「あと○○だったら‥」という事がある。
「あと1円あったらちょっきり払えた」「あと1分あれば時間に余裕があった」など、中には自業自得な行いによってそのものの『不足』を悔やむ事があったりする。
その日もギリギリの時間猶予で出勤の為自宅を出発し、いつもの通勤経路を「ヤバイヤバイ」と思いながら車を走らせていた。遅刻したくないのに遅刻しそうな時間帯に家を出るのが生活リズムとなっていたのだ。それでも遅刻した事が無かったため『ヤバイ』と思いながらも少し余裕をかまし鼻歌などを歌いながらハンドルを握っていた。
普段右折するT字路に差し掛かると、昨日までは穏やかだった道が工事のため通行不能となっていた事で前方の人々は右折出来ないと判ると続々と左折していき自分も後ろに続いて左折方向へと進んだ。とたん渋滞していたものの申し訳なさそうに動いていた車の動きがピタッと止まった。『ただでさえ遅刻しそうだったから工事が理由でゆっくり遅刻が出来る。たぶん大通りの信号で引っかかっていてしばらく動かないだろうから職場に遅刻する旨を電話で伝えよう。こんな事ならもう少しゆっくり出てくればよかったなぁ』などと思いながら動かない車の列をみつめた。
家から職場まで早くて30分、観光地なので職場の前の道は夏も冬も連休時は大渋滞で遅くて1時間以上かかる時もある。その日は連休時で無かった為、この渋滞を回避すれば後はスンナリ走る事が出来るのもあり、一時の渋滞にハマっていた。
とりあえず職場へ電話をかけようと携帯電話を手に取ると電源の入っていない真っ黒な画面に自分のアホ面が映った。
よく考えれば遅刻ギリギリに家を出た自分が悪い。
後5分早く出ていればこの渋滞を回避出来て今頃は大通りに出ているはずなのだ。それを工事のせいにしようとしていた自分の愚かなツラに直面し、ちょっと落胆した。
『電源切ってたっけ?』と思いながら電源ボタンを押したが電源が入らない。しばらく電源ボタンを押したがやっぱり電源は入らない。数度とチャレンジしてみたがそれでも電源は入らない。充電が切れていたのだ。
危機に晒されている時に限って電池がなくなり悲観するというくだらない事がたまにある。『まぁ!なんというコトでしょうっ』という、もはやリフォームどころか全改築なんじゃないかと思われる某テレビ番組のナレーションが頭の中をコダマした。
連絡がとれなければ自分はタダの遅刻した人となる。綺麗事を言えば店に迷惑もかかる。連絡を入れれば許されるという甘い考えをしているからこうなるのだ。真っ黒な画面に映る不気味な顔の自分を恨んだ。
とにかく携帯さえあれば連絡が出来る。モールス信号でも習っておけば良かったと途方に暮れていると、自分の前に同じく渋滞にハマっていたNTT東日本というロゴの入ったトラックが目に入った。『電話屋さんならもしかしたら電話を貸してくれるかも!』とまたしても間違った憶測をし、小さな希望を胸にその車に駆け寄った。
運転席には一人の男性が渋滞方向をジッと見つめながらハンドルを握る姿が見えた。
スイマセンと窓をコツコツ叩くと不審げな形相で窓を開けてくれたので、遅刻しそうなので職場に電話をかけたいのですが携帯の充電が終わってしまったので携帯電話を貸して下さい、と初対面のオッサンにアホ全開な自分をさらけ出し遅刻しそうな旨を伝えた所すぐさま「あぁ、いいよいいよ」と何の抵抗もなく携帯電話を手渡してくれた。瞬間、オッサンに後光がさした。気軽にオッサンと呼ぶのは無礼に値すると思いながら『オッサンさん』を讃えた。
本当にありがとうございます。必ず返しますからと当たり前な事を伝え車へ戻り、急いで手帳に書かれたアドレスを見ながら「工事のため遅刻するかもしれない」と職場に電話をかけ、すぐさま百円玉を握りしめオッサンさんに携帯電話を返却に行った。そして「電話代なんかいらないよ。いいからいいから」と言うオッサンさんに感謝し礼を言った。
また会ったら礼を言おうと思い、オッサンさんの車のナンバーを控えてから早5年が経つ。
小学生の時、友人数名とクラスメートの自宅へ遊びに行こうという話が出た。
帰宅後すぐに自転車を走らせ数名の友人が先を行き、友人の自宅など知らない上に方向音痴な自分はその後ろを人任せについていった。
