専門家の間ではエンブレムは模倣とは考えていないが、一般国民の理解が得られないため、使用禁止にすることで佐野氏、審査委員、組織委三者で意見が一致したとの説明がオリンピック組織委員会からなされた。



そもそも、オリンピックは全国民的行事でしょ?一般国民から支持されるような、一般国民が理解できやすい象徴となるエンブレムを考えるべきでしょ?
つまり、デザイナー専門家とのたまう審査委員の方々は、一般国民に分かりにくいものを選んだ時点で大きな見当違いを起こしていますよね。
そのあたりの基本的な考え方のベクトルが、大衆と乖離していることが問題でしょ。


そんな基本的な国民のニーズすら取り違える、その感性こそが「鈍感!」と言わざるを得ない。
デザイナーのくせに、人の感性に鈍感というのは、デザイナーとして致命的ではないか?


難しいことをやりたいなら、国民行事でやるのではなく、自分の自己満足の世界でどうぞやってください。

また、その責任を一般国民になすりつける姿は、醜くて仕方がない。あなた方が求めた芸術の世界からはかけ離れたような醜い結果を招いたのではないか?


前回のブログでも書いたが、芸術家は作品を作る上で「わかりやすさ」を大衆に示す義務がある。
「わかりにくさ」の上にあぐらをかいたような活動はやめようよ。




分かりにくいことが重宝がられることがある。

たとえば、絵や文学、音楽なんかの芸術の類だ。



あやふやな感じが、空気が好まれたりすることがある。

それは認めよう。



なぜなら、世の中にある真理とは、あやふやな場合が多く、グレイゾーンの中にあることがほとんどだからだ。

数学のように明確で、絶対と言えるようなことはむしろ少ない。



しかし、真理を探究する芸術家は、せめて分かりやすい形で世間に発表する努力をする義務があるのだと思う。

なぜならその仕事は、数学や科学と同じように、別の観点からであっても、同じ真理を追い求めている作業に他ならないからだ。



宗教だってそうだ。

真理をかざすのなら、最も分かりやすい形で大衆に示す必要があるのではないか。

それが雲のような真理を、網をただ途方もなく振り回すことで掴もうとする者、掴める者の役目ではないだろうか。

怠ってはいけないのだと思う。



人間関係にしてもそうかもしれない。

その人の分からない部分、ミステリアスな部分があるから、その人に惹かれたりもする。



しかしそれは所詮、偶像でしかないのだ。

みんなが分からないものを、分かったような気になって自己満足しているにすぎない。



そういう不確かな空気のような物にあぐらをかいて、分かったような気になっている芸術家や大衆を僕はあまり好まない。



ときにはすべてを明確にさせ、分からないものは分からない。分かったものは分かった。という風に素直に認め示し、みんなと同じ土俵で示さなければ説得力がない。

せめてもの、分かりやすく示そうという気概さえ失ってしまったのでは、もはや話しにならない。





 
 大阪市民として都構想の住民投票行ってきました!
いやあ、僅差でしたね。僅差で反対多数で否決となってしまいました。
ハラハラしながら開票中継を見ていました。



世代別投票内容を見てみますと、だいたいこんなかんじだったらしいですね。




 これを一見しますと、各世代間で賛成多数なのに対し、70代だけ反対多数。
つまり、70代の反対投票が圧倒的に結果に影響したのかもしれませんね。これだけみれば、言い方は失礼ですが、民意であり、老意の選挙であったという世間の見方も頷けます。



 しかし、実際のところ、大阪市の有権者数の世代間の比率はそれほどバラつきがあるわけではないようです。ではなにが決め手になったかというと、世代間投票率みたいです。つまり高齢の方の投票率は高かったが、若者、中年世代の投票率が低かったのでしょう。



 都構想実現が成らなかったことを残念がる若者が多いですが、文句言うんやったら投票行けよ!
と言いたくなってしまいます。



 また今回の住民投票の命運を分けたのは、すべての世代間で都構想の実態があまり把握できていなかったことがあげられるでしょう。制度の変革の問題なのに、政策の是非・今後にばかり目がいってしまい不安を覚える方が多かったのではないでしょうか。
 実際にうちの両親も「敬老パスの存続が危うくなるから、反対に入れる」とそれだけで投票するという安易な考え方でした。しかし、実際問題として、都構想がよくわからず、不透明なだけにそういった目先の政策の安否だけで投票を決めてしまったかたは多かったのでないかと思います。これは都構想の最も大きな敗因だったのではないでしょうか。



 しかし僕は、未来の子どもたちのことを考えると、今は懐が痛んでも、二重行政などの無駄ができにくくなる体制自体を作る、器づくりが最も必要だったのではないかと考えます。それは若者だろうが、高齢だろうが、本当に自分の未来の子孫のことを考えると必要なことだったのではないかと思います。目先の敬老パスの存続なんかが、そんなに大事なのか?未来の子どもたちの天秤にかけられるほどのものなのか?と思います。長い目で考えたら、目先の安楽を選び自分を大事にしているようで、実は損をしているのではないか?



 多くの人がマスコミの目先の情報に踊らされて、自分で情報を調べることを怠ったのではないかと思います。それができないなら、後になって文句を言う資格などないのではないでしょうか。



 あと僕の思う理想の政治家は、信念を持ち身を切って動ける人です。
それは政治家の本分であり、当たり前の性質であり、最も備えることが難しい性質なのだと思います。しかし、そういう覚悟のできた政治家こそが歴史上、国を支えてきたんだと思います。そういう信念をもった政治家は、今いくらほどいるのでしょうか?そんなカッコイイ政治家が活躍できる世の中になってほしいです。