かつて家族だった人たちの話。 | 高校中退者が塾長になった話。

高校中退者が塾長になった話。

都内の私立高校を半年で中退し、その後10年のブランクを経て、高校卒業程度認定試験を取得。大学に進学。紆余曲折あり、塾長になった話。

今回は番外編の中でも、

自己紹介にあたる

「かつて家族だった人たちの話。」


最新の本編はこちら



まずは、家族構成から。

  • 父…板前一筋。フグの免許持ち。
  • 母…元バスガイド。コミュ力おばけ。
  • 私…「可愛かった」とよく言われる。
  • 妹…6歳下。現在は理学療法士。

 父について


東京都出身、3人兄弟の次男。

呉服屋の両親に育てられた。

究極のマザコン。

板前一筋でフグの免許を持っている。

老眼のため、黒いまな板を使っている。

包丁がたくさん入ったバッグを

押し入れにしまっているのが、

子どもの頃怖くてたまらなかった。

若くして髪の毛が薄くなったため、

長いことスキンヘッドを貫いている。

見た目が怖いせいかよく職質にあうため、

包丁バッグを無闇に持ち歩けない。

現在は一人暮らしをしているが、

家に行って1番驚いたのは、

100均の包丁を使ってたこと。

50代にして、急に

48人のアイドルグループにハマった。

握手会やイベントに行き、

CDやDVDを収集。

部屋の天井や壁には、

ライブタオルやポスターを飾る

絵に描いたヲタクになった。

男子高校生の部屋みたいな

グッズだらけの部屋に住んでいる。

まゆゆ推し。今は知らないが。

聞いて驚け!

まゆゆと妹、歳変わらない!



 母について


福島県出身。複雑な家庭で育った。

歳の近い兄がいた。

本当の父を幼い頃に亡くし、

母と兄、

そして新しい父とその連れ子3人の

大家族で育った。

高校卒業後、上京し、バスガイドになった。

ビールが大好きで、飲み歩くのが生き甲斐。

父とは飲み屋で出会った。

結婚を機に仕事を辞め、専業主婦となったが、

妹が保育園に入る頃にパートに出た。

誰とでもすぐに仲良くなり、顔が広い。

現在に至るまでに何度かパートを変えているが、

環境が変わるたびに友達が増え、

ママ友や飲み友など、

とんでもない巨大なコミュニティを持つ。

若き頃に勤めていたバス会社の先輩後輩たちとも

いまだに年に数回飲み会を開く仲で

常に幹事をしている。

幼い頃から

「母の体内に流れているのは、

血液ではなく、ビールだろう。」

と私は思っているレベルで

毎日お酒を飲む。

物心ついたときから私は

母親の行く飲み会に連れ回されていたので、

大人と話す機会が多い幼少期だった。

楽しいお酒を飲むが、

つぶれるまで飲み続けるので

家に帰ってくる頃には、

大変なことになっている。

落とし物癖が多く、

貴重品類(家の鍵、携帯、財布)は

どこかに置いてくることが多い。

酔って帰ってくると必ずお風呂に入るが、

空焚きや、お風呂の沸かしっぱなし

(スイッチひとつで沸かないタイプ)

常習犯で何度か殺されかけた。

明け方にガス臭くて私の目が覚め、

全て未遂にしてきた。

そのうちマンション全焼させてもおかしくない。

子どもは、私と妹の2人。

だが、私と妹の間に2人流産していると、

幼い頃に聞かされた。

私が4人兄弟の長女なら

性格変わってただろうな、と思っていたが、

後に、父と出会う前に

1人おろしていると聞かされた。

妙に納得した。

私が20代前半の頃、離婚した。



 私について


都内と言うと聞こえはいいが、

23区内の中でも田舎で育った。

赤ちゃんモデルになりかけたが、

養成所のお金が高くて親が諦めた。

発達が遅く、同い年の男の子のイトコと

常に比べられ、育児ノイローゼだった母に

「なんであなたは言葉が

喋れるようにならないの?」

と責められ、10円ハゲを作ったことがある。

近所の坂道で盛大に転び、

オデコと鼻の間に傷ができ、

長年ホクロとして残っていたが、

大人になってから知らぬ間に消えていた。

言葉の発達が遅く、どもりもあったようだが、

喋ることは大好きで

母に連れて行かれる飲み会で

子ども好きの後輩の膝の上に座って

ご機嫌にお喋りをしながら

ジュースを嗜む幼少期を過ごす。

普段はあまり与えてもらえなかったが、

炭酸ジュースが大好きで、

休みの日に父に

パチンコに連れて行かれるときだけは

隣の席でコーラを飲むことが許された。

(当時、世間では親のパチンコ中に子どもが

車の中に置き去りにされる事件が

多発していたため、私は隣の席で待機だった。)

