訃報は突然にやってきます。仕事の予定だろうが、結婚式の予定だろうが、私たちの予定なんかお構いなしでやってきます。

そして仙人の様に自給自足で他人とは一切関わっていないという様な人でも無い限り、「他人事」ではない筈です。

訃報にふれたとき、落ち着いて、のちのち後悔しない様、何らかの参考にしながら読んで頂ければさいわいです。

 

今日もお立ちよりくださり、ありがとうございます。

 

 

今回は6月7日の出来事です。

 

点訳1冊目を校正依頼で持って行ったのが6月12日でした。

じつはもう少し早く持って行くつもりで、6月7日の朝までには頑張って用意していたのですが・・・。

 

この日の午後、長崎県五島市在住の叔母が亡くなったとの報を受けました。

五島市は父の郷ですが、父の家系(のうち私の祖父世代以降)で五島在住者は7日に亡くなった叔母ひとりでした。

父の兄弟は父を含めて5人。亡くなった叔母以外は皆さん郷を出て他府県で在住。

このうち父が最初に、平成17年に70歳で亡くなっており、数年前には大阪の叔父が亡くなっています。

存命の叔父、叔母とも五島市から遠く離れていて、どちらも高齢です。

それでも亡くなった叔母が入居していた施設や入居後に住む人が居なくなった叔母宅には、亡くなった大阪の叔父や東京の叔母が、度々お世話に帰って下さっていました。

 

今回、我が家へ連絡を頂いたのも東京の叔母からでした。私の母のLINEへ知らせて下さったのです。

 

第一報があって、7日時点では葬儀の場所や予定は全く判っていませんでしたが、我が家の近所に住む母方の叔母から「すぐにでも行った方が良い」と、行くべきか続報を待つべきか迷っていた母と私に、冷静に後押しして頂きました。

 

情報が無い中、行くか行くまいか迷った理由のひとつが、亡くなったのは7日で翌8日は六曜カレンダーで「先勝」、9日は「友引」だったこと。

友引を避けて葬儀が行われることが考えられました。8日に葬儀・火葬が行われるならば、今すぐ出発しても間に合うかどうか。

葬儀・火葬が11日ならば自力で宿泊場所を確保しなければならないし、葬儀までに気を遣わせたり、ご迷惑をおかけしてしまう。

 

どちらにしても相手方(この時点で誰が葬儀の準備をして下さっているのかも不明)にはご迷惑をおかけするでしょう。

ならば、続報がまだかまだかと、宿が取れるか?飛行機が取れるか?と、心配ばかりして家でじっとしてるよりは移動しながら心配する方が私や母にとっては心が軽くなる。

仮に「招かれざる押しかけ客」だったとしても、なんなら追い返されたり、葬儀場が見つけられなくても、その時はその時。

気分を切り替えて父の郷を、里帰り、観光気分で楽しんで帰ってこよう。

 

 

やらぬ後悔よりやる後悔

 

イタリア、ルネサンス期の政治思想家

マキャヴェリ

 

最速ルートは?

 

先ず、五島へ着く便を考えるとどう考えても7日中には着きません。8日朝イチの「福江空港」もしくは「福江港」到着のダイヤを調べました。

 

福江空港着なら9時台着で福岡空港から。福江港着なら8時台で長崎港から。当然ながらこれらに間に合わせる為には今夜中に福岡か長崎に行って宿に泊まる必要がある。しかも行ったところで葬儀に関する続報が無ければ空港や港からの行く宛ても未定。

さて、どうしたものか・・・。宿泊の心配をしないで行ける方法は・・・。

 

・徳島~三ノ宮~長崎というバス乗り換えルート

 

これなら、三ノ宮から夜行バスなので宿の手配の心配は無い。けれども使ったことが無いので三ノ宮での乗り場がよく判らない。

ネットで調べて見つけられた、今まで知らなかった方法には嬉しくなったけど、未経験のことなのでとにかく不安。

当日予約は出来るのか?今からでも間に合うのか?

