな?」

って具合に。

時間の経過を感じてしまいます。

小さくなってしまった世界をいとおしく思います。

あの地元が俺のすべてであったし、俺の基礎をつくっているのは間違いないのだと思います。




フジファブリック

若者のすべて

作詞:志村正彥
作曲:志村正彥

真夏のピ一クが去った
天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は
落ち著かないような
気がしている

夕方5時のチャイムが
今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利な
ものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら言えるかな
まぶた閉じて浮かべているよ

世界の約束を知って
それなりになって
また戻って
街燈の明かりがまた
一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを
とり戻したくなって

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら言えるかな
まぶた閉じて浮かべているよ

すりむいたまま
僕はそっと步き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
なんてね 思ってた
まいったな まいったな
話すことに迷うな
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