たむらの日記~1日も早く被災した方達の心に桜が咲きますように~ -16ページ目

東北地方太平洋沖地震:8


急いで家に帰り蛇口をひねってみると、すごい勢いで水が出てきました。またまた家族4人で拍手!

電気と水道が復旧。地震以来、必死に作業をしてくださった作業員の方々に感謝すると共に、不安だった未来に希望が見えてきました。少しずつだけど確実に前に進んでいます。


気づくと夜に鳴り響いていたサイレンもヘリコプターの飛ぶ音もあんまり聞こえなくなっていました。

この日の夜からコートを脱いで眠ることにしました。


3月20日。あの日から10日目の朝。この日は水道が復旧したので、10日ぶりにシャンプーをすることにしました。

電気ポットでお湯をわかしました。最初は全く泡が立たず…2回目で泡立ちがよくなり、もう1回洗いたかったけど節電節水のためガマンしました。

水道が復旧しても、また断水するかもしれないし節水にもなるためお水は汲み置きしています。その汲み置きしたお水をシャンプーに使ったのですが、4リットルのボトル3本も使ったことにビックリしました。普段何気なく使っていたお水ですが、シャンプーだけで最低12リットルもお水を使っていたのですね。ムダに流していたこともあるので、これからは気をつけようと思いました。

10日ぶりに頭がさっぱりして気持ちも少しさっぱりしたように思います。

シャンプーをすると今度はお風呂に入りたくなりました。

ガスの復旧は1ヶ月かかると言われているので、お風呂に入れるのはまたまだ先です…。

ライフラインが全て寸断された時「せめて電気だけは…」と思っていたのに、電気が復旧すると「早く水道を!」、水道が復旧すると「ガスはまだ?」と思うようになりました。

『人間は贅沢な生き物』と聞いたことがありますが、本当にその通りだと思いました。



太陽が出ていて暖かい3月21日。あの日から11日目の朝。この日は家から徒歩2分くらいにあるスーパーが営業中と情報があったので買い出しに行きました。

50人くらい並んでいて、40人ずつ店内に入り15分以内に買い物を済ませるというシステムでした。

私達は2巡目に店内に入りました。この日の目玉はガスボンベです。でも意外と買う人が少なく、電気が復旧したからあんまり必要なくなったのかなと思いました。

厳しい制限もなく自由に買うことが出来、物流関係も徐々に回復してきていることを実感しました。

家に帰って携帯を見ているとスタンド情報が出てきました。



続く

東北地方太平洋沖地震:7


店長らしき人が出てきて拡声器で「本日低体温症でお年寄りの方が数名倒れられました。皆さん無理をなさらないようお願い致します。」とアナウンスしました。

この日は5時間並んで、お菓子とインスタントの味噌汁しか買えませんでした。

自宅から戻った夫と合流して、「今日も卵買えなかったね~。お米も入荷ないし…。」と話ながら商店街のお米屋さんを覗いてみたら『玄米30kgあります』の貼り紙が!迷わず飛び付いて玄米を買うことができました。

自宅から持ってきた10kgのお米しか買い置きがなかったので安心しました。

この日は寒さでかなりグッタリ…。1度も目が覚めることもなく朝まで眠ることができました。


3月18日。あの日から8日の朝。この日は何もしないで家で過ごすことにしました。

私はずっとテレビを見ていました。未だにテレビの中の光景が自分の住んでいる宮城県で起こったことだと信じられず、安否確認や避難所で過ごす方のコメントを聞いていると涙が出てきました。

福島原発で避難している地域も仕事でよく行っていたので他人事とは思えず、何もできない自分が情けなく思いました。


3月19日。あの日から9日目の朝。この日は天気が良かったので、近くの震災ゴミ仮置き場になっている公園へゴミを持って行くことにしました。

自転車の後ろにガラスまみれになった布団などを縛って行きました。公園の周りに何台もの車の列が出来ていて公園の中はゴミの山になっていました。まだ新しいデジタルテレビや洗濯機、ブロックや木屑など色んな物が捨ててありました。

やっぱりコレは現実に起こったことなんだと思い知らされました。

ゴミを捨てて、またスーパーの方へ向かいました。トイレットペーパーを持っている人を見たからです。

お肉屋さんや八百屋さんがある商店街を抜けるとスーパーがあるのですが、商店街の中を通ってみたらパンを焼く臭いがしてきました。パン屋さんの前に行列が出来ていて、私達も並びました。お店の方が出てきて人数を数えています。私達の5人くらい後ろで「本日ここまでになります。申し訳ございません。」と言っていました。1時間くらい並んで、焼きたてのバターロールを買うことができました。

その後私と夫は八百屋さんへ、母はスーパーへ別れて並びました。

トイレットペーパーを持つ母と合流したとき「水が出たぞ~」と言う声が聞こえてきました。



続く

東北地方太平洋沖地震:6


スタンドの様子を見ながら帰ろうと思いスタンドの近くを通ったとき怒鳴り声が聞こえてきました。詳しくはわかりませんでしたが、並んでいたお客さんとスタンドの店員がもめていて警察官までくる騒動になっていました。そして警察官が並んでいた車1台ずつに「給油機が故障していて入れられないから帰りなさい」と言って回っていました。すぐに父に電話して状況を伝えて父も帰ることにしました。

家に着く頃、悪臭は酷くなっていて帰ってすぐ布団に横になりました。午後になるとテレビの枠外にも「若林区と宮城野区で異臭」と出ていました。

仙台港の石油コンビナートの火災が原因でした。地震当日の夜、東の空が赤く光っていたのもコンビナート火災で爆発したりで光っていたようです。

その日はずっと体調が悪くて1日寝ていました。


雪がちらつく3月16日。あの日から6日目の朝。車とバイクのガソリンがなくなりかけていることもあり、自転車を購入することに。母が昔からお世話になっているバイク屋さんに電話すると、丁度キャンセルになった自転車が1台あるということで、夫が取りに行くことに。

私も体調が良くなったので買い出しに行くことにしました。


この日は商店街のお肉屋さんを通り過ぎようとした時、「牛肉豚肉鶏肉制限なし~」と聞こえてきて急いで並びました。30分くらい待ってお肉が買えました。まさかお肉が帰るとは思っていなかったのですごく嬉しかったです。

その後、自転車を取って来た夫と合流して八百屋さんに並びました。前回は店頭販売でしたがこの日はお店の中に入って自由に買うことが出来ました。

9時に家を出て帰宅は14時…。買い出しだけで1日が終わる…でもこの日は大収穫でした。

お肉と野菜。ということは、この日の晩ご飯は焼肉にしました。地震以来、何を食べても美味しく感じましたが焼肉は最強でした。


3月17日。あの日から7日の朝。この日も母と買い出し。夫は自宅へお米とお水を取りにでかけました。朝からものすごく寒くて時々雪が吹雪いていました。卵目当てでスーパーに並びましたが、この日は大行列…。200人くらいは並んでいたような…。寒くて寒くてでもなかなか進まなくて、雪も積もるくらい降ってきました。

前の方が急にざわつき出して、おばあさんがスーパーの店員さんに支えられてお店の中に入って行きました。

他にも2人お年寄りが運ばれていきました。



続く