途中、道幅が狭い上に急な坂道があり、おまけに半端無いカーブとなっている危険地帯があった為、全身全霊をかけ一気にペダルをこいだ。瞬間、突然タイヤをジャリにとられ道路側にそのまま転倒し、その直後、頭の数センチ上をダンプが通り過ぎていった。
無様に転倒したまま身動き一つ取れず頭の真上を通り過ぎるダンプのタイヤをただ見つめ、自分の身に何が起こっているのか把握するのに数秒かかった。自分も驚いたが、ダンプの運転手もさぞかし驚いたであろう。あと2センチ道路側向こうへ転倒していたら頭はつぶれていた。空っぽな頭でも自分にとっては大事な頭である。それよりも周りに迷惑をかけなくて良かった。惨劇を披露すれば友人はおろか、ダンプの運ちゃんの一生にトラウマを備えつけてしまうかもしれない所であった。最後方を走っていた事で友人を巻き添えにせず済んだというのも救いだった。
ダンプの運ちゃんの運転技量にただ感謝である。
校庭をブラッと歩いていた時には頭上に小さな衝撃を受け、何だろうと被っていた紅白帽を取ると鳥のフンがついていた事もある。あんなに広い、しかも数百人と集結する校庭で大空高く飛ぶ鳥が自分の頭上めがけてフンを落としたのだ。
もし、鳥による悪質な嫌がらせだとしたらかなりの命中力だ。そうじゃなければあと一歩踏み出していたらこんなマヌケな事にはならなかった。今なら「ウン(運)がついた」と喜ぶ」かもしれないが、まだ純真無垢な小学生だった自分は水道に行き無言のまま紅白帽を洗った。
『あと○○あれば‥』などと悲観したり歓喜する事は日々いろいろな場面で出会う。それは些細な事から時には人命に関わる事までさまざまで『運命がそうさせた』と言えばそれまでだが、その中でも『時間』というものに限っては自分の計画性によりそのモノ自体が決定される。必ずしも『早く実行してみる』という事が良いとも限らなかったり、逆に『遅くやってみた』という時の方が時間の流れに乗っているとさえ感じる事もある。
「1分1秒」が人生を決める、というギャンブルの世界で『遅い方』に該当しルーズに生きる自分としては「たまには『早め』を心掛けてみようかなぁ」などと思いつつ「たまにめずらしい事をやると空回りが多い」という理由を自らにこじつけながら無計画にダラダラと生活する毎日なのである。
「あと1円あったらちょっきり払えた」「あと1分あれば時間に余裕があった」など、中には自業自得な行いによってそのものの『不足』を悔やむ事があったりする。
その日もギリギリの時間猶予で出勤の為自宅を出発し、いつもの通勤経路を「ヤバイヤバイ」と思いながら車を走らせていた。遅刻したくないのに遅刻しそうな時間帯に家を出るのが生活リズムとなっていたのだ。それでも遅刻した事が無かったため『ヤバイ』と思いながらも少し余裕をかまし鼻歌などを歌いながらハンドルを握っていた。
普段右折するT字路に差し掛かると、昨日までは穏やかだった道が工事のため通行不能となっていた事で前方の人々は右折出来ないと判ると続々と左折していき自分も後ろに続いて左折方向へと進んだ。とたん渋滞していたものの申し訳なさそうに動いていた車の動きがピタッと止まった。『ただでさえ遅刻しそうだったから工事が理由でゆっくり遅刻が出来る。たぶん大通りの信号で引っかかっていてしばらく動かないだろうから職場に遅刻する旨を電話で伝えよう。こんな事ならもう少しゆっくり出てくればよかったなぁ』などと思いながら動かない車の列をみつめた。
家から職場まで早くて30分、観光地なので職場の前の道は夏も冬も連休時は大渋滞で遅くて1時間以上かかる時もある。その日は連休時で無かった為、この渋滞を回避すれば後はスンナリ走る事が出来るのもあり、一時の渋滞にハマっていた。
とりあえず職場へ電話をかけようと携帯電話を手に取ると電源の入っていない真っ黒な画面に自分のアホ面が映った。
よく考えれば遅刻ギリギリに家を出た自分が悪い。
後5分早く出ていればこの渋滞を回避出来て今頃は大通りに出ているはずなのだ。それを工事のせいにしようとしていた自分の愚かなツラに直面し、ちょっと落胆した。
『電源切ってたっけ?』と思いながら電源ボタンを押したが電源が入らない。しばらく電源ボタンを押したがやっぱり電源は入らない。数度とチャレンジしてみたがそれでも電源は入らない。充電が切れていたのだ。
