外国の方の中に、この手のシリアルキラーめいた「人の見下げ」の度の越し方が異常すぎるケースを時々感じる。白人の方に見かけるこうした態度の独特のキツさって、よそのそれとはなんか温度差がある。見下げてないと何か保たないんだろうか?
夫婦はすべての容疑を否定している。ホワイトフェザー容疑者は裁判所に提出した書類を通じて「子どもたちが倉庫にいることを『クラブハウス』と呼んで喜んでいた」とし「単なる誤解」と主張した。
なんだろ?この度の越し方。異常そのものだし、どこか「それが平常運転」の趣(おもむき)まで出してくる。つまり理性的にそうである、が香ってきて異常さに高いバイアスを感じるんだ。すごく嫌いな類の空気がそこに淀んで透けて見える。なんだろうね、この異常さ。