さわやかウォーキング@鷲津(2016/12/03) | パンダの音楽

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昨年12月3日(日)に行われたさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。浜松~豊橋間を電車で通ることは多いものの、鷲津駅で降りたのは初めてです。
鷲津駅に降りるのが初めてであれば、湖西市街地をちゃんと歩くのも初めてなのです。
少し遅れた出発で、鷲津駅はさほど混雑はしていませんでしたが、いざスタートです。
コース図はこんな感じ↑↑↑↑↑。鷲津駅(=スタート)→豊田佐吉記念館→山口観音堂→妙源寺→アメニティプラザ→妙立寺→本興寺→浜名湖れんが館→鷲津駅(=ゴール)。コース距離=約12km、所要時間=約3時間、コース題目は「豊田佐吉翁生誕150年 ゆかりの地めぐり」です。
鷲津駅前を後に、北西方向へ。国道301号線、湖西市のメインストリートです。
その後、鷲津中学校前、県道3号線(豊橋湖西線)に入ります。金管アンサンブルの演奏が聴こえ、アンサンブルコンテストに向けての練習風景を想像しました。
古見(こみ)の交差点。県道3号線と国道301号線バイパスとが交わる地点で、そのまま西方へ直進します。
その後、県道3号線をそれて豊田佐吉記念館近くの坂道===「車返しの坂」。
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豊田佐吉翁は鷲津駅から山口の郷まで人力車に乗ることが多かったが、必ずこの急坂で降りた。車夫が「家までお送りします」と言うと、「山口村は私を育ててくれた所、村人が汗水流して働いている中を平然と通ったら罰が当たります」と答えたという。
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…報恩感謝に生きた佐吉翁の人柄を偲ばせるエピソードなのです。
鷲津駅からおよそ2.1km、豊田佐吉記念館に着きました。
トヨタグループ創業者=豊田佐吉の生誕120年を記念して、佐吉の生誕の地に1988年10月に開館。佐吉の生家を中心に、佐吉が発明した数々の織機やゆかりの品々が展示されています。
世界の発明王=「豊田佐吉翁ゆかりの地を訪ねて」という看板があり、先ほど挙げた「車返しの坂」も載っていました。
こちらは母屋。敷地内には納屋や井戸があり、いたって普通の農家のようでした。
展示室にて。ウォーキング客が多いのだろうが、観光バスも停まっていたりして、なかなかの盛況ぶり。
佐吉の発明品である豊田式木製人力織機。明治23年の発明で、この織機によって織布の生産性が4~5割上昇したといわれています。
木鉄混製動力織機。明治29年の発明で、日本で最初の動力織機です。高い生産能力をもち、広く普及したもので、日清戦争で疲弊した当時の国家財政の建て直し・国策の遂行に大きく貢献したと言われています。
記念館の敷地のほとんどは山林で、ハイキング状態になりました。
展望台にて。伝わりにくいですが、手前に浜名湖を望みます。運が良ければ富士山も見えるそうです。
佐吉の生家。トヨタ自動車を創設した佐吉の長男=喜一郎もここで生まれました。浜松や湖西はスズキのお膝元でありますが、トヨタ創業者のゆかりの地であることは意外と知られていないことです。
こちらは記念館のパンフレット↑↑↑。自動織機の発明にとどまらず、自動車をはじめとする日本の産業の発展に努力した、佐吉の志・情熱を感じ、親しむことができました。「障子を開けてみよ 外は広いぞ」なのです。関連するHPはこちら→湖西市/郷土の偉人TOYOTA~豊田佐吉記念館~
豊田佐吉記念館から約200mで、山口観音堂へ。
豊田佐吉が10代の頃に、同じ志を持った村の青年たちと「夜学会」を立ち上げました。毎夜開かれた勉強会は、時には朝まで続けられていたといいます。
境内は寂れたお堂があるのみで閑散としていました。湖西市の職員さんがいらしていたのですが、湖西市が主催するウォーキングも行われていたのでした。
こちらが「湖西ウォーキングスタンプラリー」のパンフレット。今回のウォーキングとほぼ同じルートで、山口観音堂はスタンプポイントなのでした。
