夏バテぱね | ぱね便り(旧:V町便り)

ぱね便り(旧:V町便り)

スウェーデン暮らし12年目。おかしいな、いつの間にそんな時間が経ったのだ?と、毎年同じことを考えています。

水曜日のお昼過ぎにベルリンに到着し、その後、久しぶりの友人たちとの再会を喜びながら大都会ベルリンを満喫しているぱね・・

・・ですが、金・土と2日連続のあまりの暑さに、情けなくも夏バテ状態であります。

暑いと言ってもですね、気温はせいぜい32度とか33度とかです。湿度だって日本に比べたらはるかに低く、しのぎやすいはずなのです・・・

・・・・今年のスエの「普通の(つまり涼しい)夏」に身体が完全に甘やかされていなければね・・・

ぱねの住んでいるあたりでは、今年は久しぶりに、30度越えの日が一度もなかったのであります。2018年以降は、毎年「猛暑」の期間がある程度はあったんだけど、今年はほんとーに久しぶりに(ぱねにとっては)過ごしやすい夏だったのだ。助かったのだ。

でもおかげで、この程度の暑さにすら、もはや対応できなくなっている情けないぱね。orz

土曜日の午後など、ぱねは街中を歩く元気もなく、冷房の効いている場所を探して結局アレクサンダープラッツのデパートに行き、一番上の階にあるカフェテリアで過ごしていたのであるよ。だめだこりゃ。

さて、ベルリンでお世話になっているのは、友人のAさん宅であります。旧東ベルリン地域に暮らしているAさんのお家の周辺を散歩すると、やっぱり、ベルリンとドイツの近現代史の痕跡を、あちらこちらに発見することになるのだ。私はベルリンが大好きだが、ベルリンを訪問するということは、ぱねにとってはそうした近現代史の痕跡と向き合うことも意味する。だから、気力も必要なのよね。

前回ベルリンを訪問したのは、(日記を確認してみたところ)2017年1月のことでした。その翌年、ぱねはモスクワにまで遠征しているのだが、「私はモスクワに行ったことがあるのだ」という事実を改めて確認することになったのが、カール・マルクス・アレーKarl-Marx-Alleeという、まっすぐでだだっ広い道路と、その両脇にずっらーと立ち並ぶ仰々しい建物の群れを目にした時でした。

 

 

まっすぐな道路。街灯が奥まで一直線に続いているのが見えます。 

 

 

その先にあるのが、この「門」。フランクフルター・トアーFrankfurter Tor。 

 

 

道路沿いに並ぶ仰々しいアパート群。 

 

 

このスタイルを目にした時、ぱねの頭に即座に浮かんだのは、モスクワ中心部の大通り、トヴェルスカヤ通りにそそり立っていた、このアパート群のスタイルだったのだ。

 

 

後で調べてみたら、似ているのは当たり前だった。戦後、この大通りの再開発(戦争で廃墟になった後の)を計画した東ドイツ/東ベルリン当局は、「模範」となる建築スタイルを探しにモスクワ視察に出かけていたのだそうだ。この仰々しいスタイルは、いわゆる「スターリン様式」というやつだったのね。

この壮麗な大通りは、東ドイツ時代にはもちろん国家の威信を示すためのパレードにも使われていたのですな・・・

そして、Aさん宅近くで、また「つまづきの石」を発見。

 

 

 

 

ベルンハルト・ゴットシャルク
1859年生まれ
1943年テレージエンシュタットに収容
1944年6月2日 殺害

と書いてあります。テレージエンシュタットに収容された時、すでに84歳のおじいちゃんだった人。当時の84歳なんて・・平均寿命を考えれば今の100歳くらいじゃないのか?そんなおじいちゃんを家畜用の車両で運搬し殺して、嬉しかったかナチスよ。

この「つまづきの石」は、その人が自分の意志で暮らしていた最後の場所に設置されているもの。このゴットシャルク氏は、今、アパートが建っているこの場所にあった建物に暮らしていたのだ。

今のアパートの入り口。赤丸が、「つまづきの石」。 

 

 

