◎このブログの目次は右差しこちら

 

 

琵琶湖の北の方に、世界で一番美しいと言われる仏像があります。

 

渡岸寺観音堂 向源寺 地図

それが渡岸寺観音堂(どうがんじ・かんのんどう)にある国宝「十一面観世音菩薩像」

お寺の名前は向源寺(こうげんじ)といいます。

 

渡岸寺観音堂 向源寺

サイクリングついでに何も知らず見に行ったのですが、ミケランジェロ超えレベルな仏像の美しさと、仏像を戦火から守った村民たちの物語に感動しました。

今日のブログ記事では

 

  • 渡岸寺観音堂(向源寺)の国宝「十一面観世音菩薩像」とは
  • 仏像とお寺の歴史
  • 向源寺の十一面観世音菩薩像が登場する書籍
  • お寺へのアクセス・拝観情報・御朱印

 

について紹介します。

 

 

  お寺の名前は渡岸寺?向源寺?どっち??

 

渡岸寺観音堂 向源寺

  • お寺の名前向源寺(こうげんじ)
  • お寺の所在地の地名渡岸寺(どうがんじ)
つまり、滋賀県長浜市高月町渡岸寺(地名)にある「向源寺」(寺名)ということです。



明治時代に十一面観音像が国宝指定されるまで、この仏像は村の共有物でした。
 
しかし国宝指定されるときに村で所有することができなかったため、地域のお寺である向源寺に所属させたそうです。



向源寺は浄土真宗大谷派の寺院で、阿弥陀如来以外の仏像を祀ることができないため、向源寺の飛び地に観音堂を設けて安置することになりました。

そのため現在では、渡岸寺観音堂(向源寺)と呼ばれています。

 
 

  渡岸寺観音堂(向源寺)十一面観世音菩薩像とは

 

奈良時代(天平年間)の作品と伝えられています。

像の高さは194cmで、檜材一木造(1本のヒノキから彫り出したもの)。

頭上のいくつかの仏様のお顔と左手首先は、共木で造ったものをはめ込んでいます。

 

 

 

観音堂内は撮影禁止

写真撮影禁止だったので、公式サイトの写真をリンクしますね。

右矢印渡岸寺観音堂(向源寺)「国宝/十一面観世音立像」
 

私は、お堂(収蔵庫)の中を写した毎日新聞の写真が好きです。
 

右矢印毎日新聞「向源寺=滋賀県長浜市 魅惑の立ち姿、十一面観音」

 

 

 

暴悪大笑相(暴悪大笑面)を間近で見られる

国宝の十一面観音菩薩立像は全国に7体あります。

 

  • 渡岸寺観音堂・向源寺(滋賀県)
  • 六波羅蜜寺(京都府)
  • 観音寺(京都府)
  • 法華寺(奈良県)
  • 聖林寺(奈良県)
  • 室生寺(奈良県)
  • 道明寺(大阪府)

 

渡岸寺観音堂(向源寺)の十一面観音像は、ガラス越しではなく直接、間近で見られて、像の周りを一周できます。

 

通常、寺院に収蔵展示されている十一面観音像は、後ろ側を見られませんが、向源寺では見られる!

十一面観音の後ろ側にある「暴悪大笑相」も、間近で見られる!!

右矢印渡岸寺観音堂(向源寺)「暴悪大笑相」

歯をむき出しにして人の愚かさを笑う「暴悪大笑面」・・・インパクト大きいです滝汗



でもそれ以上に私は、まず間近に見る観音像全体の大きさに圧倒され、腰を少し左にひねった美しいフォルム絶妙なウエストのくびれに魅了されましたラブ

これが約1300年前に、台座のハスや垂れ下がる天衣も、1本のヒノキから彫り出されたとは・・・!

