お勤め記録@福島その5 | ぱね便り(旧:V町便り)

ぱね便り(旧:V町便り)

スウェーデン暮らし12年目。おかしいな、いつの間にそんな時間が経ったのだ?と、毎年同じことを考えています。

6月7日(金)

金曜日。この日から、ハハを体操デイケアに連れ出す回数を月水金に増やすというプロジェクトが起動することになっていた。水曜日の担当者会議の時にすでにハハには説明済みであるが、もちろんハハは覚えていない。そして、「今日は午前中体操に・・」などと言い出そうものなら、「イヤです!行きません!」と言うに決まっているので、ぱねは何も言わずに素知らぬ顔をしていた。

朝9時過ぎ。玄関ドアが「ピンポーン」と鳴る。ハハが出ていくと、そこに立っていたのは体操デイケアの担当者、Mさん。

「おはよーございます。キョウコさん、体操行きましょう」

とMさん。

「え?体操?行かなくちゃいけないの?行く必要ないでしょ?嫌なんだけど」とハハ。Mさんの不意打ちに、明らかに驚き、混乱している。

「上履きさえ持っていけばいいんだから、おかーさん、行ってきたらいいわよ。はいこれ、上履き」

と、上履きが入ったビニール袋を渡すぱね。

「じゃあ、このスカートをズボンに履き替えてこなくちゃ」

と、ハハ。おお、この不意打ち、成功しそうじゃないか?

と思っていたところにチチも玄関に登場。「え?体操?今日は水曜日じゃなかったと思ったけど・・」と、ルーチンが全てのチチは大混乱。Mさん、そこに

「ヨシオさんも一緒に行きましょうよ」

と声をかける。「じゃあおとーさんも一緒に行っといで。はいこれ、上履き」と上履きの入っている袋をチチに渡すぱね。

というわけで、チチハハは多分、頭の中が「????」のまま、Mさんに拉致されて体操デイケアに向かったのである!しかし行ってしまえばあとはいつも通りなのだから、なんとかなるはずなのだ。

Mさんの不意打ち作戦、大成功。来週以降も打率が上がることを祈る・・・!!

そしてぱねは、鬼のいぬ間に、別の任務に取り組んだ。

このマンションを売りに出すにあたって、一体何をどうしたらいいのかを誰かに聞く、という任務である。

このマンション、名義はチチなので、もちろんぱねの一存ではどーにもならないのだが、「マンション売却」などという一大プロジェクトを自力でこなすことなど、もうチチにはできない。ぱねがやるしかないのだ。

しかしぱね、もちろん知識は一切なし。これまでの調査により、不動産会社に売却を依頼する場合にも「仲介」と「買取」の2種類があることはわかっている。で、うちの場合には「買取」(不動産会社に買い取ってもらう)のが適切であることもわかっていた。不動産会社による買取の場合はそれほど高くは売れないらしいが、うちの場合はそれは問題ではない。とにかく売れて手に入ったお金は、全てチチハハの施設暮らしの赤字を埋めるために使うのだから、彼らが生きている間だけもてばいいのだ。

んで、数日前に、信じられないタイミングながら、うちの郵便受けに「管理会社からのお知らせ」なる封筒が入っていた。このマンションの管理会社は、とある不動産会社の関連会社なのだが、その親会社である不動産会社が「売却・買取キャンペーンやってます」というご案内だったのである。

・・・・天啓?

というわけでぱねは、全く知らない不動産会社に電話するよりは、このマンションのことをよく知っているこちらの会社に聞いてみるのが一番だろうと考えたのである。

何もかもが未定で、おまけに色々特殊事情はあるのだが・・とにかく聞いてみるのはタダだ!

と、その会社の仙台営業所に勇ましく電話するぱね。

電話に出てくれたおにーさんの口調には、東北のイントネーションがはっきりあった。それだけで嬉しくなるぱね。

マンション名と部屋番号を挙げた上で、まだ売却のタイミングとかは全然わからないのですが・・売却しようと決めた時に、どういう手順になるのかをお伺いしたいのです、

と言うと、おにーさんは「では担当の者から折り返しお電話いたします」と答えた。

待つこと10分。

担当のおにーさんから電話がかかってきた。その名も「佐々木さん」(東北地方、特に宮城県北部~岩手県に多い苗字)というその担当のおにーさんにも、東北のイントネーションあり(涙)。

東北のイントネーション(それがどの地方のものであろうが)を聞くと、ぱねはいつも心が柔らかくなるのだ。自分の中に、東北の血が流れていることを実感する瞬間なのである・・

その佐々木さんに、うちの特殊事情を含め、状況をざっと説明したところ、おにーさんはそれを踏まえて色々質問し、手順を説明してくれた。

その説明の中で、気になったのは「抵当権登記抹消」の話。

このマンションを31年前にチチが買った時、もちろんチチはローンを組んだ。そのローンが完済されたことはぱねも知っているのだが、大切なのは、ローンを組んだ時にこのマンションに設定されていた「抵当権」を、ローン完済と同時に「抹消」することなのだ。でないと、このマンションにはずっと抵当権がついていることになってしまい、売ることができない、と。

果たしてその抵当権登記抹消手続き、チチはやってるのか・・?