 

・徳島→福岡空港→福江空港?徳島→福岡空港→長崎新幹線→福江港?

 

これなら10時までには福江に着く。けれどもこれも今すぐ予約しても「前日」。さらに宿泊は必須なので、今夜の宿を福岡もしくは長崎で確保する必要がある。今(出発前から)決めてしまえば出費も大きいし、当日予約の当日キャンセルでは失敗したら請求だけ残るでしょう。どうしたものか・・・・。

 

・徳島→福岡空港→博多港→福江港

 

そうだ!フェリー太古(野母商船)という手があるな。でも野母商船のサイトを見る限り事前予約はもう終わっている。

 

もやもや

 

正直なんだか八方ふさがりでイライラしていました。母への言葉もついつい荒っぽくなってしまう。

こんな無理してまで、行かなくちゃならないのか?おとなしく続報を待って、続報が無ければ無いで出席しなくてもいいのでは?

 

いや、出席が叶わなくても、少しだけでも近づこう!ダメでもともと。

福岡までの飛行機なら今すぐ動けば席は約束される。その先は行き当たりバッタリでいいじゃないか。

 

お昼過ぎの一報から、近所の母方の叔母のアドバイスを受け、インターネットで飛行機の空席状況を確認し、16時頃には空港へ。

ネットで調べたら当日の料金は徳島~福岡は33,330円でした。母と私で66,660円と思って用意して空港カウンターへ行ったところ、JALのカードを作ることで「当日シニア割引」の特典が適用され、母の分は17,000円台という。ネットで決済しちゃわずに空港へ行ってよかった~。

 

 

 

16時に空港へ行った時、母は「泊まり」に備えて持病のお薬をもらいに病院へ行っていました。カウンターで本人が居ないことを伝え、年齢証明出来る物と記入したカード申し込み書を持って搭乗前にもう一度カウンターへ来る様、説明を受け、仮予約だけ済ませて16時半ころ、一旦帰宅しました。帰宅すると母は病院から歩いて帰宅していました。お薬は無事に得られたそうで。

 

徳島から九州への飛行機は一日2往復運行されていて、夕方の便は徳島発が20時ちょうど。

喪服や靴を鞄に入れました。2泊分くらいの肌着も。

 

準備の一方、五島市の葬儀場や市営の火葬場について情報収集。

このまま叔母(東京)からの続報がなければ、葬儀業者を一軒一軒電話で問い合わせてみるか・・・。市営の火葬場が予定を教えてくれたりするだろうか・・・。不安は尽きません。

 

19時頃に空港へ行きました。空港では誰宛なのか何人分なのか、見当も付かないままお土産品を購入。

いそいそと保安ゲートをくぐります。

 

 

出発ロビーの京急1000系形のきっぷ自販機。

今回は福岡行きなので・・・。さらに言うと福岡空港から地下鉄に乗り換えるのか、タクシーかバスで市内へ行くのか、それすら未だ決まっていません。

ただ、とにかく博多埠頭へ「行ってみてから」の結果次第で次の予定を考えよう。このときにはそう考えていました。

 

 

出発ロビーでも情報検索。野母商船へ電話で問い合わせてみようと思ったけど、電話は17時までとのことでした。

予約なしで乗船した人の口コミ情報でもないだろうか?あれば少しは安心か。

「当日」などで改めて検索すると、野母商船のQ&Aのページに答えがありました!