危機に晒されている時に限って電池がなくなり悲観するというくだらない事がたまにある。『まぁ!なんというコトでしょうっ』という、もはやリフォームどころか全改築なんじゃないかと思われる某テレビ番組のナレーションが頭の中をコダマした。
連絡がとれなければ自分はタダの遅刻した人となる。綺麗事を言えば店に迷惑もかかる。連絡を入れれば許されるという甘い考えをしているからこうなるのだ。真っ黒な画面に映る不気味な顔の自分を恨んだ。
とにかく携帯さえあれば連絡が出来る。モールス信号でも習っておけば良かったと途方に暮れていると、自分の前に同じく渋滞にハマっていたNTT東日本というロゴの入ったトラックが目に入った。『電話屋さんならもしかしたら電話を貸してくれるかも!』とまたしても間違った憶測をし、小さな希望を胸にその車に駆け寄った。
運転席には一人の男性が渋滞方向をジッと見つめながらハンドルを握る姿が見えた。
スイマセンと窓をコツコツ叩くと不審げな形相で窓を開けてくれたので、遅刻しそうなので職場に電話をかけたいのですが携帯の充電が終わってしまったので携帯電話を貸して下さい、と初対面のオッサンにアホ全開な自分をさらけ出し遅刻しそうな旨を伝えた所すぐさま「あぁ、いいよいいよ」と何の抵抗もなく携帯電話を手渡してくれた。瞬間、オッサンに後光がさした。気軽にオッサンと呼ぶのは無礼に値すると思いながら『オッサンさん』を讃えた。
本当にありがとうございます。必ず返しますからと当たり前な事を伝え車へ戻り、急いで手帳に書かれたアドレスを見ながら「工事のため遅刻するかもしれない」と職場に電話をかけ、すぐさま百円玉を握りしめオッサンさんに携帯電話を返却に行った。そして「電話代なんかいらないよ。いいからいいから」と言うオッサンさんに感謝し礼を言った。
また会ったら礼を言おうと思い、オッサンさんの車のナンバーを控えてから早5年が経つ。
小学生の時、友人数名とクラスメートの自宅へ遊びに行こうという話が出た。
帰宅後すぐに自転車を走らせ数名の友人が先を行き、友人の自宅など知らない上に方向音痴な自分はその後ろを人任せについていった。
途中、道幅が狭い上に急な坂道があり、おまけに半端無いカーブとなっている危険地帯があった為、全身全霊をかけ一気にペダルをこいだ。瞬間、突然タイヤをジャリにとられ道路側にそのまま転倒し、その直後、頭の数センチ上をダンプが通り過ぎていった。
無様に転倒したまま身動き一つ取れず頭の真上を通り過ぎるダンプのタイヤをただ見つめ、自分の身に何が起こっているのか把握するのに数秒かかった。自分も驚いたが、ダンプの運転手もさぞかし驚いたであろう。あと2センチ道路側向こうへ転倒していたら頭はつぶれていた。空っぽな頭でも自分にとっては大事な頭である。それよりも周りに迷惑をかけなくて良かった。惨劇を披露すれば友人はおろか、ダンプの運ちゃんの一生にトラウマを備えつけてしまうかもしれない所であった。最後方を走っていた事で友人を巻き添えにせず済んだというのも救いだった。
ダンプの運ちゃんの運転技量にただ感謝である。
校庭をブラッと歩いていた時には頭上に小さな衝撃を受け、何だろうと被っていた紅白帽を取ると鳥のフンがついていた事もある。あんなに広い、しかも数百人と集結する校庭で大空高く飛ぶ鳥が自分の頭上めがけてフンを落としたのだ。
もし、鳥による悪質な嫌がらせだとしたらかなりの命中力だ。そうじゃなければあと一歩踏み出していたらこんなマヌケな事にはならなかった。今なら「ウン(運)がついた」と喜ぶ」かもしれないが、まだ純真無垢な小学生だった自分は水道に行き無言のまま紅白帽を洗った。
『あと○○あれば‥』などと悲観したり歓喜する事は日々いろいろな場面で出会う。それは些細な事から時には人命に関わる事までさまざまで『運命がそうさせた』と言えばそれまでだが、その中でも『時間』というものに限っては自分の計画性によりそのモノ自体が決定される。必ずしも『早く実行してみる』という事が良いとも限らなかったり、逆に『遅くやってみた』という時の方が時間の流れに乗っているとさえ感じる事もある。
「1分1秒」が人生を決める、というギャンブルの世界で『遅い方』に該当しルーズに生きる自分としては「たまには『早め』を心掛けてみようかなぁ」などと思いつつ「たまにめずらしい事をやると空回りが多い」という理由を自らにこじつけながら無計画にダラダラと生活する毎日なのである。