そして人となる・・・2014.2.1
神戸 震災19年目の報告3
鷹取の奇蹟-命を救ってくれた樹木たち!
神戸に行くと必ずよるところがある。三宮から山陽線下りで15分ほど乗ると新長田、その次が鷹取だ。
この駅前近くにある公園がその場所だ。この公園は「鷹取の奇蹟」といわれるもので、長田方面を全焼させた猛火はその勢いのまま、鷹取を全滅させる勢いで迫ってきた。しかし、公園の樹木は、燃え上がりながらもそれを耐え抜き、火はこの場所で止まったのだ。鷹取駅前の住宅は地震で大きな被害を受けたが、焼死者が出なかったのは、火が止まったからだった。震災直後、一人でこの場所を見に来たとき、樹木の片側は炭化するほど燃えていたが、半分は生きていた。公園の木のすべてが長田側だけが前上がりながらも、必死で耐えしのいだのだった。これらの樹木を見たとき、本当に涙があふれた。長田側は周囲一面、焼野原。鷹取側は住居は倒れているが燃えていないその対象的な光景を、今でもはっきりと記憶している。
そして人となる 2014.1.20
神戸 震災19年目の報告1
この1.17の阪神淡路大震災記念日に東日本大震災以後はじめて参加した。1995年から2010年まで15年間欠かさず参加したが、3.11からは、「宮北会」を作って、津波被災地の岩手県宮古・山田の支援に入ったので参加しなかった。今回は、今後の被災地支援の在り方を考えるために、依然参加していた阪神高齢者・障がい者ネットワークの皆さんの活動を尋ねることが最大の目的だった。いろいろなものを見て感じたものを少し紹介します
雪地蔵と再会
夜行バスで新宿21:20発神戸5:30着。すぐに神戸の会場に行き、5:46の黙祷の時間に間に合った。すごくうれしかったのが、2005年に来た時に作られていた雪地蔵が9年ぶりに作られ再会したことだ。規模は少し小さいが、嬉しかった。9年前には、この雪地蔵の頭を一つ一つ撫でていた60代の女性の姿にくぎ付けになってしまった。深い想いがあったのだろう。その姿に感動して「雪地蔵」という曲を作り上げた。悲しい話ではあるが、実際に鷹取に行ったときに「ともや」という被災したおでん屋さんのご夫婦から聞いた話をもとにして作詞した。自作の曲の中でも思い入れのある曲だ。 アップするので、よかったら聞いてください.
そして人となる・ 2014.1.1
新年あけましておめでとうございます。皆様にとって、今年がよき年でありますように!
年末、大宮北高在職最後の学年の同期会がありました。その時に卒業生に贈った言葉を、幸か不幸か江藤にかかわった、悩み多きすべての卒業生に贈ります。
64歳の江藤からの伝言
私の大切な君たちへ
今、振り返って
この64年間を顧みたとき
生きてきてよかったと思う
人生は、楽しかったと思う
だから、たとえ今、命がなくなったとしても
なにも悔いることがない。
君たちが、今の私と同じ歳になったときには
私はすでに、宇宙を構成する塵になっていることだろう
だから今、伝えたいことがある。
20代の真っただ中にいる君たちは
未来への時間と可能性にあふれている
その分、迷いや悩みにもあふれている
あれもしたい、これもしたい
あれもできないかも、これもできないかも・・・
ジレンマと期待と不安に悩まされていることだろう
そう、いつも人生は悩ましいもの
だから、自分を信じて
思い切って選ぶことだ
選んだ結果に、反省はしても後悔はするな
さらに、前に進むがいい
そこから、思いがけない展開が必ずあるものだ
それを信じるがいい
まっすぐな人生も、紆余曲折の人生であっても
人生は面白い、そして楽しいものだ
もう一つ伝えておきたい
しばらくは、他人のことが気になるだろう
焦ることもあるだろう
でも、自分の人生は自分だけのもの
所詮、死ぬまで自分で生きるだけのこと
幸福も不幸も、すべては自分の心の中にあるのだから
どんなに不幸だと思った時でも
君たちの傍らには
大切なものがいつも寄り添ってくれている
そのことに気付くことさえできれば
必ず、人生は美しく見えることだろう
だから、恐れることなく
不安になることなく
一つ一つ自分の力で選んでいくがいい
一つ一つ自分で切り開いていくがいい
苦しいことも辛いいことも、楽しんでくれ
そして人生が楽しかったと
素敵だったといえる人生を築くがいい
だから今を
少しがんばれ
すてきな人生の後輩たちへ!