車両航送は予約必須ですが、旅客のみなら原則予約なしでも乗れるそうです。あとは金曜日の混雑具合がどうかだけが心配。

フェリー太古の博多発時刻は23時45分なので、福岡空港に着いたらまっすぐフェリー乗り場へ向かおう。

何とかなるさ。

 

 

当日は自分が乗った機材の写真を撮ったり、レジ番を控えたりする余裕がありませんでしたが、後日調べたらこの日の3568便の機材はJA218Jだった様です。

 

この飛行機が我が家の上空を通過する20時過ぎ、いつもなら夜散歩の道中で歩きながら見上げています。

スマホのフライトレーダーを見たりしているのですが、東京便が離陸前からアプリ上で表示されるのに対して、福岡線はなぜか離着陸時は表示されることが殆どありません。

 

離陸からしばらく、今どのへん飛んでいるんだろう?と窓から見える地上の明かりを見ていましたが、さっぱり見当がつきませんでした。機内では電源を切る様にアナウンスされますし、真面目に?電源を切っていましたが、ルートも後日チェックしてみました。

 

 

 

この日は揺れることが予想されるとのことで、機内サービスではホットドリンクの提供が中止との旨がアナウンスされていました。また「このあと15分程で揺れる」とのアナウンスがあり、実際それくらいの時間で揺れ始めました。

細かい情報提供は安心して乗っていられます。ありがたい。

 

出発時間が早かった様な印象は無かったのですが、福岡到着時のアナウンスでは「皆さんの時間厳守の協力で」15分ほど早着とのことでした。

ただ、その後ドアが開くまでにちょっと時間が掛かっていたのと、個人的な理由ですが、預けた荷物の回収場所で時間とっちゃったので、早着のメリットはあまりなかったかな・・・?

 

飛行機を降りてから人の流れについて行って荷物受取場で荷物が流れてくるのを待っていたのですが・・・。

キョロキョロはてなマーク

 

あれ?こんなに大勢乗ってたっけ?

 

びっくりびっくりマーク

 

ここ、東京便って表示されてるやん!

 

ポーン

 

徳島ってあっちの方で表示されてるやん!

 

足ダッシュ

 

コンベアから下ろされた荷物が3人分くらい。カートに乗せられて持ち主を待っていました。

なんだよ~。もっと早く気付けよオレ。笑

 

福岡空港でオチが付いたところで、お手洗いに寄ってタクシーで博多埠頭へ向かいます。

 

空港からのタクシーも事前に情報収集しました。有料道路経由で2600円程度と見積もりました。

運転手さんに博多埠頭の第二ターミナルと伝えたところ、「第二ターミナル・・・」反応がイマイチ。えっとフェリー乗り場へおねがいします。

すると運転手さん、フェリー太古に乗られるんやね。ならば急がないですね。って平道を行ってくれたので2000円くらいですみました。フェリー乗り場へ続くエレベーターの前へタクシーをつけてくれました。ありがとぉ~。運転手さん。

 

さっそく乗船申し込み名簿に記入して窓口へ。

 

 

無事に福江までの移動手段と寝床が確保出来ました。

ビジネスホテルに泊まるよりも安く移動しながら朝8時過ぎには福江に着くのですから、これは安い!

五島列島の島民手帳を持っていらっしゃる方はさらに割引(補助)があるそうです。

 

とりあえず、今夜の宿の心配はなくなりました。

学生時代には久留米で住んでいた私。当時博多埠頭へも遊びに来ましたっけ。

こんどゆっくり福岡の町も歩いてみたいですね・・。

 

博多出発は23時45分ですが、21時45分には船内へ案内してもらえます。

出発まで2時間、とても静かな船内で早速寝ていらっしゃる方々もみられましたが、私は甲板から見える福岡市内やフェリーの内部を観光。

 

 

船内で星空ナイトツアーのパンフレットをもらいました。

五島は星を見るには敵してると思います。

 

太古のパフレットも確保

 

 

サンフラワーとか阪九フェリー、オーシャンフェリーと比べるとさほど大きくないフェリー太古ですが、客室のバラエティは豊富でキッズルームやペット同伴ルームもある様です。

 

1隻のフェリーで五島方面行きは夜行、博多行きは昼行。途中で上り便と下り便が反航することもありません。

そのため寝台や和室の利用数に差が出るのでしょう。運賃は上り下り同額ですが、部屋に寄っては上りと下りで料金設定も違っている様です。

 

