人肌の温度がわかる距離あればこそよ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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相棒が、高齢者の介護の際に、ボケ防止に最も有効な原則を教えてくれた。

 

それはその人当人が生まれ育って一番馴染んだ言葉遣いや雰囲気のうちに過ごさせること、だそうだ。

 

喋り口調や方言、いいまわしは節回しが違ってるだけで、ご年配はそこに緊張を覚えるし、こころ障りがじつは芽生える。そうした摩擦感が、遠巻きに持続するストレスにも繋がり、くたびれ、呆けやすくなるのであり、事実、認知を発症しやすい職業は、公機関勤務者や学校の先生、管理者など、形骸を維持する職業に属してる人ほど、年季が入ってから認知になりやすいのは、上述の「慣れ親しんだもの」への郷愁なり、はみ出すことへの抵抗感がビビッドに顕在化しやすいからかも知れない。

 

今こうして、🐼自身も母の介護に片足をいれるものとして、「正しいことを言ってのける」よりも、ひとり当事者の横に座りに行く、だけの価値だけが、有効なのを日々感じます。

 

寄り添う、は一番だいじであって、そこでは「正しい」も「正確」も肝心ではなくなります。

間違ってても、不正確でも、適切が勝っててくれてないと、事態に収集がつかないのが人の本性ですから。

 

そこが腑に落ちてない人は、やはりギャップが生じて見えるし、否応のなさのうちに身を所した人はやはり強い。

 

その意味では上沼さんが「寄り添わざるを得ないで過ごした」事実一つが、ここぞのときに表出して見える事実として、強さを誇るのは、判る気がしますね。

 

気を抜いて、ココロ・ここにない人ほど、肌感覚で息遣いのうちに嗅ぎ取る他ない生き様になるんだし、明敏化してくる。否応ないなかを「居合わせてくれてた」なる頑強な事実だけが、人が最後の方まで覚えていられる体感則なんでしょうね。

 

それは強固ですって。