華々しい高校デビューから半年で高校を中退した話。 | 高校中退者が塾長になった話。

高校中退者が塾長になった話。

都内の私立高校を半年で中退し、その後10年のブランクを経て、高校卒業程度認定試験を取得。大学に進学。紆余曲折あり、塾長になった話。

前回の話はこちら


学校全体が敵だった中学時代。


誰一人として味方がいない中学生活に

嫌気が差して、塾に通い詰める日々。


第一志望の公立高校は

人気校で自由度が高いため、倍率が高く、

落ちた。


滑り止めの私立の高校に入学した。


私は、ない頭をフル回転させ、

どうしたら高校でいじめられないかを考えた。


仲間外れにされない方法。


考え付いた答えは、

「学級委員長になること」だった。


いろいろな科があるその高校で

私が入学した科は1クラスだけだった。


私は3年間の学級委員長に自ら立候補した。


高校はアルバイト禁止だったが、入学式の日に

ファミレスでのアルバイトも始めた。


不登校だった中学生活。

親に心療内科に連れて行かれ、

病院の先生に

「自傷行為の代わりにガムを噛みなさい」

と言われ、

狂ったように一日中ガムを噛み続けたり、

自分が汚れた存在だと思い、

1日に10回シャワーを浴びる日々を

送っていた私は、

人と話すことが怖くなってしまっていた。


高校デビューするには、

人と話せなければならない。


人と話すために接客業をやってみよう。

人と笑顔で話す訓練をしよう。


そう思って選んだファミレスバイト。


少し歩けば繁華街に出られる立地の高校に通い、

放課後は新しく出来た友達と遊び、

時間になったらバイトに行っていた。


クラスの担任からは、とても気に入られた。


思い返せば、

昔から大人に可愛がられる傾向があった。


地元の公園の管理人のおじさんに気に入られ、

一人だけこっそり管理室に呼ばれ、

麩菓子をご馳走になってた幼少期。


お酒が好きな母親の職場の飲み会に

毎晩連れ回されるも、

子供好きな母親の後輩の膝の上で、

オレンジジュースを飲み、

子供ながらに大人の宴を楽しんでた幼少期。


自然と大人に可愛がられる能力を持っていた。


担任は元生活指導教員であり、

綺麗好きで完璧主義だった。


朝9時登校という

高校にしては遅い登校の高校だったが、

私は毎朝7時に担任に呼び出され、

担任と2人で学校中を掃除して回った。


休み時間は毎時間、職員室に呼び出され、

授業中にクラスメイトが悪さをしなかったか

報告をさせられた。


体育祭や文化祭などの学校行事には、

参加させてもらえなかった。


担任と一緒に

他の学年やクラスの先生への挨拶回り

行かされた。


「うちのクラスの学級委員長です。」

とあらゆる先生に紹介され、

特別扱い、贔屓された。


クラス仲は良く、良い高校生活だと思ったが、

充実した高校生活は、

そう長くは続かなかった。


私だけが特別扱いされるクラス。


そんな私をおもしろく思わない子たちが

続々と出てきた。


私は、学級委員長なのに

クラスで孤立した。


担任のスパイなのだから当然だ。


体育で使う靴を誰かに捨てられ、

授業に出られないこともあった。


私の怒りは、クラスメイトではなく、

担任に向いた。


不信感しかなかった。


なぜ、私だけ特別扱いされるんだろう。


当時、15歳だった私は、

まだまだ子供で、

特別扱いされる醍醐味がわからなかった。

贔屓されていることを得だと思えなかった。


なぜ、私だけを贔屓するの??


贔屓される日々に嫌気が差した。


クラスでは居場所が無くなり、

黒板で受ける授業が将来に活きるのか考えた。


ファミレスバイトは楽しかった。

先輩に恵まれ、お金を稼ぐ楽しさを知った。

高校生ながら夏休みは、

時給780円なのに1ヶ月で13万稼いだ。


高校を辞めて、バイト一筋になろう。


そう思って、高校を辞めた。


高校1年の9月のことだった。


こうして、

私の半年間の高校生活は幕を閉じた。


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