ローン完済の時、チチはまだ66歳くらいだったはずで、チチの性格を考えれば、そんな重要なことをほったらかしにすることは考えられない・・のだが、マンションの権利書が入った大切なファイルには、抵当権登記抹消の証明書類などは入ってなかったのである。

・・・今さらチチに聞いたところで絶対に覚えてないし、こんなこと聞いたらチチを不安にさせてさらに混乱させるに決まってる。だから聞くわけにはいかない。

どうしよう・・・

と悩んだ挙句、ぱねはその佐々木さんにメールを書くことにした。まだ取引もしてないのに、こんなこと聞くのも図々しいが・・と思いながら、「抵当権登記抹消ができていない場合、どのような対応が必要になるのでしょう?」とメールを送ったら・・・

1時間くらいして返事が来た。なんと佐々木さん、登記簿謄本を取って、抵当権の状況を確認してくれたと。その結果、ちゃんと抹消されてたことが確認されたと(彼はその謄本もリンクで送ってくれた)。「面倒な手続きは発生しませんので、ご安心ください」だって(泣)。

なんかすごく嬉しくて、心が明るくなったぱね。

朝の体操デイケアのMさんといい、この佐々木さんといい、なんか、みんなが助けてくれているような気がするよ(泣)。がんばれぱね。とにかくぱねにしかできないことばかりなんだから、みんなの色々な助けを借りながら、がんばるしかないのだー!

そして金曜日午後は、ハハを連れて郵便局へ。ハハの定額貯金を解約し、そのお金を妹の郵貯口座に送金するためである。いつでも引き出せるゲンナマを妹に預けておくことで、引越しの際に発生するまとまった出費にあてるのだ。

この日は、その後、15:30から16:20までヘルパーさんが来てくれた。サービス内容はハハのご機嫌と状況に応じて、お風呂とトイレの掃除か、ハハの「夕食メニュー決め」のサポートか、ということになっているのだが・・・全く先は読めない。なにしろうちのハハは言うこともやることもその時の気分次第だから、予想ができないのである(泣)。ヘルパーの皆さんには本当にご面倒をおかけします・・・

6月8日(土)

まる1日福島で過ごす最終日である。この日はまず、肉体労働からスタートのぱね。すなわち、

エアコンの掃除

と、

台所の換気扇の掃除

である。

汗だくになって、3時間ほどかけて終了。もちろんこんなことは年寄りには不可能なので、誰かの力を借りるしかないのだが、当然その「力」を提供するのは「子供」であることが多い。

・・・子供なので、無償労働である。

私は2週間だけの滞在なので、2週間だけ無償で働けば済むのだが、日本の高齢者介護の仕組みって、この子供の「無償労働」を最初から「織り込み済み」であるところが大問題なんだよな、といつも思う。24時間、自分の時間を全て親の面倒をみるために使っている人も日本には大勢いる。そのせいで数えきれないほどの悲劇が起きている現実もある。

なぜそこが変わらないのかといえば、結局のところ、「個人の自立」が日本では(伝統的に)重視されてこなかったせいなんだろうな、としか思えない。

自分のことは、自分でする。それこそが個人の尊厳。だから、できる限りそれが可能になるよう、環境を整える。自分のことが自分でできなくなったら、そのためのサポートを皆が利用できるようにする。その仕組みを整えるのが社会の役割。そのために使うのが税金。

そもそも日本に介護保険制度ができあがったこと自体が、日本にしてはすごいことなんだと思うけど、導入されて四半世紀くらいたっても、これがどういう仕組みなのかを知らない人が多いというのも問題なんだよね。親だ子供だという「血縁」(自分の意志とは関係のないところで、生まれてきた瞬間に巻き込まれてしまうつながり)と、それに否応なしに伴う「良心の呵責」につけこみ、「面倒をみる」という無償労働(つまり一番安上がり)に人を駆り立てる。

・・・やってられん、と思うぱねである。多分、ぱねはこんな性格だから、自分で家族を作ることには興味が持てなかったんだろうなと思ってるのだ。なにしろぱねにとって家族は「重荷」なのだよ・・(泣)。

さて、今日は、チチ部屋で1つ発見があった。

2005年の夏に、チチハハとぱねで決行した「ドイツ旅行+プラハへの旅」のアルバムが発見されたのである!19年前ということは、チチ70歳、ハハ68歳。その頃のチチハハは、往路は2人だけで成田空港からフランクフルト乗り換えでシュツットガルトまで飛び、復路も2人だけでドレスデンからミュンヘン乗り換えで成田空港まで帰る、ということができる人たちであった。今とは別人である。これが老いるということなのねえ・・

「おとーさんこれ、2005年のあのドイツ旅行の時の写真だね」

と言うと、チチは

「それ、なんだかわからなかったんだよ」

だそうである・・・orz

ハハがこの旅行のことを全く覚えていないのは当然としても、チチの記憶からもすでに消えているのはショックだなあ(泣)。その旅行では、懐かしいシュツットガルト時代の友人にも一通り会ってきたのだが・・・

その「懐かしい面々」のことを、チチもハハも覚えていないのであった(泣)。名前は記憶に残っているようだが、顔を写真で見ても誰かわからないのだ。そこには自分も写っているのだが、その自分の隣に写っている人が誰かが、わからない。

チチも、認知症に片足突っ込んでおりますなorz。これ以上進行する前に、マンションを売ってしまわないと!(泣)やっぱりあと数ヶ月の勝負になりそうだな・・・