旧:山口村の田園の中を歩き、豊田佐吉記念館を望む。寒いけど冬の晴天、ウォーキング日和でした。
県道173号線(湖西東細谷線)に出て南下する。東海道新幹線をくぐる図。東京駅から259K405M。
坊瀬(ぼうぜ)の交差点付近。往路は左折して県道173号線を歩き進みますが、復路が分岐するポイントとなります。
山口観音堂から約2.2km歩いて妙源寺に到着しました。豊田佐吉が明治8年(1875)から4年間通った寺子屋の跡です。
堂内の正面の画。(おそらく?)観音像が納められていて、現在も寺子屋塾が開かれているようでした。
佐吉少年は、和尚より「日本は土地が狭く貧しいために外国から馬鹿にされている。それには勉強せんといかん。」との教えを受けました。そして、後にこの寺子屋時代の親友と夜学会を開く契機ともなりました。また、後年発明研究の過程でくじけそうになった時、寺を訪ねては和尚から激励をうけて奮起したといわれています。
本堂の傍で、暖かいお茶を提供してくださり、寒い中歩いたからだがほっこりしました。
妙源寺を後にして、再び坊瀬の交差点を抜け、湖西工業団地に入ります。
新幹線沿いをアップダウンする道を歩くことになりました。東笠子跨道橋付近にて東京駅から259K736M地点。
新幹線の線路を間近にするところで、撮り鉄には有名なスポットのようです。
おっ、近っっ!、あっという間に新幹線に追い抜かれる。
歩きながらでもこれだけバッチリ新幹線の画が撮れてしまうのです。
妙源寺から約2.8kmで、アメニティプラザに到着しました。
なかなか大きくて立派な建物…!。温水プールや浴室、アリーナなどを備えた総合健康施設です。ホームページはこちら→湖西市アメニティプラザ
メインアリーナにて「第4回Neo湖西テクノフェア2016」が開催されていて、せっかくなので立ち寄りました。
「Neo湖西テクノフェア」会場のメイン入り口の画。何だか物産展の会場のようですが、湖西市商工会が主催で、ビジネスマッチングということで企業同士の交流や商談が行われる場なのでした。
入り口にて「一般」の部として入場。名刺持っていない身だし、ただの観光客なんだけど…ま、いいや。
手にした会場案内図がこんな感じ↑↑↑。湖西市を中心に、浜松市、静岡県西部、東三河、南信州などなど…77の団体が出展。輸送機器、産業機器、医療・環境機器の多岐にわたる展示紹介がありました。
地元の大企業、アスモのブース。輸送機器・自動車部品のメーカーです。公式マスコットは「アスモン」。天竜浜名湖鉄道には「アスモ前」って駅名もあります。
こちらは浜名湖電装のブース。妙源寺に行く途中で敷地沿いを歩きましたね。こちらも湖西市に本社を置く自動車部品サプライヤーです。
会場内ではフリーでお茶やコーヒーを提供してくれていて、ちゃっかり頂きました。それにしてもイベント名の表記が「Neo湖西テクノフェア」だったり「New湖西テクノフェア」だったり…どちらが正しいのかわからず。関連の湖西市商工会のホームページはこちら→湖西市商工会
日本設計工業のブース。目に留まったのは双碗ロボット。くるくると頭や腕が回り、器用に機械部品や医療機器を掴んでいる様は人間さながら。
いただいたリーフレットがこちら↑。ロボットと人との"共働"を目指した「次世代ハンドリングシステム」です。浜松市北区の産業用システムを開発している会社、ホームページはこちら→日本設計工業
株式会社エム・エス・ケーのブースにて。なんと!、"ロボキャラ家康くん"の展示!。傍らに小さいロボ家康くんや3Dプリンタされた家康くんたちがいました。
いただいたリーフレットがこちら↑。音声会話を学習、ピアノの鍵盤を触れるとメロディ演奏、うなぎまげは点滅・首振り、嬉しいと頬を赤くする…など、AI機能が搭載されていて、非常にお金がかかっています。浜松市浜北区の板金部品試作メーカーで、ホームページはこちら→株式会社エム・エス・ケー
ここでも豊田佐吉翁生誕150年を記念して特別展示がされていました。まさに、湖西市が誇る偉人、世界に誇る発明王なのです。
お昼時で何軒か出店があったのですが、弁当を購入したのは「ひので軒」です。
食したのは「福寿し」の詰合すし。大きな海苔巻きと稲荷ずしの詰合せで、思いの外ボリュームがあり、美味しくいただきました。なお、「福寿し」は今は湖西市になった新居町のお店のようです。