月に1度は幼稚園を休み、

家族で夢の国に出掛けていた。

幼稚園の時、クラスの少し意地悪な女の子に

サンタさんを信じていることを馬鹿にされ、

傷ついたことがある。

滑り台で男の子と喧嘩になり、

ほっぺたをかじられたことがある。

傷は残らなかったが、その子の母が

苺を持って家まで謝りに来た。

幼稚園のひとつ下のクラスの女の子から

ラブレターを生まれて初めてもらい、

しばらく文通してたことがある。

小学1年生の時、やっと出来た友達に

「早く帰ろう」と急かされ、

トイレを我慢して下校し、

家の玄関入った瞬間にお漏らしをする

という時期があった。

クリスマスプレゼントでサンタさんから

もらったセーラームーンのおもちゃの

電卓機能で、算数の宿題をやり、

母にこっぴどく叱られたことがある。

(父には、「賢い!」と褒められた。)

小学2年生のとき、

夏休みに1番本を読んだ人として

クラスの読書賞をもらったことがある。

平日は学校の図書室に通い、

土日は区の図書館に通い詰め、

児童書を読み漁る小学生だった。

中学1・2年生の時はテストが終わる度に

友達と原宿に出かけ、

当時出始めたばかりのプリクラ

撮りまくっていた。

習い事は幼稚園の時から水泳、

体操教室→チアダンス→ジャズダンス、

小学1年生からピアノをしていた。

極度の運動音痴のため、

水泳しかできる運動がなかった。

ピアノは弾くと眠くなり、

レッスン中によく寝ていた。

リズム感をつけるために

習ったダンスは大好きで、

当時、国民的人気だったアイドルグループ

ダンスを真似てよく踊っている子どもだった。



 妹について


私の6個下。

平成初期の何かと世間が騒がしかった年に

生まれてきた。

妹が生まれてくるまで

長い期間、私はひとりっ子だったが、

急に来た。という印象だった。

俗に言う下の子ばかりが急に可愛がられて

上の子がショックを受ける、

という幼少期だった。

今となっては、同じ名前の女性芸能人が

何人も出てきたおかげで、

女性の名前にも使うと

認知されるようになったが、

妹が幼少期の頃は、

まだまだ「男の子につける名前」

という認識を持たれてた名前をつけられた。

保育園に入ったとき、

妹のロッカーや靴箱には

「犬」のシールが貼られていた。

男女どちらでもいいように、

という保育園の計らいだろう。

保育園の時に

「黒ンボ大賞」(夏に1番日焼けしたで賞)を

もらったことがある。

小学1年生の時に不登校になりかけるも、

数日で復活し、一般的な学生時代を過ごした。

性格は、人見知りで、愛想は良くない。

ぬいぐるみを収集する癖があり、

大量のぬいぐるみに潰されながら

狭いベッドでよく眠る。

寝起きで毎朝アイスを食べる。

幼い頃はポッチャリしていて、

舐めたらアカン〜の演歌歌手に似ていると

言われていたが、サラダ生活に目覚め、

青春時代はスタイル抜群で過ごした。

老け顔で姉妹逆に間違われることが多い。

友達は多くはないが、それなりに恵まれている。

幼い頃から「ハーフになりたい」

という夢を持ち、

外国人やハーフの男性と付き合うことが多い。

高校は、私が落ちた公立高校へ行った。

この年代では珍しいが、SNSに疎く、

周りに影響されて何度か試みたものの

iPhone1台、最低限しか使いこなせない。

ネットリテラシーを

知らずに育った現代っ子のため、

学校名や本名をSNSプロフィールに書いていた。

親からの遺伝で、「すきっぱ」

(前歯2本の間に隙間がある)のため、

高校時代のあだ名は「きっぱ」だった。

もっとマトモなあだ名つけてもらいなよ、

と当時思っていた。

高校卒業後は、専門学校に入り、

毎年ギリギリで進級して卒業した。






こんなどこにでも居そうな家族構成。


両親は約10年前に離婚し、

母と妹との女3人ぐらしをしばらくしていた。


妹は先月、結婚したらしい。


1年前に結婚のお知らせをLINEでもらったが、

行かなかった。


私は家族との縁を切り、実家を出て、

地方で一人暮らしをしている。


なぜ、縁を切ったのか、

それはまたの機会に書くこととする。