2年前の今日のことを、当時のFacebookから見つけてしまいました。

忘れかけていた出来事。
 
原文そのものを読み返してみました。
当時6年生の長男の地獄の2週間のお話をここに掲載します。

 

 

記憶がある内に書き留めよう(^^;;

タイトル「小児がんの宣告を受けた」


ゴールデンウィーク明け、学校から呼び出しの電話が来る。

どうやら長男が熱があり、頭痛も酷い状態らしい。
小雨が降る中、昼下がりの学校へ向かいに行く。


ここから地獄の始まり。


熱はどんどん上がり、40・5℃をキープ。
解熱剤も効かない。しきりに右膝を痛がる。


発熱から3日目。

関節炎の疑いがあり市民病院で診てもらうことに。
原因は分からず、強い抗生剤を処方される。


医師は入院を希望するが、本人が拒否。
小児科から整形外科にもまわされる。


レントゲンの結果、膝は大丈夫と言われる。

しかし私は嫌な予感しかなかった。

レントゲンの映像に、わずかながら不鮮明な箇所がある。

歯科でもよく見る、この不鮮明な画像。


2日後に、今度はMRI 検査をするらしい。

この日は帰宅した。


そして、MR lの検査当日。



撮影後、明らかに待合室が騒然とする。

看護師さん達が、広いフロアーを走って私の元にきた。
順番を飛ばして診察室に呼ばれる。
医師の顔が曇る。


「今、〇市大病院の先生と連絡取ってます。お母さん、腫瘍がありました。

特殊なものです。CTも今から撮ります。悪性の可能性もあります。」


足の骨に腫瘍がある?悪性?

もしかして・・・それって・・・



骨肉腫か・・・・

骨の癌じゃん・・・


 

せんせい・・・うちの子はまだ、

11歳なんですよ?

死ぬのですか?




私は意外にも冷静に医師の話を聞く。

途中、夫からラインが入る。
腫瘍の事を話したら、電話がかかってくる。
手短に話して、すぐ切る。


後日談だが、夫はあの後、ショックで貧血を起こしていたらしい。弱いわ(-。-;


3日後に、足に造影剤をいれMR l撮影をする予約を入れる。
すぐ義母に腫瘍の事を電話する、学校の担任にも電話をする。


義母宅に帰り、夫と合流。
死んだ顔の夫。彼は食事すらしない。
義母がふるまってくれた料理にも手を付けない。


「あなたね、これからよ?これからが闘いだよ?食べないともたないよ。」私が静かに悟す。


でも、食べられない夫。
反面、ガツガツ食べる私。
戦闘態勢に入った私。
小児癌と闘うには体力がいるからね!

その日の夜中、自宅に帰り冷蔵庫を整理していた。

入院になったら、付き添い生活が始まる。

整理しとかなきゃ。


そして、ふと・・・ふと、突然、頭に浮かんだ情景。


少し前の事。

運動しないで勉強ばかりやる長男に、悪態をついた私。
そして、長男に言われた言葉。



「ママあのね、僕は将来、科学者になるんだよ?子供達の難治化疾患を治すんだよ?

だから僕は他の人より勉強しなきゃいけないんだよ。」



そうだった・・・・

長男は、高い志を持って生きている。



こんな事で、こんな事で・・・・・




死なせてたまるか

o(`ω´ )oゴラァー




私は涙を拭いた。泣くのは、これが最初で最後。
闘うよ!母さん闘うよ!

小児がんなんかに負けてられねぇ!!



長くなったので、次に続きます・・・・あせる



【追記します】


この記事は、アメトピに掲載されアクセス数が大変な事になってしまいました💦

続きの記事に飛べない方は、こちらからどうぞ。完結編になってます。





 

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