当事者という畏怖(いふ) | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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「どうしますか?」日立グループの社員が言った。

「いいからゲートを壊してください」同行していた東京電力の社員が叫ぶように言った。

河合は、驚いた。普段から東京電力の社員は『ルールは絶対守る』人間たちだった。今は緊急事態だと改めて思った。

日常的に「守られて」いるのは有事の際にこそ、そこにこもってた意味合いを知ることになるし、心がけるべきなにかが、今は推移した地点にあるとすぐにわかる。

現場の緊張した声が耳に響いた。

「再び津波の恐れあり。電源車の配置の検討を願います」

一刻を争う電源復旧作業だったが、何よりも部下の安全を守らなければならなかった。稲垣は難しい判断を迫られた。

作業員を海の近くに行かせていいのかという質問を現場から何度も投げかけられていた。正直、答えはなかったが、見張りをつけていざとなったら大声で「逃げろ」と叫ぶ方法しか見いだせなかった。

命がけになる局面に、ある日突然に見舞われることが人生にはある。

その刹那の判断で、以後の人生の居心地を大きく左右する英断は、本当に不意に襲ってくるし、その刹那では「逃げ出してしまう」すらも「そう決めた」なる禍根の判断の一つであるのを、その当事者は、まさに「身をもって」わかる。

午前4時すぎからは、ついに構内の放射線量が上昇してきた。現場では誰も全面マスクをつけていなかったため、いったん免震棟への退避を余儀なくされる。防護服と全面マスクを身につけ、再び現場に出る。ここでも時間をロスした。作業を再開したのは午前7時だった。あたりはすっかり明るくなっていた。

この否応のなさ。

判断をあぐねたり、手をこまねくことすらが、その局面では「時間のロス」扱いに昇格される。

「なにもしないで過ごしてる」に似通うそれは、当事者を忸怩たる思いも抱かせるし、なにかできるんじゃないのか?という焦燥に押しつぶされそうになる。

 

終わってしまえば「そうとしかできなかった」と当事者は最善を選んでいる。ただ、それは、とてつもなく怖い判断の連続だったことはこの記事からも風を感じるほどだ。