(これは数年以上前に書かれたエッセイの再掲載です)
『「フィルムネクステージ」という名で、ショートフィルム、10分ものを6本作って、セットで売り込む』というコンセプトを作ったのはもうかれこれ10年前のことで、ショートフィルムっても35ミリの劇場版サイズを学生をちょっと卒業して間のない連中でやろうとしてたのだから、なかなかいいセンスだな、とは思い返すのです。
実際、数本は「プレフィルム」というスタイルで、映画館本編の作品前に上映には至ったのだから、痛快です。
このごろ、スカパーやら地方の映画祭などで、「ショートフィルム」を「人様にみせる」機会が増えているようですね。
で、一般的になりませんね。ほとんど。正直なところ、「つまらない」からですね。
うん、そうでしょうね。10分に満たない長さですものね。
「映画」ってものは、もう、その名がついた時点で「ハリウッド映画くらいに面白くて、楽しい!」ってのが一般的な「映画」観でありまして、ショートフィルムなどのように「地味」な上、「どこで上映してるの?」的不安要因も重なって、簡単に「見るだけ無駄!」に帰着しやすいんですよね。そういう意味では「邦画」もあまり映画扱いされません。トホホ。
さて、一般人の「映画観」なんてものは捨ておき、今度は作る側からの視線で語ってみますと、最近になって、すっかりビデオカメラが普及しまくっているので、「ピントがあわない!」とか「明るさがオカシイ!」なんてことの方が希な時代ですね。
『美しく、誰もに撮れる映像』があっふれまくっている時代です。
ま、テレビってものに慣れてるのは「作り手」も「受け手」もいっしょな訳で、撮る側も、撮られる側も、そこそこ「やっつけ仕事」的約束ごとができてて、「トコトン素敵!」にも「どーにもダメダメ!」にも行き着かない、「あってもなくてもかわんねー」映像ばかり増えています。
ところが、「フィルム」の映像になりますと、愉快なほど「キレイに撮れない」ところからはじまります。
先だって、「ファースト・ピクチャーズ・ショー」という、大阪芸大の頃のフィルムフェスティバルをビデオで見返すチャンスがありました。
1学年140人近くの映像学科生徒が、ひとり3分の8ミリ映画を完成させ、三日かけて上映しまくり、見まくる、という荒行です。
荒行?
そう。荒行です。
圧倒的に駄作ばかりです。
三日のうち、気に入った作品なんて10本もありゃしません。
気に入った?どころではありません。
だって「キチンと撮れてない」のです。
まずピントがあってません。
そんなのが3分、苦しいまま続きます。そのうえ「露出があってません」。
それは「明るさ」がキチンとできないために、画面が急に明るくなったり、暗くなったりするんです。
そんなのが3分続きます。
なおかつ「演出がありません」。
つまり制作の意図どころか、「作り方なんてわかんねーよ!」的自暴自棄な作品を、「課題だったから」とやっつけ仕事で作ったものを、単位欲しさに出品してきたものを、観客は見せられるのです。地獄!
