記事には耐性ではないと明記されてる。それでも回復のための糸口になることに予感が伴うし、いくばくかの進展の突端にはなってくれそうだ。
さりとて、被曝からの回復を仮に人類が成し得た時、今度は「被爆したって治療ができる」なるを新しいフォーマットとして、次世代へのフェーズの転換を図れたとしましょうか?
それって「いいこと」になるんでしょうかね。
核爆弾はそれなら減りませんし、脅威の計測の仕方のほうが代わるだけで、決して事態の根本解決からは遠ざかるばかりにも思いますし、多分人類以外の生き物は、こんなふうな進捗を目論まないほど愚かな足取りに感じます。
「なんとかしちゃえる」せいで、「こなせる・のりこなせること」なんだからに「部類しなおせる」っていうのは、成長ではなく、凋落のベクトルだと個人的には思うのです。
こういった際限のなさ、線虫はそうであった、で終いにできなさが、人類の弱さの露呈にも感じました。
「諦められない」のせい、って言い換えても良いかもしれません。