 

 

 

  村民たちに守り抜かれた秘仏と、数奇な運命をたどった寺の歴史

 

琵琶湖の北東、つまり鬼門の方角にそびえる己高山(こだかみやま/標高923m)は、古代より霊峰として信仰されていました。

 

己高山

己高山(画像出典)好日山荘

この地域は北陸・若狭に通じていることから、奈良仏教・天台仏教・白山信仰などが影響し合って、独特の神仏習合文化が生まれます。

平安時代に天台宗の寺院が多く設けられ、観音信仰が発達し、長浜市内に残る観音像はなんと130体以上!長浜が「観音の里」と呼ばれる所以です。
 

 

 

奈良時代から平安時代~寺の隆盛期


向源寺もまた、もともとは慈雲山光眼寺(じうんざん・こうげんじ)という天台宗のお寺でした。

奈良時代(天平年間)に、奈良の都を始めとする各地に疫病(疱瘡)が流行

当時世を治めていた聖武天皇は、対策を考え・・・
 
聖武天皇
 
霊峰・白山で修験道の修行をした僧侶・泰澄(たいちょう)に、疫病を退散させるよう命令。

泰澄は十一面観音像を刻んで観音堂をつくり、祈祷をして疫病を鎮めました
 
祈祷する僧侶

それ以来十一面観音像は信仰を集め、平安時代になると、比叡山の僧・最澄がこの地に七堂伽藍を建立。
 
豪華な寺院
 
大きな寺院にたくさんの仏像を安置し、隆盛を誇りました。


 

戦国時代~姉川の戦いで寺が全焼


しかし室町時代になると天台宗の寺院は弱体化し、代わりに新仏教が台頭・・・

戦国時代に突入すると、近畿・北陸・東海の境目にあるこの地域は、激しい戦乱の舞台となります
 
 
 
光眼寺は巧圓(巧円/こうえん)という僧のもと、天台宗から浄土真宗に転宗し、光眼寺を廃寺にし向源寺を建てていました。

1570年に姉川の戦いで、織田信長と浅井長政が戦ったとき、信長は敵対する天台宗の寺を攻撃
 
戦国武将

向源寺も元々が天台宗だったことから、焼き討ちに遭ってしまいます
 
焼き討ち

お寺は全て焼けてしまいましたが、巧圓と村人たちは、十一面観音像などを地中に埋めて守りました



戦火が収まった後、浅井長政の母方の祖父で、浅井家に仕える武将であった井口弾正(いのぐち・だんじょう)が、小さなお堂を建てて十一面観音像と釈迦大日像を安置

寺院

寺領は没収されたものの、以後300年以上、仏像は村人たちが地域の宝として大切にしてきました
 

 

 

明治時代以降~国宝指定と観音堂再建


時は流れ1888年(明治21年)、宮内庁臨時全国取調局の九鬼隆一やフェノロサなど数名が調査に訪れ、キラキラ十一面観音像が日本屈指の仏像キラキラであると賞賛します。

 

1897年(明治30年)に旧国宝の指定を受け、全国的にも注目されるように。

 

老朽化が激しかったお堂を再建しようと寄付を集め、1925年(大正14年)に新しい本堂と庫裏が完成しました。

 

渡岸寺観音堂 向源寺

戦後、1953年(昭和28年)に改めて国宝の指定を受け、1974年(昭和49年)に鉄筋コンクリート造の収蔵庫「慈雲閣」を造営。

 

現在、渡岸寺観音堂(向源寺)は、

  • 十一面観世音立像(国宝)
  • 胎蔵界大日如来座像(重要文化財)
  • 阿弥陀如来座像(県指定文化財)
  • 十一面観音立像(県指定文化財)
  • 金剛力士像(県指定文化財)

など貴重な文化財を数多く所蔵しています。

参考

 

 

  芸術・文学に登場する十一面観音像

 

向源寺の十一面観音像は、さまざまな芸術・文学作品に登場しています。

 

 

土門拳写真集「古寺巡礼」に登場

昭和を代表する写真家・土門拳(1909~1990)。

「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」などの報道写真のみならず、寺社や仏像の写真撮影もライフワークにしていました。

