過ごすというバランス感覚 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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こたびの母の入院でも強く思い直したのが、「人は繋がっておく」ばかりでないのも大事、という感覚でした。

人としてのつながりが、近すぎると、有事に振る舞わなくてはいけない項目も増え、無用な煩雑に気が滅入ることも多々あり、適うならばこちらの必要最小限度に留めときたい、が🐼の正直な感慨でした。

 

そうした、なにをするでもないけれど、日々のうちに消耗が伴う生き方は、心ある方々からお声がけも頂戴しますときに、間に合わなくなることがあります。さりとて、丁寧に応じている回数が、ベクトル違いの方角から迫ってこられたら、きっと🐼の性格では潰れますね。パンクしちゃうまで、付きあいきる方を採ってしまうのです。

 

ゆえに周囲の方がそれに先んじて、比較的適度なお声がけをされてくださり、随分助かるなあって思いもしました。「困ってるときの、困ってる感」が体得できている人ほど、この距離の適切が巧みでした。空気みたいにさりげない。

 

不慣れな人は、真正直に声高気味に「大丈夫?」ときりだし、根掘り葉掘り聞く時間を要望してきます。困るんです、喋ってる間に休んどきたいんで、ってなります。

ただ、「正しい」所作には違いないので、無下にはできませんが、配慮としては「不適切」な面は否めないのでした。

 

親族うちでも、各家庭ごとに母の容態が知りたいとも限らず、窓口になる信頼できるキーパーソンを日頃の付き合いのうちに見つけておいて、事の次第の説明はその方にいっぺん通りすれば、差し障らぬ伝達が適うという地元コミュニティの浸透は、こういうとき実に有意義に見えました。

 

繋がっておく、と一口に言っても、そこには「運用の手管」で全く別の顔つきを見せるものですから、上手いもあれば下手も生じます。上手くやるだけでも足りず、上手くなくて助かった、なることもあります。

そこは、請け負う方にも相応量な「流し方」の体得が成せてなくば、スムーズさが、温度差が、露骨になっていきますね。

 

事なきを得る、をゴールにしながら、進捗はさせねばならぬ、ある種のアンビバレンツがここにはありますけれど、わたしたちの毎日ってのはこーゆー「色々やってるけど、変化がさほど見えなさ」のうちに、上手く進んでる、ってのが最善なんでしょうね。すげえバランス感覚よね、これ。