その後、県道3号線に出て、東方へ向かいます。長い下り坂で、傍を車がビュンビュン!。
アメニティプラザから約2.5km、妙立寺(みょうりゅうじ)に到着。豊田佐吉の豊田家の菩提寺です。
山門は寛文5年(1665)に再建されたもので、湖西市指定文化財です。門の奥に見える階段は崩れてしまったのか改装中なのか、このウォーキングにおける難所となってしまいました。
至徳3年(1386)に日什大正師(日蓮宗)により開山。永禄11年(1568)に、入出の宇津山城攻撃の際には、境内に家康の本陣が置かれたという史実がある名刹です。本堂は銅葺入母屋造り(どうぶきいりもやづくり)という、法隆寺の金堂でも見られるような東アジア伝統の屋根形式の建築様式なのだそうで、中は文化財の宝庫ともいわれています。
境内にある鐘楼、これも寛文5年(1665)に再建されたものだそうで、古めかしい佇まいです。
今日の聖語(せいご)、「艮(うしとら)の廊(わたりどの)にて尋ねさせ給へ 必ず待ち奉るべく候」。
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人生最後を迎える時、最も不安なのは「死後自分はどうなるのか」ではないでしょうか。
その時「霊山浄土へ来られたなら、その入り口である北東の方角の渡り口で日蓮をお呼びなされ。必ずそこでお待ちしておるから」
このように明確に行き先が示されたなら、どんなに大きな安らぎが得られることでしょう。ただ信じて懐へ飛び込んで行けばよいのです。
「死に様は生き様」。安心して人生の最後を迎える確信を得ることは、いい生き方につながるのではないでしょうか。
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妙立寺を後にし、再び県道173号線に出て、湖西市役所。背後にあるルートインがまるで役所附属の宿泊所のようである。
妙立寺から約1.5kmで本興寺に到着。永徳3年(1383)創建とされ、貴重な文化財を多く所蔵する法華宗寺院です。
参道には見事な紅葉が立ち並び、初冬の候にしてまさかの紅葉狩りとなりました。
本堂ドドーン!。江戸文人画家、谷文晁の襖絵が伝えられていることから「文晁寺」とも呼ばれ、国指定重要文化財に指定されています。
本堂の近くにある鐘楼(画がブレた)。文政5年(1822)に再建、大正4年(1915)に修復されたものです。
こちらは客殿。寛永14年(1637)に建立、安永2年(1773)に再建されたものです。本堂並みに大きな建物で、湖西市指定文化財になっています。
それにしてもまぁ、見事な紅葉。残念ながら、時間がなく立ち寄ることができなかったのだが、奥書院(静岡県指定文化財)にある日本庭園は、北原白秋が歌に詠むほどの閑静なたたずまいを持つ名園とのこと。今度、また時間をつくって訪れたいお寺でした。
本興寺から約300m程のところ、国道301号線沿いにある浜名湖れんが館。
明治37年(1904)に宮崎製糸鷲津工場の乾繭(かんけん)倉庫として建設されたものです。乾繭倉庫とは、製糸の原料である繭を安定して供給するための施設で、外壁には貴重な繭の保存のため、防水性の高い釉彩煉瓦が用いられているのだそうです。
浜名湖れんが館から約400m、鷲津駅に戻ってきました。
ゴール!、約12kmの道のり、お疲れさまでした。
こちらは「湖西ウォーキングスタンプラリー」のゴール受付。
上の画のようにスタンプをためて景品応募。まぁ、当たることはないでしょう。
それでは、バイバイ、鷲津の街、湖西市。
買っちゃったシリーズ、第1弾。アメニティプラザの「ひので軒」で購入した「かりんとう饅頭」。
名前の通りかりん糖のようなカリッとした皮の中に、やさしくしっとりとした芋餡、実に美味でした。
買っちゃったシリーズ、第2弾。こちらも「ひので軒」で購入した揚げワッフル。
「揚げ」なのでカリカリではなくフワフワ。チョコレート味とクリーム味とで、いずれも美味しくいただきました。なお、ひので軒は湖西市内にある和菓子屋・甘味処で、「かりんとう饅頭」は名物のようです。
今回のウォーキングは、湖西市内の古刹を巡り、地元企業の先端技術力にも触れあい、足を運んで得ることのできる発見が多いウォーキングでした。それでもいつもながら、お腹も満たすエンディングになってしまいましたね。以上、記事終わり。