1960年(昭和35年)、51歳で脳出血を発症した後は、大型カメラによる「古寺巡礼」の撮影を開始。1963年に「向源寺十一面観音像頭部」という作品を撮影し、写真集「古寺巡礼」に所収されました。

\「古寺を訪ねて 東へ西へ」(小学館文庫)の表紙に登場/

 

 

 

水上勉の小説「湖の琴」に登場

1966年(昭和41年)に出版された水上勉の小説「湖の琴(うみのこと)」に、向源寺の十一面観音像が登場します。

 

 

 

若狭の貧農の娘・さくは、生活のため、その水で三味線糸や琴糸を洗う西山部落へ連れてこられる。そこで同郷の男衆・宇吉と恋に落ちたさくは、宇吉が兵役の間、京都の有名な長唄師匠・紋左衛門に見初められその弟子となるが・・・

東映ビデオHPより

 

京都の長唄師匠・紋左衛門が、三味線の弦の産地・木之本(高月の北)を愛人同伴で訪問し、十一面観音像にいたく感動した後、ヒロイン「さく」と出会って見初めます。愛人の嫉妬が怖い・・・滝汗

この作品は佐久間良子主演で映画化されました。

 

 

 

井上靖の小説「星と祭」に登場

1972年(昭和47年)に出版された井上靖の小説「星と祭」にも、向源寺の十一面観音像が登場します。

 

ボート転覆事故で娘を亡くした会社社長の架山。遺体のあがらない死を受け入れられないまま7年が過ぎたある日、琵琶湖の古寺で十一面観音に出逢う。その表情に娘の面影が重なり、観音巡りの旅が始まる――。

角川書店HPより

 

絶版状態で入手しにくくなっていた中、2019年に地元住民が復刊プロジェクトを実現しました!

 

 

 

白洲正子の随筆に登場

1975年(昭和50年)に出版された白洲正子の随筆「十一面観音巡礼」にも、向源寺の十一面観音像が登場します。

 

 

“女躰でありなら精神はあくまでも男”荒御魂を秘めて初々しく魅惑的な十一面観音の存在の謎。奈良の聖林寺の十一面観音を始めに、泊瀬、木津川流域、室生、京都、若狭、信濃、近江、熊野と心のもとめるままに訪ね歩き、山川のたたずまいの中に祈りき歴史を感得し、記紀、万葉、説話、縁起の世界を通して古代と現代を結ぶ。瑞々しい魂で深遠の存在に迫る白洲正子のエッセイの世界。

講談社HPより

 

このように向源寺の十一面観音像は、芸術家たちの創作意欲を刺激してきました。

 

 

  渡岸寺観音堂(向源寺)の御朱印

 

浄土真宗のお寺は、御朱印を授与していない寺院もあります。

右矢印真宗大谷派東本願寺「朱印をしない理由」

しかし渡岸寺観音堂(向源寺)では、書き置きの御朱印が授与されているそうです。

 

 

 

 

  アクセス・拝観料など

 

 

〒529-0233
滋賀県長浜市高月町渡岸寺50

■電車の場合
JR北陸線 高月駅下車 徒歩5分

■車の場合
北陸自動車道
木之本IC下車、国道8号線経由 約10分
長浜IC下車、国道365号線経由 約20分
小谷城スマートIC下車、国道365号線経由 約10分



今日は、琵琶湖の北・滋賀県長浜市高月町にある、渡岸寺観音堂(どうがんじ・かんのんどう)「十一面観世音菩薩像」をご紹介しました。

1300年前の観音様を、至近距離の三次元で見上げたときの感動は素晴らしいです。

何度でも再訪したいなあ・・・照れ

 

(参拝日:2018年11月21日)

 

 

ランキングに応援クリックお願いします!

↓↓↓

にほんブログ村 自転車ブログ クロスバイクへ
にほんブログ村

 

 

《渡岸寺観音堂(向源寺)を訪ねたサイクリングのレポート》