大阪市民として都構想の住民投票行ってきました!
いやあ、僅差でしたね。僅差で反対多数で否決となってしまいました。
ハラハラしながら開票中継を見ていました。



世代別投票内容を見てみますと、だいたいこんなかんじだったらしいですね。




 これを一見しますと、各世代間で賛成多数なのに対し、70代だけ反対多数。
つまり、70代の反対投票が圧倒的に結果に影響したのかもしれませんね。これだけみれば、言い方は失礼ですが、民意であり、老意の選挙であったという世間の見方も頷けます。



 しかし、実際のところ、大阪市の有権者数の世代間の比率はそれほどバラつきがあるわけではないようです。ではなにが決め手になったかというと、世代間投票率みたいです。つまり高齢の方の投票率は高かったが、若者、中年世代の投票率が低かったのでしょう。



 都構想実現が成らなかったことを残念がる若者が多いですが、文句言うんやったら投票行けよ!
と言いたくなってしまいます。



 また今回の住民投票の命運を分けたのは、すべての世代間で都構想の実態があまり把握できていなかったことがあげられるでしょう。制度の変革の問題なのに、政策の是非・今後にばかり目がいってしまい不安を覚える方が多かったのではないでしょうか。
 実際にうちの両親も「敬老パスの存続が危うくなるから、反対に入れる」とそれだけで投票するという安易な考え方でした。しかし、実際問題として、都構想がよくわからず、不透明なだけにそういった目先の政策の安否だけで投票を決めてしまったかたは多かったのでないかと思います。これは都構想の最も大きな敗因だったのではないでしょうか。



 しかし僕は、未来の子どもたちのことを考えると、今は懐が痛んでも、二重行政などの無駄ができにくくなる体制自体を作る、器づくりが最も必要だったのではないかと考えます。それは若者だろうが、高齢だろうが、本当に自分の未来の子孫のことを考えると必要なことだったのではないかと思います。目先の敬老パスの存続なんかが、そんなに大事なのか?未来の子どもたちの天秤にかけられるほどのものなのか?と思います。長い目で考えたら、目先の安楽を選び自分を大事にしているようで、実は損をしているのではないか?



 多くの人がマスコミの目先の情報に踊らされて、自分で情報を調べることを怠ったのではないかと思います。それができないなら、後になって文句を言う資格などないのではないでしょうか。



 あと僕の思う理想の政治家は、信念を持ち身を切って動ける人です。
それは政治家の本分であり、当たり前の性質であり、最も備えることが難しい性質なのだと思います。しかし、そういう覚悟のできた政治家こそが歴史上、国を支えてきたんだと思います。そういう信念をもった政治家は、今いくらほどいるのでしょうか?そんなカッコイイ政治家が活躍できる世の中になってほしいです。
















無事、学校を卒業して、介護福祉士の資格をいただきました。

共通試験を120点中105点、全国200番代、校内1位通過しました!

そして今月から働き始めています。

実際に働きだしたら、点数なんて現場ではほとんど役には立たない。

気になるパニック発作なんですが、最近また出るようになってきています。

毎朝、胃液を何度も吐きながら、用意をして仕事に通っています。

しかし、学生時代に会得した「犬ゲロ療法」でなんとか発作と戦いつつ、仕事に通えています。

仕事・・・正直いって大変です。

利用者さんによって介護のしかたがぜんぜん違くて、覚えることだらけでいっぱいです。

毎日怒られまくってます。

みんな辞めていき、人手が足りなくて、入社して2週間も立たずに僕はグループのサブリーダーになってしまいました。

まだ試用期間なので、本格的にはじめてはいませんがデスクワークも多いです。

ケースも2名担当することになりました。

サービス残業がうっとおしいです。

変則勤務もしんどいです。



でも、これが「普通」なんですよね。

これが僕の求めていた「普通」

世間一般の人が、生活を守っていくためにすべきこと。

「普通」って本当に大変です。

でも世の中の大多数の人が、この「普通」を継続させるために頑張っているんですよね。

さて、僕は「普通」を守りきれるんだろうか・・・


僕はどこへ行こうとしてるんだろう。

僕は僕でありながら、僕なりの幸福を探し、見つけ守っていくことができるんだろうか。















また変な夢をみた。

世界が縮んでゆく夢だ。

自分も含めて、みんな縮んでゆく。

ミクロのさらにミクロの。

その最後は、滅びなんだとみんなは気づいている。

ゆっくり、ゆっくりとみんな縮んでゆく。

もはや社会が機能しなくなってきた。

その中で、略奪や殺戮を行う者もいる。

別れを告げて、みんなと一緒に待つ者もいる。

一人で去ってゆく者もいる。

ひたすら嘆いている者もいる。

新しい恋が生まれた者もいる。

縮んでゆく世界の中で、ひたすらアートにいそしむ者もいる。

縮みゆく世界を実況する者もいる。

ただ、世界はゼロという収束点に向かって、すすんでいるということだけは、みんな知っている。

映画のラストのように、エンドロールのように音楽が流れてきた。

夢のくせに気が利いているのだ。

そして目が覚めた。

ふしぎな夢だ。