ゴットシャルク氏が暮らしていた頃、ここにはどんな建物が立っていたのだろう。このアパートのある地区は、当時は労働者階級の暮らす賑やかな界隈だったらしい。

 

(CC-BY-SA-Lizenz - Bundesarchiv, Bild 183-J1002-0500-008 / CC-BY-SA)

この地区は、ベルリンの他の地区同様、空襲でほぼ壊滅状態になったため、当時の姿はほとんど残っていない。そして戦後、東ベルリン当局は、この地域に「プラッテンバウ」と呼ばれる集合住宅(日本で言うところの「団地」っぽいやつ)を多く建設したのであったよ。

というわけで、例のごとく「ドイツ/ベルリンの近現代史」の痕跡に否応なしに気をとられるベルリン滞在なのですが、もちろん他のことも楽しんでいます。

今回のハイライトは、Aさんが連れて行ってくれた「ドン・フアン・センターDong Xuan Center」という、巨大なアジア物産マーケット。

 

 

 

元々はベトナム中心だったようだけど(旧東ドイツでは、「同じ共産主義の兄弟国」という名目で、ベトナムからの外国人労働者が大勢働いていた。その名残で、ベトナム系の人は今でもドイツに大勢いる)、最近では広く東南アジア、インド、パキスタン、中東の物資も扱うようになったそうで、

かつては倉庫として使われていた多数の(数えなかったが10棟以上ありそうだ)建物の中に、ぱね(と友人Pちゃん)の大好物である「ローカルマーケット」の中身が、ぎっしり詰まっているのである。

このセンターに入っている店舗の中には「卸売のお客さん専門」で商売をしているところもあり、そういう店舗の入り口には「卸売業の方のみ」という断り書きが出ていたりしていた。

数としては小売をしている店舗の方が多いのだが、

卸売だろうが小売だろうが、特に衣料品はですね、

「誰が」「何のために」

買うのだ???

という疑問しか起きないタイプのものが、

ずっっっっっっっっっっっっっっらーー

と並ぶ、という、久しぶりの壮観!

この光景を最後に見たのは、2019年のトビリシであったな・・・と懐かしく思い出しながら、「ねえ、誰が、いつ、何のためにこんなのを着るの?」という衣料品を鑑賞して歩き回った私たち。

この類の衣料品の恐ろしさというのはですね。

確かに最初は「誰が、いつ、何のために」と感じるのだが、

そういうのばっかり目にしているうちに、

段々と目が慣れ、

最後には

「え?これ、なかなかいいよね?」

という気持ちになってしまうことなのでありますよ・・ :-D

今回、ぱねは(幸いにも)何も買いませんでしたが(いや、危ないものはあったんです。でも、どう考えても、「着て行く場所がない」と思われるものだったのです)、心に強く残ったアイテムを2種類ご紹介。

その1
眼光鋭く、そしてこれ以上ないほどドギツイ色使いのタオル2連発。 

 

 

この類のタオルを目にしたのは、2018年のサンクトペテルブルクの「魔界」マーケットが最後であった。魔界マーケットの思い出を共有する友人Mさんと、この魔界マーケットで購入したトラ柄タオルを喜んでくれた友人Mちゃん、そして、「ウマ」と「トラ」というこの上なく「同志的な組み合わせ」であることもあって、同志にも写真を送る。

その2
なぜそんなふうに吊るす? 

 

 

・・・としか思えなかった、気の毒なアヒル(か、ガチョウ)のぬいぐるみ。

この他にも、カルガモのぬいぐるみも同様に吊るしている店舗を目撃したため、この業界においては、家禽類ぬいぐるみは吊るす、という習慣があるのかもしれん。本物の家禽類も多分吊るして販売することだし・・orz

ふだん暮らしている環境とは180度違う大都会ベルリン。そもそもドイツに来ると、「食」に関して普段、自分がいかに修行僧的生活をしているかを痛感するぱねですが、今回も同じ。スーパーを歩いていても、外食の可能性の多様さを見ていても、とにかく選択肢の幅がスエとは比べものにならないくらい大きいのだーーー。食べたいものをしっかり食べて帰らねばー。