強けりゃ強いで鬱陶(うっとお)しい | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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今思うのはですね、人って強くあれっていいだすのってさ、強くないから、だよね?

 

弱いから、弱さが身にしみてるんで、強くあれって反対方向に向くのかも知んない。

 

人が、人に優しい時、強い人は勘定に入れないでしょう?

弱い人を肌感覚で勘づくし、気づけばなにかできないかって、なるじゃない。

 

弱い人、が目に入るんです。

かつて、自分が弱かったり、今まだ弱いうちをわかってるから、「せめて」人のことは手を出せるものなので、自分に施したかったように、人に助けの手を渡すんだと思う。

 

それは「弱いから、強くあれ」ってんではなく、「弱いけど、強くなくてもいいから」の方がいい。優しい姿勢だと思うのです。

 

弱いまんまを是認してるとかでもないんですよ。弱さを取る人はさ、弱くある理由があるものです。それを思案なしに「弱かったらダメだ、強くあるべきだ」は頭が悪く思う。

そして、そこが「上手」な人を時々見かけもするが、人間的に仲良くしときたい人にならない。

 

「ただ反対に振っておく」では解決というより、妥協に映ります。

そして反対に振れた人は、総じて人間の根っこに優しさを憶えない。冷たいんだよね、ちゃんと。

 

🐼はそこに、人肌の温度が欲しい。

なんなら手助けそのものより、強さより、「弱くあり続けてるけれど、これでいく」としてる凛に、どうしようもなく焦がれてしまうのです。

 

強いとね、まぶしくって。直視してらんない。