かてて加えて、「芝居のできない人たちの芝居を無理矢理見せられる」苦痛もあります。
映像学科の課題、ではありますので、学科内の仲間うちだけで課題を終わらせてしまえ!となるのが自然で、見栄えも、芝居もない連中だけのオタク的馬鹿ノリをまたも3分見せられるのです。
台詞なんて、もう作り手のセンスも感じさせませんもの。
『俺の事、嫌いになったのか?』とか
『アイツの言うことはもっともだよな』のような
「そんな台詞、一般の生活でどこで使うのさ?」的怒りと
「火曜ワイド劇場しか見たことねーのか?」的怒り、
「お前好きな作品ないだろ?」的退廃を
足して割って3、みたいなやりきれなさ爆発です。
「作り手はホントに若者かよ?!」的蔑み(さげすみ)も入り交じります。
以上、総轄しますと
- ピントズレした
- 画面が明るかったり暗かったりするあい、音もよく聞こえず、
- 演技の下手なひとたちが
- ろくろく考えもない作り手の作品を
3日間も
140人分も
見なくてはならない、のがファーストピクチャーズショーなのです。
その140人分の中で、
- ピントがあってて
- 画面も自然に映ってて、音も綺麗で
- 演技が出来、華のある人がでてる
- 明確で端的な演出がつまってる
- そんな素敵な3分の作品が
作れるのは5人といませんでした。圧倒的に「吐きそう・・・」な時間がたんまりあるわけです。今なら「ポケモンテンカン騒ぎ」のフリッカに
匹敵できそうなほどの、インパクトある駄作が満載でした。
つまりですね、昨今のショートフィルムってものを見たことある人でしたらなんとなくお気付きではあると思うのですが、ほとんどは「つまらない」と感じることでしょう。
実際、つまんないです。
ボクらの見なれてきた「映画」とか「映像」はいつも美しくて、音もしっかりしてて、物語が素敵であるのが当たり前、だからです。
作り手は、そうしたスタートラインにいないのです。
思った画面を作るセンスや演出、役者にたどり着けないままに、それでも「作りたい!」気持ちの先走ることのできる人が、映画を作ってしまうもんですから、どこかかしこか、技術に「抜け」がありまして、うまくいかないままに発表に至ります。
それでも、コンテストとかに上位入選できるようなショートフィルムはやっぱりうまいには違いないのです。
うまいのですが、大衆の思うところの「映画」にはまったく思い及ばず、どーしても、ツマンないのです。
「ぴあフィルムフェスティバル」などに顕著ですが、アマチュアフィルム、ショートフィルムのコンテスト入賞作品はどこかかしこかに「エッジ」が効き過ぎてて、まったく「一般的」じゃありません。
ここにいう「一般的」とはテレビや映画に見なれた人たちが「じゃあ、今度、見に行こうか!」って盛り上がれる作品ってことです。
アマチュアフィルム、ショートフィルムを彼氏、彼女に「お誘い」できる人たちは、もう「一般的」とはちょっと外れてしまうってのが悲しいくらいです。
家族で「ショートフィルムを見る」なんて聞いたことがありません。
つまんないからです。
たしかに、ショートフィルムの世界には、今後に発展する威力を秘めた作品もあるにはあるのです。
でも、そこから「あたらしい芽吹き」を発掘した人なんて、世の中に何人いるでしょう?
多くの人が楽しみにしてるのは「すでに面白いもの!」「とっくにすごいもの!」という「できあい」のものであって、発展途上や発掘、なんて次元にはとんと興味がないのが、あたりまえなのです。
作り手を見つけだして、育ててみる、という面白みって、ものすごい楽しいことなんですが、そこはそれ、社会の心のインフラっていうんですかね。
その人が住んでるコミュニティの「カップク」なんスよね。くそう。
まあ、そんなこんなでショートフィルムなんですが、俺、作り手としてもやっぱり「我慢」できないもん。ツマンなくて。
ショートそのものは、日本だけがブー!な訳じゃなくて、海外のもやっぱりつまんなくて眠いのが多い。
あ、でもフランスの国立機関の作ったショートフィルムとか、ジェーン・カンピオンとかのショートは素敵でしたよ。
どこかかしこかには秀作がたしかにあるとは思うんです。ジブリの「ON YOUR MARK」とかゼネプロの「DAICON4」なんてサイコーッスよ。
「うまく撮れてない」なんて次元じゃなくて、「うまくは撮れてるけど」な上「ツマンない」ことを、ショートフィルムはやっつけていかなくちゃ。
時代はビデオ時代。
あんまり考えなくても「撮れるように撮る」映像と、フィルム時代の「凝り出せば、とっことん趣味的に究極の映像に至る」映像、どちも別の威力を持っている。
もうすこし、市民権のある自然な作品がするりとでてこられる雰囲気は欲しいとこッスね。
とかいいつつ、やっぱりスキあらば、作りたくなるんだよね、映画。
P.S とか書いてた時代のうちに、YouTube全盛の時代なんだよね。ビデオの時代ですらなくなっちゃった。あはは。