前方の眺望が良いラウンジは指定席ではなく誰でも利用出来るみたいです。

 

釣り竿を納める場所も用意されていました。

 

ただ、乗船時に前に列んでいた人の様子ではクーラーボックスは場所を取るからか、船内に持ち込めない様でした。

 

 

2014年竣工でDAIHATSUの2,942kWの機関を2基搭載しているそうです。

 

外観写真を撮る暇はありませんでした。

 

2008年にフェリー太古を福江港で撮っていましたが、こちらは先代ということになりますね。

 

先代フェリー太古は1992年10月に就航し、2014年7月まで活躍した様です。

その前は460トン、この船が1,260トン、現在のフェリー太古が1,598トンだそうです。

 

長崎は雨や台風の影響が多いですし、片道8.5時間の長距離の割に小さい船なので、"食わず嫌い"でこれまで選択肢に無かったのですが、エンジンの振動も含め「こんなに快適なフェリーがあったんかいっ!」ってくらい快適でした。

 

快適ではありましたが、福江港から先どうすれば良いのかも判らないまま、眠れない夜を明かして8日朝。

 

フェリーは定刻通り上五島の宇久、小値賀、青方の各港を経て・・・

 

 

若松島と中通島の間の若松瀬戸を通って奈留島の港へと向かいます。

6:50頃に若松瀬戸に掛かる若松大橋の下を潜ると船内の掲示がありましたので、ラウンジへ見に行ってみました。

 

上五島もこんどゆっくり訪れてみたいです。今度は橋の上から、フェリー太古を見て見たい。

 

この時点で福江港到着まで残り1時間余りでしたが、それでも未だ葬儀の場所も予定も判っていません。

母が何度となく東京の叔母にLINEで問い合わせたり、電話を試みたりしていたのですが・・・。

 

さて、葬儀場はどこなのか?間に合うのか?間に合ったとして追い返されてしまうのか?

 

次回に続けます。

 

なお、亡くなった叔母はろう者です。福江島の北西部の小さな町、三井楽で生まれ育ちました。

長崎県のろう学校の歴史・福祉事業の歴史は私には判りませんが、口話の読み取りや手話を学べる環境ではなかったことは容易に想像出来ます。手話は出来ませんでしたし、学校教育も今と比べると不十分だった筈です。

それでも自己流の身振りや筆談でしっかり自己表現していましたし、手先が器用な人だったので若い頃は実家のある町内で借家で独り暮らしをし、縫製の仕事をしていました。私が小学生の頃には叔母の借家にも泊めてもらいました。

私が大人になってからは三井楽へ行くことはほとんどなくなりましたが、叔母は実家のある丑ノ浦郷というところへ戻り、障がい者手帳も取得して、福祉制度も利用しながら独り暮らしをしていました。

私にはどうすることも出来ません(と思ってるだけかもしれませんが)でしたが、中には叔母の障害年金を目当てに叔母に近づいているらしき人も居るという話しも伝え聞いておりました。

 

私たち(私だけ?)からすれば、お金目当てに近づいてくるなんて「ケシカラン!」っていう感情に動かされて仕舞いがちだと思いますが、もしかしたらろう者である叔母にとっては、お金をむしり取られてでも、表面的な優しさであっても近づいてきてくれる誰かを求めていたのかも知れません。そう考えて客観視するとね、むしろ実家を出て行った私の父や各地の叔父・叔母、ろくに筆談すらしてこなかった私自身も充分「ケシカラン!」人たちなんじゃないかとも思います。

「ケシカラン!」って見方をすると、他人も自分もケシカランのですわ。ケシカランことしてるのが人間。許し合っていかないとね。生きて行けないよね。自分に寛大に、人にも寛大に・・・。(ぜんぜん出来てなくて自分にイライラしてるねぎねぎでした。)

 

次回も皆さんが寛大な気持ちで見守って下さること楽しみにしております。

またね~。(o^▽^)尸~~ばいちゅ~♪