従来通りあれたものが、従来どおりを許さぬキラーフレーズの不意打ちみたいな来襲で、存続を断念させられるのはある意味暴力に似通う感慨を覚えるのです。
すべからくをね、ユニバーサルになるってのはもはやディストピアだとも思うのです。
全部は叶えられない・・・誰だってそうしたものとのせめぎあいを、人生に覚えるものだけれど、地域に根付けてた愛着のある店が損なわれるのってね、文化を丸ごと失うようなものなんですよ。
一旦損なうと、もう似通うものでもそこには芽生えない。
損なわないでいてもらう、がぎりぎりのありがたさのはずなのに、なにかの一押しが、文化ごと消し去ってしまうという「正しさ」準拠の有り様は、正直🐼はきらいです。
かつてね、お店を任されてたときに、足の悪いおじいさんが、毎日通ってくれてたんです。
その足の不自由な中、お店でほんのちょっぴりづつ喋るのが🐼は好きでした。
けれど時代の趨勢からお店をたたむ際にも、おじいさん、いくとこあるかなあって、やっぱりあたまによぎったんです。
その他のお客の中には「自分の要求」ばかりゴリ推してきて、それが通らぬと判ると俄然つぶれろだの、よそはやってくれただのと吠えだす方もいらっしゃいました。閉店決定時には後ろ足で砂をかけるような態度も見せてきましたね。糞だなって思ってました。死んじまえって思ってました。
まにあわなさを許してほしいんだけどな。
全部はできないってば。
そんな無理強いこそ、どうなんだろうってのもでてきちゃうなあ。
これも傲慢なのかなあ。なんだか悲しいのです。