「アルタイ30日間の旅」 | ぱね便り(旧:V町便り)

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スウェーデン暮らし12年目。おかしいな、いつの間にそんな時間が経ったのだ?と、毎年同じことを考えています。

そもそもの始まりは、確かおととしだったと思うんだけど、スウェーデンテレビSVTのサイトで、「コーカサス30日間の旅」という旅番組を見たことでした。番組自体はフィンランドのもので、旅をする人は、Ville Haapasaloという、フィンランド人の俳優さんです。この方。

Ville Haapasalo


彼、番組の中で(つまり旅先で)は、ロシア語で地元の人々と話します。フィンランド人なのに、この人ロシア語できるんだな、すごいなあ・・と思って彼のことをググってみたら、上記のウィキにも書いてありますが、彼は1990年代、まだギリギリソ連の時代に、サンクトペテルブルクで演劇を勉強した人なのであった。で、俳優としてのデビューはロシアで飾ったそうで、そのおかげで母国フィンランドよりむしろロシアの方で有名人になっているらしい。番組の中でも、行った先で「一緒に写真撮って」とか「サインください」とか人々にせがまれることたびたび。

つまりこれ、ロシア語を話すフィンランド人が作った旅番組なのです。おもしろくないわけがないではないか。:-D

そしてこの「コーカサス30日間の旅」。本当にとってもおもしろかったので、「グルジアに行くぞ」熱が高まってるとらべるぱね、年末に久しぶりにまた見たくなったのです。んで、YouTubeあたりに出てないかなあ・・と思って探してみました。

そしたら、あった!ただし、ドイツ語吹き替えだったけど。この番組、ドイツでも放映されてたのね。で、誰かがそれをYouTubeにアップしてくれてたのです。ヴィッレは、この「コーカサス30日間の旅」以外にもいくつも(やっぱりロシアを中心に)旅番組を作っているようで、YouTubeにはそれらのドイツ語吹き替え版も一部アップされていました。おかげで、「コーカサス30日間の旅」に続き、「ヴォルガ30日間の旅」と「アルタイ30日間の旅」も鑑賞することができ、大感激+大感謝の年末年始であった(ドイツ語では「Eine Sommerreise durch den Kaukasus/auf der Wolga/durch den Altai」というタイトルになっています。興味のある方、YouTubeで探してみてね)。

ところで、「コーカサス(地方)」「ヴォルガ(川)」に関しては、「だいたいどのへんか」はおおざっぱにイメージできるわけですが、「アルタイ」に関しては完全に「・・・それどこ?」だったぱね。アルタイ。山脈の名前だよね?「アルタイ山脈」って聞いたことあるし。あと、「(ウラル)アルタイ語族」ってのも聞いたことある。・・が、「どこ」にある山脈かは全く知らないのだ。

というわけで、この番組のおかげで、アルタイ山脈というのはロシアとカザフスタンとモンゴルと中国が国境を接しているあたりに広がっている山脈なのだということを、初めて知りました。

ロシアとカザフスタンとモンゴルと中国。

なんとなく、すごい組み合わせであります。

ぱねのうすらぼんやりした地理的認識でいくと、

1. モンゴルと中国が国境を接してるのはわかる。
2. 中国とロシアが国境を接してるのもわかる。
3. カザフスタンとロシアが国境を接してるのもわかる。

しかし、

カザフスタンとモンゴル

という組み合わせがいまひとつピンとこない。

ついでに

モンゴルとロシア

という組み合わせもいまいちピンとこない。

さらに言えば

ロシアと中国が国境を接してるのって、中国東北部の旧満州あたりだけだとばっかり思ってたが、それだけじゃなかったんだっけ?

と、ぱねのうすらぼんやりした地理的認識が、ほんとーにうすらぼんやりしてるあたりに「アルタイ山脈」が存在するらしいことだけはよくわかったのである。

改めて、まじめに世界地図をチェックし、ググるマップの該当箇所をスクリーンショットしてみました。こうなってます。 

 

 

うわー、ほんとだ。ロシアとカザフスタンとモンゴルと中国だ~。

・・・知らなんだ。全く縁のない地域だからなあ・・

ヴィッレの旅行番組がものすごくおもしろいのは、彼がロシア語を使って、ロシア語を話す人々のところに直に飛び込んでいくから。通訳は登場せず、英語もほとんど登場しない(確か、コーカサス編のどこかで、ロシア語が苦手な人相手に英語で話してた場面はあったが)。つまり、彼の旅に同伴すると、ロシア語を話す人々が暮らしている地域がどれほど広大で、どれほど多様であるかがよくわかるのである。その広大さは、つまるところは旧ソ連の広大さでもあるのだが。

で、旧ソ連に属していた国であれば、どんな辺境の地でも(まだ今のところは)ロシア語が通じる、という様子を見ていて改めて思った。

いったい、旧ソ連、いやそれ以前に、旧ロシア帝国が領土内でやってた言語教育はどういうものだったんだろう?と。

中央アジアの国々が典型例だけど、そこに暮らしている人々は、民族的にはロシア系でもなければ、そもそもスラブ系ですらない。カザフ、キルギス、ウズベク、トルクメン、タジク・・全ての民族が、自分たちの言語を持っている。それもロシア語とは何の関係もない言語だ。彼らにとってロシア語は、日本人にとってのロシア語と同じくらい「遠い」言語のはず。同じことはコーカサスの国々にも言える。

それくらい「遠い」言語を、キリル文字ごと異民族に「叩き込んだ」ロシア帝国、実におそるべしである。よっぽど暴力的な手段を使ったに違いない(!)が、どーやったらここまでできるのやら・・。

ま、その「やり方」は、かつての大英帝国とかおフランスとかが、世界中の植民地で取った方法と同じだったんだろうとは思うが、複数の民族の「共通語」として英語やフランス語が使われている地域(たとえばアフリカなど)があることは簡単にイメージできるのに、複数の(ロシア人以外の)民族の「共通語」としてロシア語が使われてる地域がある、ということは、パッとイメージできないぱね。「ロシア語」=「ロシア人」=「ロシア(ソ連)」という、ものすごく大雑把な等式が頭の中にデーンと居座っているため、その「ソ連」自体が多様性を抱え込んでいた、という事実が、いまだにいまいち体感できていないのだ。

この奇妙な鈍感さは、私が「西側」で大学時代までを過ごした上に、ロシア語とはなんの関わりもないところで生きてきたせいなんだろうな、という気が、ぼんやりとしている。とにかく、「ロシア語圏」が頭の中で空白地帯のままになっていることが、自分でも歯がゆい。それはそれは広大な地域なのに、これを空白のままにしておくのは、やっぱりあまりにもったいない!と思う2019年の始まりです。